屈んだ事で離れた筈のシュラ様の手が、不意に私の髪に触れた。
思い掛けない感触に、ビクッと私の身体が揺れた事には気付いていないのか。
シュラ様は耳からハラリと落ちてしまった一房の髪を掬い上げ、その髪によって隠れてしまっていた私の横顔が見えるようにと、再びそれを耳に掛けてくれる、酷くゆっくりとした動作で。
だが、彼の長い指が耳の縁を掠った瞬間、その指の熱さに、もう一度、身体がビクッと揺れた。


「アンヌこそ、休日にデートに行くような相手はいないのか?」
「このお仕事をしている限り恋人は望めません。どうしても自由があまり利かない身ですから。それに……。」
「ん?」


一旦、途切れた言葉の間に、シュラ様が私の顔を覗き込む。
その視線と自分の視線がぶつかり、途端に先程、シュラ様の指が触れた耳がカッと熱くなった気がして、膝の上に乗せていた自分の手へと、そっと視線を外した。


「先程のシュラ様もそうでしたけど、デスマスク様も私が他の誰かと出掛けるのを極端に嫌がっておいででしたから。あまり自由には出掛けられませんでした。」
「あぁ。アイツのアレは前にも言ったが、アンヌに恋人が出来て、巨蟹宮から出て行かれては困るから、それを阻止するためだ。ならばデートに行く機会を奪えば良いと、そういう魂胆だったのだろう。」
「酷い横暴な人ですよね、デスマスク様って。」


高鳴る心音と緊張で強張っていた私の身体から、少し力が抜けた。
デスマスク様の話題が出ると、いつも苦笑する事が多くて、場が和む。
ココにはいないデスマスク様には悪いけれど、それはある種の助け舟のような存在で、私はいつも彼の話題で助けられている気がするし、今もそうだ。
でも、そう感じたのも束の間だった


「だが、以前はいたではないか。アンヌにも恋人が。」
「っ?!」


ハッとして思わず顔を上げた。
シュラ様は強い瞳で私を見ていた。
その顔は、いつもと変わらぬ無表情。
だが、先程までは、その無表情の中にも感情がはっきりと現れていたのに、今は彼が何を考えているのか分からない。
本当の無表情でジッと私を見つめている。


「どうして……、ご存知なの、ですか?」
「昔、デスマスクがそのような話をしていた事がある。それを覚えていただけだ。」
「そう、ですか……。」


シュラ様の言う通り、確かに私にも『恋人』と呼べる存在がいた。
昔々の事、今から六年以上も前。
まだ巨蟹宮の宮付き女官になる前、教皇宮で見習い女官として働いていた時からの付き合いだった人。
彼は教皇宮の食堂に勤めるコックで、私も沢山の料理を教えてもらった。
今、こうしてシュラ様に美味しい食事を提供出来るのも、デスマスク様の厳しい舌を辛うじて満足させられていたのも、彼のお陰だった。


でも、まだ十六歳だったあの頃の私は、恋愛も大切だったけれど、それ以上にチャレンジしてみたい事も沢山あって。
十代特有の好奇心と、将来への期待感でいっぱいだった私を、四歳年上の彼は暖かく見守ってくれていた。
いや、見守ってくれているのだと、思い込んでいた。


後で知った事だけれど、応援などしてくれていなかったのだ。
彼は私が直ぐにも挫折して戻ってくるだろうと、そう期待していたのだから。





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