始まりを告げる




不規則に揺れる電車に身を預けながら夜の街を駆けていく。ネオンの輝く街は活気で溢れているというのに、窓に反射する自分の顔は疲れ切って暗い。吊皮に掴まる手も今にもずり落ちそうだ。そんな日に限って椅子は全て埋まっているのだから神様は余程私が嫌いなのだろう。ため息を溢して目線を電光掲示板に向けると、最寄りまであと二駅ほどのところに現在地を表示していた。浮腫んだ足をほぐして早くベッドに飛び込みたい、と回らない頭で考えていると、掲示板横の電車広告が目に入った。…ああ、もうこんな時期か。


からん、ころん。下駄が一歩一歩踏み出すたびに心地の良い音を立てる。紺の浴衣に身を包み、真菰とお揃いで買った花飾りを結った髪に添えれば夏祭りの正装は整った。

七月の中旬、学生たちが夏休みに入る前に行われる地元の花火大会。毎年欠かさず四人で場所取りをし、フィナーレまでゆっくりと眺めるのが恒例行事となっている。毎年日程は決まっているものだから、事前に予定を空けておくのが鉄則なのだ。その為、前日の晩に錆兎から集合時間が送られてくるだけで、残りの三人は了解のみ返事をする。いつまで四人で行けるか分からないが、時間が許す限りは錆兎と真菰と一緒にいたい。


「名前、早く早く。」


夏の夕暮れ時に吹く風がうなじを撫でる。昼間は生温かった風も、今では心地いい温度だ。それでも滲む汗はこの季節の醍醐味だと思って満喫するとしよう。手招きする真菰の元へ向かうと彼女は遅いよ、と頬を膨らませた。


「もう錆兎も義勇も着いてるって連絡あったよ。」


浴衣に似合わぬ現代の通信機器を持った真菰の手元を覗き込むと、数分前に錆兎と冨岡は合流したと連絡が来ていた。彼らが集合時間の十分前に待ち合わせ場所にいるのは小学生の頃から変わらない。決まって私が一番支度が遅く、最後になるのもまた変わらない。真菰と何を食べるか決めながら歩く地元の道は、徐々に移ろいつつある。好きだった駄菓子屋のシャッターが下りていたり、ケーキ屋がクリーニング屋になっていたり。三人で遊びに行った公園は駐車場になってしまって面影すらない。去年も同じ道を歩いたはずなのに、たった一年で変わっていく街並みに寂しさを覚えた。よそ見をしながら歩いていたせいで、慣れない下駄の先が舗装された道路に突っかかり、危うく転げそうになる。その度に真菰に前を見て歩きなさいと叱られた。それから間もなくして待ち合わせ場所の神社の境内に着くと、遠くからでもよく目立つ錆兎と冨岡の容姿のお陰もあってすぐに合流できた。


「相変わらず二人とも早いねえ。」
「名前と真菰が先に待っていて変な男に声を掛けられでもしたら危ないだろう。」
「そんな物好きいないよ。」


真菰と目を合わせながら笑うと、錆兎は額に手を当てて大きなため息を吐いた。お前らは自分の容姿を自覚しろと錆兎は言うが、それは幼馴染の贔屓目だ。でも、私から見れば真菰も錆兎も、不服ながら冨岡もお世辞抜きで容姿は整っていると言える。そんな三人に挟まれると更に私は霞むのだから勘弁してほしい。


「そろそろ行くか。場所取りする前に食べたいもの買いに行こう。」


先頭を歩く錆兎の隣に並んで歩く。彼の隣を歩くのは久方ぶりだ。社会人になってからは真菰とはよく会っているのだが、錆兎と会う機会はめっきり減ってしまった。下駄を履いても見上げなければ目線が合わなくなったのはいつごろからだったか。横顔を盗み見ていると、それに気づいた錆兎は見すぎだ、と顔を赤くした。


「私が錆兎を見てるのなんて昔からだよ。今更照れなくても。」
「…下駄を履いているせいでいつもと目線が違うんだよ。浴衣も似合ってる。」
「そ、そっか…ありがとう。」


ストレートな言葉に、恥ずかしさから目を合わせられなくなって視線を前に戻した。浴衣を褒められるのは今年が初めてではない。しかし、赤みがかった頬と照れた口元が今年は何だか熱っぽかった。幼馴染の一面とはまた別であるとはっきり認識すると急に意識してしまう。真菰と冨岡も後ろから見ているのだから、あまり私を揺さぶるようなことを言わないで欲しい。左右に立ち並ぶ屋台や吊るされた提灯を見ながら人込みをかき分けて歩く。ふらつく度に錆兎は腕を掴んで引き寄せてくれた。その逞しい腕にまた鼓動が早くなる。目線を下げながらお礼を言えば、すぐに手は離れていく。掴まれた腕を名残惜しそうに見つめていると、浴衣の袖がきゅっと引かれて体を翻した。


「二人とも止まって。義勇が焼きそば買っていくって。」


焼きそばの屋台の暖簾を潜って注文をしている冨岡はそろそろ協調性を学んでほしい。今だって真菰が私達を止めなかったら逸れていただろう。声の一つもかければいいものを。


「あー俺も欲しい。義勇、もう一つ頼む。」
「分かった。」


二人分の焼きそばが渡されるのを待ってから、また揃って歩き出した。今度は私と真菰が並んで前を歩く。集合場所に行く前に二人で買うと決めていた冷やしパインの屋台を喋りながら探した。真菰との話は尽きない。飽きることもない。お目当ての屋台を見つけて二人で駆け寄ろうとすると、後ろから危ないから走るなと忠告されたが生返事で向かった。個包装された冷たいパインを持ちながら歩く。夕飯代わりにするには物足りないので、他にも食べたいものがあれば互いに声をかけながら立ち止まっては手荷物が増えていった。道中で誰が一番多く水風船を掬えるか競ったり、お面を見て小さい頃お揃いで買ったことを懐かしがったりしながら。気が付けば茜色だった空は藍色になっていた。


「…あ、さっきの店で箸貰ってくるの忘れちゃった。」


買ったばかりのお好み焼きの入った袋を見ながら真菰は言う。四人で袋の中身を覗いてみれば、確かに箸は入っていない。私と真菰でシェアして食べようと考えていただけに箸が一本もないのは困る。


「ごめん錆兎、私の持ち物持ってくれるかな。それから真菰はお好み焼きの袋貸してくれる?」
「いいけど…急にどうした?」


屋台からそれほど歩いていないから、待っていてもらえばすぐに取りに行ける距離だ。人込みの中を歩くならば少しでも軽装にした方が動きやすい。錆兎に手荷物を全て預けると、真菰から貰った袋一つのみを手に下げる。


「さっきの店まで行ってくるね!皆はここで待ってて!」


後ろから聞こえる「おい」や「待て」と言う言葉を振り払って人込みの中へ入っていった。揃って心配性なのだ。これぐらいのお使いは出来る。花火大会の行われる河原間近だっただけに私の進行方向とは逆方向に歩く人が多すぎて押し返されそうになるも、何とか間を縫って歩いた。もう一人誰かに着いてきてもらった方が良かったかもしれないと思っても後の祭りである。来た時の倍の時間をかけて戻ると、お好み焼き屋の主人は私の顔を覚えていて、すぐに箸を渡してくれた。帰りは流れに乗って歩くだけだ。人に揉まれながら前に進もうと流れに乗った私だが、不自然なほどちっとも前に進まない。これでは戻るまでに花火大会が始まってしまう。原因を探ろうと、迷惑にならない程度に飛び跳ねた。前の方で光る赤い点滅灯と警備員で全てを悟った私は、真菰に連絡を取ろうと携帯電話の入った巾着に手を伸ばすも空振り。


「錆兎に預けたんだった…。」



絶望、という言葉が頭をよぎった。戻るまでに時間もかかれば、彼らも人の波に流されて待っている場所が変わっている可能性がある。連絡も取らず合流できるはずもない。どう考えても詰みであるこの状況を打破できる術があるのならば教えて欲しい。項垂れていると空砲が夜空に響き渡った。それを皮切りに何発か轟があった後、眩い光が降ってくる。花火大会は私の状況など露知らず、始まりを告げたのである。

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