彼が猫になっちゃった!

物音で目が覚めた。
何の音だったのか判然としないまま、薄く開けた目に飛び込んできたのは鮮やかな緑色。思い出せばキッチンで夜を明かして呑み合ったのだ。

「ゾロ…?」

その相手の名を呼べば不機嫌か或いは眠たげな声が返ってくるはずだったのだけれども、予想に反して耳に届いたのは男の声ではなかった。

にゃあ。

ナミは音がしそうな激しさで瞬きを数回繰り返してからテーブルの上のものを確認した。
陸ならばどこかから這入り込んだのだと思うが、此所は大海原に浮かぶ船の中のキッチンだ。テーブルの上なんかにそんなものがいるはずがない。思いながらもナミの目はそれを確り捕えている。
テーブルの上で警戒した様な目を向ける、腹巻きをした、緑色の――猫。

「…ゾロ?」

有り得ない、と思うと同時にここはグランドラインだ、と何かが主張する。『有り得ない』事は有り得ない、けれど、ならば何故。
ぐるぐると思考の迷走を始めたナミの耳に、階下の扉の開閉の音が聞こえた。
扉を開けて階下を歩くのは倉庫に誰かが這入ったからだ。女部屋から出て来たのでは無い。
船にいる男達にしては軽い足音と規則正しい歩き方で、朝の早い料理人だと悟る。
まずい。このままではサンジに見られてしまう。
ナミは肩から滑り落ちた毛布で猫を包むと両腕で抱えてキッチンを出る。急いで階段を駆け降りて、前甲板から倉庫に入って行く小さな人影を見て足を止めた。
あの小ささは恐らくチョッパーだ。医者。治せるのかしら。

「おーナミ、早いなー」

倉庫か医者か逡巡していると見張り台から降って来た声に肩が波立つ。目を擦りながら声を掛けたウソップに、まぁねと愛想笑いを返して女部屋に続く倉庫の扉に手を掛けた。

「おはようナミさん」

跳ね上げ扉から顔を覗かせたビビがにこりと言う。

「起きたら部屋にいなかったからびっくりしたわ」
「あ、うん、昨日は飲んで……」

女部屋にはビビとカルーがいる。浴室はユニットバスだからいつ誰が入るかわからない。心許無いがミカン畑に避難だ。
ナミは決断すると、朝の挨拶を交わすビビとウソップの視線を掻い潜り、足早にミカン畑に着くとどうやらキッチンに辿り着いたらしい料理人の片付けて行けクソマリモという怒号が響いた。ごめんねサンジくん、と心の中で詫びつつ、みかんの木陰に毛布を下ろす。夢だったのかも知れないと逡巡しながらゆっくりと毛布を捲ると、そこにはやはり緑色の猫がいた。

「…ゾロ…なの?」

声を掛けると、猫は欠伸をしてから毛布の中に潜り込む。

「ナミ!?」

蹄が床を鳴らす音とほぼ同時に上擦ったような声が掛けられた。

「チョ、チョッパー!? なに!?」
「なっなんでもないんだ!」

毛布を背後に隠しながらチョッパーに振り返って問い返すと、既にチョッパーは逃げる様に走り去っていた。

「腹減った〜!島は見えたか!? おはよう!」

チョッパーと入れ替わりにルフィの声が響き渡り、まだだとウソップが返したが空腹の船長は聞きもせずキッチンに駆け上がりざま蹴り飛ばされていた。

「いいわねここにいるのよ!動くんじゃないわよ!」

猫相手に言い置いて、急いでキッチンの片付けに戻ろうとしたナミの背後からルフィの叫び声が木霊した。

「うわっなんだこいつ!」

どうやら階段を使わずにルフィがみかんの木まで辿り着いたらしい。
慌ててナミが戻ると猫はルフィにがっちり捕まえられていた。

「ゾロっ」

ひったくる様に奪い返してから、しまったと思う。

「ゾロ?」
「なっなんでもないわ!」

猫を腕で抱えてルフィから全身で庇うように言うナミの言葉を無視して、きょとんとしていたルフィは猫を見て、あ!と声を上げた。

「本当だ!ゾロだっ」

ルフィは顔中で愉快だと表現しながら腕を延ばしてくる。ナミは片手でその腕を振り払うがゴムの腕は弾力があってあまり手応えは無い。

「ちょっと、違うわよ!触んないでよ!」
「いいじゃねぇかよ〜。おれが先に見つけたんだぞっ?」
「ゾロは私のよ!!」

この船のものは全部おれのもんだ、と主張して力尽くで猫を奪おうとするルフィの腕に容赦無く爪を立てて捻り、ナミはルフィに背を向けて走り出したが、いつの間にか誰かが目の前に立っていて避けきれずにぶつかってよろめいた。

「おれがなんだって?」

ぶつけた肩も痛いが、聞こえた声にナミは目を瞠って、倒れない様に自分の肩を支えるその男の名前を呼ぶ。

「ゾロ!?」
「その猫ゾロだろ!」

ルフィは歯を見せて笑いながらナミの腕の中を指差す。ゾロは片眉を跳ね上げて、一度だけ猫に目を落とした。

「あァ?何言ってんだ。チョッパー!こいつか?」
「あああ〜!いたぁぁ〜〜!」

ゾロが後ろを振り返り呼ぶと、涙目の船医が両手を前に突き出して駆け寄って来た。その後を王女と従者の鳥が附いて現れ、安堵の顔を見せる。
猫はゾロの腕を経てチョッパーに手渡され、見張り台から降りてきたウソップも加わりキッチンに入ればコックは人語を解さない獣に煙草の端を苦く噛んだ。
船医曰く、心ない人間にペンキをかけられ刃物で切り付けられた猫が逃げ込んだ先が海賊船で、出港してしまったその船には獣の言葉を理解する船医が新しく仲間に加わっていた。
医者は、猫に手当てをして包帯代わりに狙撃主から貰ったリストバンドを腹に巻いてやったけれども、新入りの遠慮があって船長たちに事実を報告出来ずにいたのだった。

「ごめん…勝手なことして、怒られると思ったんだ…」

トナカイは自分に集中する視線に小さな体をさらに縮こめて言った。

「水臭い事言うんじゃねぇよ、非常食のくせに」

コックは呆れたように呟きシンクに煙草を押しつけた。

「そうだぞなんで隠してたんだ!」
「だから怒られると思ったんだって」

拳で机を鳴らしたルフィの肩にウソップが手の裏で突っ込む。
目を潤ませたチョッパーの前に、三人の視線から庇う様に立ち塞がったのは緑色の猫だった。
毛を逆立てて歯を見せる猫と、クワァとチョッパーの後ろからカルガモとビビが心配そうにその顔を覗き込む。
その輪から外れて、床に座って壁に凭れながら話を聞いていたナミは無表情を繕っていた。
だって毛だって緑色だし、目つき悪いし、猫のくせに腹巻きだし!
気恥ずかしい話題から顔を逸らしたナミはすぐ傍にゾロの顔を見て軽く目を見開いた。
隣に座っていたのをすっかり忘れていた。
欠伸をしていたゾロは視線に気付いてナミの顔を見て、小さく噴き出した。

「何がおかしいのよ!?」
「いつおれがお前のものになったんだ」
「はぁ!? 何言って…」

そういえばそんな事を口走った気もする。
ナミは首を振りながら必死に否定する。

「ちっ違うわよ!! そういう意味じゃ…!っていうかあんたどこにいたのよ!?」
「風呂入ってたらチョッパーが突っ込んで来てな」

涙目で何でもないと言う挙動不審な船医を問い詰めれば倉庫に匿っていた患者がいなくなったと青褪め、そういえば明け方に冷え込んで見張り台で震えていた狙撃主とそのついでにキッチンで寝こけている航海士に倉庫から取って来た毛布をかけた事を思い出し、そう伝えると捜索に加わったのだ。

「あんたのせいじゃないのよ!!」
「何がだよ?」
「うるさい!」

がごん、と鈍い音が響き、猫を囲んでいた船員は何事かと音のした方を見たが、頭をめり込ませるように床に沈んだ剣士と真っ赤な顔をしながら仁王立ちで拳を握る航海士を見て、とばっちりを食いたくはなかったのでご愁傷様と思う事にした。


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2013/03/10 comment ( 0 )







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