いつか


「キリタニさん」

「なに」

「あの、これって」

「うん、ブロッコリー。あれ、さやかブロッコリー嫌いだったっけ?」

「いえ、そうではなくて」

「ん?」

「こ、これはいわゆる、『はい、あーん』というやつでは」

「………」

「ば、バカップルの専売特許じゃないですか。今ここでやっちゃうんですか。ウサ子とモル男が見てる前でそんな」

「食うのか食わないのか」

「食べます」

「口開けろ」


 水森の発言がたまにおかしいのは今に始まったことじゃないので、こういう時は軽くスルーする事にしている。
 じゃないと、彼女のペースに巻き込まれるから。
 そんな俺の素っ気無い態度に不満を漏らすことも無く、水森は口の中に放り投げられたブロッコリーの謎の感触と味わいを堪能している。真顔で。

 こうして一緒に並んでご飯を食べるのは、既に慣れてしまった光景だ。
 けれど今は早朝で、そしてここは彼女の部屋だ。今までのご飯会とは全く違う。

 昨日の情事の後に、初めて2人で迎えた朝。
 むず痒いような、妙な気恥ずかしさが残る。


「……一緒に暮らしたら、こんな感じなのか」


 胸に沸き起こった言葉がつい、口をついた。

 その呟きに、特に含みなんてない。
 そういう未来を描いていたわけでもない。
 だからそれは本当に、たった今不意に浮かんだ思いが無意識に口から零れた、それしか言いようがない。
 そして言葉にして初めて、その重さを痛感する。


「……へ」


 気の抜けたような声と同時に、カチャン、彼女の指から箸が滑り落ちて、テーブルの上に落ちた。
 口が半開き状態で、ぽかんとした表情のまま俺を見つめ返している。常に無表情が鉄板の彼女にしては、珍しいアホ顔だ。

 無意識とはいえ、軽々と口にしていい言葉じゃなかったかもしれない。
 なんせ、付き合い始めてまだ3ヶ月しか経っていないのに、そこまでの気持ちと覚悟が互いにあるわけもなく。
 この先付き合いが長くなればそういう事も視野に入れるのだろうとは思うけれど、今はまだその段階に無い。
 仕事の面でも人間的な面でも俺達はまだ半人前で、やっと20を迎えたばかりの未熟な大人だ。互いの事も、まだ十分分かり合えているとも言い難い。
 覚悟を決めるタイミングがあるとしたら、それらを全部クリアした後だろうと思う。
 それに今はまだ、この距離感でいたい。

 水森が落とした箸を拾って手渡せば、慌てて受け取った彼女は、俺がうっかり漏らした呟きにうろたえている様に見えた。
 そりゃそうか、捉えようによってはただのプロポーズの言葉だ。


「気にすんな。なんとなく、そう思っただけだ」

「は、はい」

「別にそういう事考えてるわけじゃないから。……まだ」

「ま、まだ」

「……さやか」

「は、はい!」

「ウサ子、また勝手にケージ開けて出て行ったぞ」

「ふぁ!?」


 玄関先に向かって、ぴょこぴょこ小さく跳ねていくうさぎの姿を、水森が慌てて追いかけていく。
 なんか、童話でこんな風にウサギを追いかけるシーンがあったよな。
 そう思いながら、もしも一緒に暮らす事になったらコイツらとも暮らすことになるのか、そんな考えが頭の片隅によぎった。



・・・



「……じゃあ、一旦家に帰るから」

「はい」


 玄関扉の前、後ろを振り向いた先に、両腕にウサ子とモル男を腕に抱えた水森がいる。彼らと一緒に見送ってくれるらしい。

 結局コンビニで買ってきた物全て、彼女は余裕で完食した。
 その上、「うな重食べたい」とか言い出したから必死で止めておいた。
 彼女の腹が満たされる前に、俺の財布の中身が破産の危機だ。

 2人で片付けた後に、早々に帰る準備を整えた。
 時間は既に7時を過ぎている。
 一度帰宅して着替えを済ませなくてはならない。
 急げば、出社の時間に間に合う筈だ。


「また後でな」

「はい」

「……さやか」

「……?」

「昨日、可愛かった」

「……っ!」

「また来てもいい?」

「……は、い」


 腕に抱えたもふもふの毛並みに顔を埋めながら、恥ずかしそうに頷く。
 突然昨日の話をぶり返されて朱に染まった頬は、ウサ子に顔を埋めたところで隠せてはいない。

 昨日と今日で、随分と彼女の色んな面が知れた。
 常日頃、無表情で敬語が癖になっている水森だが、本当は感情豊かな人間で、余裕がなくなるとその無表情が崩れて素の表情へと変わる。口調まで変わってしまう程だ。
 彼女のこんな最大の弱点など、俺くらいしか知らないだろう。

 部屋の扉を閉めて、エレベーターへ向かう。
 開かれた扉に乗り込んで1階のボタンを押した時、メールの着信音が鳴り響いた。
 その相手が誰かなど、もう確認せずともわかってしまう。
 本当に律儀だな、改めてそう思いながら鞄に仕舞い込んだスマホを再び取り出す。
 すぐに返信をするあたり、俺も結構律儀な性格なのかもしれない。

 水森とは何かと共通点が多い。
 思えば、互いに悩んでる内容も一緒だった。
 結局は似た者同士なのかもな。
 そんな事に今更気付いて、つい笑みが浮かんだ。



(了)

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