黒に沈む



午後の修練を始めたのが遅かったせいで、こうして岐路に着くのも随分と遅い時間になってしまった。
既に周囲は薄闇に包まれ始めて、十二宮の階段へと差し掛かっても、すれ違う人は殆どいない程。
かなり腹も減っているだろうに、だが、そんな事は少しも感じていないのか、隣のアレックスは十二宮の背後に広がる空を見上げながら、ゆっくりゆっくりと歩を進め、階段を上がっていた。


「転ぶぞ。」
「……え?」
「少しは足元も見ろ。そんなに不用心じゃ、階段に躓いて転ぶかもしれん。」
「大丈夫よ、もう慣れたから。シュラは心配性ね。」


別に俺は心配性ではないし、横で危なっかしい歩き方をされては、気になるのも当然だと思うが。
そんな俺を笑い飛ばして、アレックスは変わらず上を向いたまま階段を上り続ける。


「綺麗よね、空。」
「綺麗? あれが、か?」


アレックスに倣って見上げた空は、既に薄青と薄い灰色の中間のような色に変わっていて、ギリギリ山の端(ハ)に夕陽の名残が淡い桃色となって留まっている状態だった。
とても綺麗とは言い難い、何とも中途半端な色。
これを綺麗だと言うならば、少し前までの、空一面に広がっていた夕陽に染まった真っ赤な色の方が、ずっと心に響くような気がする。


「俺には分からん。この鈍い空の色の何処が良いんだ?」
「ずっと地上にいる人には、分からないのでしょうね。この微妙に変化する空の美しさ。ここから徐々に黒へと染まっていって、最後は星がいっぱいに輝く素敵な夜空に変わるのよ。何て言うのかな……、ワクワクするとか、ドキドキするとか、そんな感じ?」


楽しそうに微笑んだアレックスに、俺は肩を竦めてみせるしかなかった。
だが、夜に変わっていく、この微妙な薄闇の夕方に、心が高揚するのは分かる気がした。
ただ、それは彼女の感じるものとは違っているとも思う。
俺の感じる高揚は、閉鎖的になる『夜』という空間の内側で秘めやかに始まる行為への期待感だ。
アレックスのように、夜そのものへの羨望とは明らかに違う。


移り変わる空の色も、瞬く星の輝きも、夜毎に姿を変える月の存在感も、彼女は知らずに生きてきた。
見るもの全てが珍しかったアレックスにとって、中でも、この天気や時間と共に刻々と移り変わる空の色が、何よりも心に響いたかもしれない。


「折角、見事な星空が広がっているのに、部屋の中に閉じ籠もっているなんて贅沢だわ。」
「だが、夜は休むものだ。それに星など、晴れていれば、いつでも見られる。」
「ホント、地上の人は贅沢ね。」


呆れた声を上げて、空から視線を下ろしたアレックスは、贅沢者だと決め付けた視線で俺を見遣る。
そんな視線は受け流し、フッと軽く笑みを漏らせば、それが気に食わなかったのか、彼女は俺の脇腹を肘で強く小突いた。
双児宮を目の前に、気付けば空は夕陽の名残などアッサリと飲み込み、既に黒が西へと向けて浸食を始めている。


「言っている間に、夜が迫ってきたぞ。」
「ふふっ。早く帰りたいって顔ね、シュラ。」
「お前が言うところの、贅沢な時間を満喫したいんでな。」


だが、それも一人では物足りない。
これまで、そう思う事も余りなかったのだが、それもこうして傍に魅惑的な女がいたならば、簡単に心も揺らぐというものだ。
閉鎖的な秘めやかな時間は、当然、一人より二人が良い。


「一人ではなく二人でならば、もっと贅沢なのだろう。アレックスも、そう思わないか?」
「二人? 誰と?」
「この状況で言えば、俺とお前の二人しかいないと思うが?」
「っ?!」


既に暗い闇が景色の殆どを塗り込めた世界で、パッと真っ赤に染まったアレックスの顔が、何故か鮮明に浮かび上がって見えた。
俺は本心を心の奥へと隠し、からかうようにフッと大きく笑みを零してみせた。


「もうっ。冗談でも、そういう事を言うのは止めてよ。」
「冗談かどうかは、お前が決めろ。いつでも俺は部屋の鍵を開けて待っているからな。」
「シュラッ! もう、ズルい人!」


再び俺の脇腹を先程よりも強く小突いたアレックスは、照れ隠しのためか、ズカズカと音がしそうな程に強く靴音を鳴らして、最後の数段を駆け上がっていく。
夜の色に染まった彼女の、白い修練着がはためく背中を見上げ、冗談としてしか告げられない自分を情けないと思いつつも、アレックスが自ら俺の部屋を訪れてくれる事を請い願っている自分がいた。



墨色の言の葉に希う



‐end‐





夜になると山羊座の色気が本領発揮されますよw
でも、まだ宵の口なので、程々な程度、深夜だったらイチコロ(死語)でしょうねw
ちなみに『希う』は『コイネガウ』と読みます、多分。

2015.06.28

→next.『cherry pink day』


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