Rei Furuya



これの続き


結論から言おう。零の我慢は3か月も持たなかった。初めの1か月は律儀にメールが1日に何件も送られてきていた。この時点で軽くストーカーを臭わせる量だったが、私も当時同じぐらい送っていただろうし、気持ちのこもったものだったから読んでは心の奥にしまっていた。おはようから始まり、おやすみで終わるメールを見ているのは毎日の楽しみにもなっていた。しかし、2か月目に入ると事態は一変する。メールは電話に代わり、私の仕事中にもかかってくるようになった。返事がないメールを送り続けたことによる精神的苦痛からだと考えられる電話は、私の生活に支障をきたすレベルに達していた。かといって私も返事をすることはできない。いや、厳密にいえば出来るのだが、私がやられたことをそのままやり返すためには何も返してはいけない。私が決めたルールを破るのは、なんとなく負けな気がしたし、つまらないプライド、意地も重なって頑なに守ることを決意した。


2か月目の電話攻撃をしのぎ切ると、零も落ち着いたのか1日に1回程度のメールが送られてくる日常に戻った。安堵したと同時に、熱烈なコールがないことにショックを覚える。と言うのも、自分の1年前のこの時期は吹っ切れて新しい彼氏を作っていたからである。零に彼女が出来たかもしれないと考えると、一度くらいメールを返しても、とルールに悶々とする日々が続いた。そんな日も長くは続かず、次第に慣れていった私は普段通りの生活を送っていた。今日も仕事を終えた私は、自宅である安い賃貸アパートへと歩みを進めていた。


「水野さんおかえりなさい。」
「大家さん!ただいま。」


アパートの敷地内に入ると、挨拶を済ませるなりちょっと、と腕をつかんだ大家さんに敷地奥の倉庫の陰へと引っ張り込まれた。彼女は小声で周りを気にしながら話しかけてくる。


「昼間に貴方の部屋の前で帽子を被った男が立ってたわよ。ストーカーされてるんじゃない?最近何かと物騒だし警察に相談したら?」


私にストーカー?まさか。お世辞にも一目惚れされるような容姿とはいいがたいし、ストーカー化するような男性と付き合った経験もない。仮に元カレだったとして1年近く経った今わざわざストーキングをするとは考えにくい。せいぜい別れた直後だろう。とはいえ、女の一人暮らしではあるし、一応どんな人間だったかは確認する必要がある。何より、大家さんは親身になってくれる方であるし、一人で突っ走って警察に相談なんてことも彼女ならやりかねない。首を傾げながら恐る恐るを装って男の特徴を聞き出すことにした。


「…その男性、どんな人だったか詳しく覚えてますか?」
「顔はよく見えなかったけど、身長はそこそこ高くて…髪は金?あと褐色の肌だったわ!」


やや興奮気味に語ってくれた彼女の特徴に苦笑いを浮かべる。私の知っている男の中に唯一その特徴をすべて兼ね備えている者がいた。間違いない、零だ。ついに耐え切れなくなって家まで来るようになったか。私の思いつく素振りを見て、彼女は女優顔負けの演技力を見せながら語る。


「水野さんもしかして元カレとか?気を付けるのよ〜、うっかりドアをあけちゃったら包丁でグサリ、なんてこともあるから!」
「はは…、気を付けます。」
「うちのアパートで殺人事件なんてやめてね。また何かあったら相談して頂戴。」


大家さんはそれだけ言うと満足したのか、自宅へ帰っていった。殺人なんて物騒な、間違っても事故物件にしませんよ。私も外階段を上って二階の自宅の扉に鍵をさす。鍵を開けて中に入ると、新聞受けのところに一通の宛名も差出人も書かれていない白封筒が入っていた。普段ならそのまま捨ててしまうところだが、大家さんの件の直後だと話は別だ。差出人は零で間違いないはず。糊付けされているそれを丁寧にはがして中身を取り出すと、出てきた予想外のものに驚き、玄関に座り込んでしまった。


「なにこれ…。」


私の左手のひらで光るシルバーのリングは明らかに結婚を連想させるものである。その証拠にリングの内側に書かれていたのは"THINKING OF YOU ALWAYS"、いつもあなたのことを想っていますというメッセージだ。添えるように入っていた1枚の紙には"もう待てない"と書かれていて、零の焦りを感じた。…いくら焦っているとはいえ、これは反則だろう。重いため息を吐くと施錠を忘れたドアが開いて、まぶしい金髪に近い茶髪が私を見下ろしていた。


「…驚いたか。」
「零、言っとくけどこれは反則だから…!」
「ごめん、俺に待つのは無理だった。もう耐えきれそうもない。」


苦しい笑顔を浮かべた零は、座り込んだ私に立膝をついて抱き着いてきた。確かめるように背中をさする手のひらが何度も上下する。耳元で話すから吐息がかかってくすぐったい。その温もりに私の頬も緩みそうになるが、慌てて口を真横に結んで声色を落とした。


「私言ったよね、一年待てたら返事してあげるって。」


その言葉にぴくりと反応した零の手が止まる。


「…離れたくない。」
「…ずるいよね。そこは平等にしないといけないところじゃないの?」
「嫌だ。」
「子供じゃないんだから駄々をこねないで。」
「嫌だ、嫌なんだ。」


嫌々と連呼する零をなだめるのは至難の業だ。引きはがそうとしてもそれよりも強い力で抱きしめられたら敵わない。ならば宥めて離れてもらおうと画策するものの、一向に離されそうになかった。…零の子供のように縋る姿を初めてみた。不快だとは思わない。むしろ弱い零を見ていると、友達でいた頃よりも本来の零を見れているという背徳感が沸き上がる。


「…毎月7日に会うようにしよう。それ以外は絶対に会わない。」


気が付けば最大の妥協案を提示していた。零は聞くなり鼻声でありがとう、とつぶやくと私の肩口にさらに額を押し付けた。ぽんぽんと頭を撫でながら、私に対しての忍耐力が低い彦星の背中に腕を回した。


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