桜咲く ひらひらと、風が桜の花弁を運んでくる。 見上げた先には、高校3年分の思い出が詰まった校舎。 もう此処へ来ることもないのだと思ったら、感慨深いものがこみ上げてくる。 ―――3月1日。 私は今日、無事に高校を卒業しました。 「今なんて言った最上くん」 「いや、うん、だからね」 今日で最後。 だから私は、ずっと隠していた真実を友人達に打ち明けた。 けど私の言葉に信用性がないのか、彼女達は何度も何度も、そう何度も、私に真実か否かを問いかけてくる。 めっちゃ睨まれてる。 威圧感すごい。 まるで蛇に睨まれた蛙の気分だ。 卒業式を終え、校舎の外に出た後は、クラスごとの集合写真を撮る。 それも終われば、あとはもうお開きだ。 友人達や後輩と別れを惜しむ姿もあれば、みんなと写真を撮りまくっている人の姿もある。担任の先生を胴上げしているクラスまである。 各々《おのおの》の思いを抱きながら、今日という日を、みんなが思い思いに過ごしている。学生最後となるこの日を、心残りにしないように。 かくいう私も、バスケ部員達と涙ながらに抱き合いながら、別れの挨拶を交わしていた。 たくさんのメッセージが書かれたバスケットボールを渡されて、顧問の先生からもお褒めの言葉を頂いた。 練習中、試合中でも、絶対に部員を褒めたりなんてしない、厳しい指導で有名な顧問。 そんな人が、涙を浮かべながら最後に告げた「お疲れ様」という言葉に、私までもらい泣きしてしまった。 まさに卒業式ならではの、感動的な場面。 それが数十分前のこと。 ―――で、今のこの状況、なに? 「ちょっと落ち着こうか最上くん」 「落ち着いてるってば」 「それは、キミの妄想の中のお話なのかい?」 「違うってば」 「だってね、だってさ」 友人Aの目には涙が滲んでいる。 けどその涙は決して、別れが悲しいとか一緒に卒業できて嬉しいとか、そういう感動めいたものではない。 「あんたと春樹くんが、え、なに? つきあう? 突き合うの? ワイルドだね!」 「突き合わない。付き合うの」 「この裏切り者め!!」 がっと首に腕が回り、締め上げられる。 見てくださいこれ。これが3年間共に過ごしてきた友達にする事ですか? ていうか、痛い。 「ずっとうちらに隠してたのかー!」 「ごめんってば」 「反省の色が見えませんね!」 「だって、言えなかったんだもん」 そう言えば、巻きついていた腕が解放される。 ぐちぐちと文句をたれる友人Aとは逆に、友人Bは特に慌てた様子もなく、落ち着き払った態度だった。 「怒ってる?」 「怒ってはいないよ。というか、私は薄々気付いてたけど」 「「えっ!?」」 私の声と、私を窒息死させようとしていた友人Aの声が見事にハモる。 「春樹くんがね、もかの事好きなんだろうなあっていうのは、前からなんとなく気付いてたよ。わかってなかったのは、多分、キミら2人だけだよ」 「………」 見抜かれてたとか。 「え……なんか、うちらピエロみたいじゃね……」 「うん……」 思わずAに同意する私。 「でも、交際の約束してるのは知らなかった。明日から恋人同士なんだね。よかったね」 「あ……ありがと」 まさか祝福の言葉を貰えるなんて思っていなくて、ちょっと照れてしまった。 恋人同士。 その言葉についニヤけてしまった私を見た友人Aが、またもや首に腕を巻きつけてきた。 散々文句を言われ続け、裏切り行為だと罵られ、挙句の果てにお尻を蹴られた。理不尽。 でも、最後の最後まで反対はしなかった。 いとこ同士の恋愛が周りにどう思われるのかわからなくて、怖くて口に出せなかった。その思いを正直に明かせば、2人は目を合わせた後、屈託なく笑った。 どう思うも何も応援するに決まってるよって、言ってくれた。 「じゃあ今度は春樹くんとの色ボケ話、期待してるね」 「え、えー……」 恥ずかしさと後ろめたさで微妙に返答を濁す私に、ほら、と友人が顎をしゃくる。 「春樹くん、待ってるよ」 「えっ」 そう言われて、示された方へ目を向ける。 私達の視線に気付いたのか、校門前で立っていた春の手が、私に向かって振られる。 そうだ、今日は家族みんなで外食するんだった。 私の就職祝いと、私達の卒業祝いを兼ねて。 「ごめん、私行くね」 「はいはい、いってらー」 「また後でねー」 友人達に手を振ってから、その場を離れていく。 私達は同じ地元の就職組。 つまり会おうと思えばいつでも会えるわけで、正直、別れを寂しく思う気持ちはあまり無かったりする。 卒業後も、3人で遊ぶ約束してるしね。 「ごめんね、邪魔しちゃって」 「ううん、もう帰ろうと思ってたし」 まだその場に残っているクラスの子に手を振って、春と並んで歩き出した。 互いの手に握られている、卒業証書の筒。 思えば幼稚園から高校まで、春と同じ学校に通っていた。 春と違う学校に行きたいとか、離れたいとか、そんなことを思ったこともなかった。 私の隣にはいつも、春がいた。 これから桐谷のおじさんとおばさんと、お昼ご飯を食べに行く約束をしてる。 郁兄は仕事中だけど、途中で抜けてくるって言ってた。あの仕事熱心な郁兄が。 夕方からはクラスの打ち上げがあるし、感傷に浸る暇もない。 5日後には、春の合格発表がある。 私も入社までの準備があるし、3月末には新しいマンションに移り住むから、引っ越しの準備もしなきゃいけない。 この1ヶ月でやらなきゃいけない事は沢山ある。卒業したからって、ゆっくりできそうにない。 春との同棲は、結果的には許可を貰えた。 桐谷のおじさんは当初反対していたけれど、そのあたりは、郁兄がうまく話を取り計らってくれた。 郁兄も、4月から水森さんと同棲する。 2人が一緒に暮らすマンションに、なんと、私と春も移ることになった。 私達がそれを知ったのは、つい先日のこと。 郁兄が、自分達と一緒のマンションに私達も住めばいいんじゃないかと、おじさんに直接、提案してくれたようだ。 そういう条件の下でなら、と渋々承諾してくれたと、郁兄本人から聞いた。 桐谷家のしきたりは、自立を促す為のもの。 だから、「監視下とか親父には言ったけど、監視しないから」と、郁兄は私達に耳打ちしてくれた。 春はちょっと複雑そうな顔を浮かべていたけれど、私は郁兄とも離れたくない気持ちが強かったから嬉しい。 勿論、住む部屋も階も違うけれど、会いたい時はすぐ会える距離にある。 しかも今度は、水森さんも一緒にいる。 新しい生活が、今から楽しみでならないのが正直な気持ち。 ちらりと隣を見上げてみる。 ブレザーのボタンが全部ついている春の格好に、違和感を覚えたのはその時だ。 ボタンを取ったり、剥ぎ取られている感じもなく、制服自体も皺ひとつなくキッチリしてる。 私の視線に気付いた春は、不思議そうに首を傾げていた。 「どうしたの?」 「第二ボタンとか誰かにあげてないんですね」 「なんで敬語? あげてないよ」 「ボタン欲しいって、女の子からせがまれなかった?」 だって、よくあるじゃん。 少女漫画とかで。 「されてないよ。ああいうのって、昔の話じゃないの?」 「昔……?」 「大体ボタン貰ってもさ、その人への愛情がなくなったらゴミになっちゃうし。今の世代の人達って、そういう考えの人が多いんじゃない?」 「うーん」 そうなのかな。 好きな人から貰ったものは、いつまで経っても大切な物だと思うけど。いつの時代でも。 でも、これはあくまで女の子側の考えだ。 男の子にとっては、そういうロマンチックな考え方に共感できないものかもしれない。 良くも悪くもシンプル思考。 男女間の価値観の違いが浮き彫りにされた瞬間だ。 春の言い分も、あながち間違っていないのかな。 その証拠にボタン、全部あるもんね。 「欲しいなら、あげるけど?」 「え?」 「第二ボタン」 「え、ほんとに?」 「うん。待ってて」 春の手が、自身の制服に手を掛けて、ボタンを外そうとする。 その様子を、黙って見つめてみる。 けれど、いつまでたってもボタンは制服から外れない。 「……もか、ごめん。家に帰ってからでもいい?」 「うん?」 「全然取れない。後でハサミで切る」 「や、そこまでしなくても」 必死な様子に思わず噴いてしまった。 昔の制服より、今の制服の方が作りはしっかりしてるよね。 ボタンも、すぐに取れたりしないように色々手を尽くされているのかもしれない。 「もうすぐ合格発表だね」 「うん」 「自信ある?」 「手応えはあったけど、小論文がどうかな……」 「合格しても、今度は二次があるもんね」 2月下旬に、春が受験する医大の入試があった。 合格発表は、あと5日後に迫ってる。 でもこれはあくまで、第一次試験の発表日だ。 これで合格できたとしても、今度は中旬に、第二次試験が待ち受けている。 医学部の第二次試験は面接だけだけど、いくら一次試験の成績が良くても、二次の面接で落ちる人が大半だという話は聞いたことがある。 「もし落ちてもね、だいじょぶだよ」 「?」 「私、養ってあげる」 「……それはそれでなんか嫌だな……」 「冗談です」 笑い合いながら、帰り道を共にする。 3年間歩き続けたこの通学路を、春と2人で歩むのも、今日が最後なんだ。 そして家族だけの関係も、今日で終わり。 色んな思いを噛み締めながら、桜並木を見上げてみる。 数ヶ月前まで抱いていた思いが、不意に胸の中で蘇った。 春への想いを断ち切ろうとしていた自分。 卒業を迎えるこの日、散りゆく桜と共に、この想いも散らせようとしていた。 今日で私の恋も終わるんだって、数ヵ月前の私はそう思ってた。 「逆に咲いちゃったな……」 「え、なに?」 私の呟きが聞こえなかったようで、春はもう一度聞き返してきた。 筒を持っていない方の手で、春の手を握る。 「あの、春」 「ん?」 「その」 こんな事を告げるのは、今更過ぎて恥ずかしい。 でも、今言わないといけない気がした。 今日伝えられて良かったと、いつの日か、そう思えるように。 後悔は、したくないから。 「春の彼女に、してくれる?」 言った直後に、緊張と羞恥が押し寄せた。 頬が熱くて、外にいるのにのぼせそう。 春の目がぱちぱちと瞬いて、ほんのりと顔が赤く染まる。 そんな表情を見せられたら余計恥ずかしくなって、つい俯いてしまった。 下に落とした視線の先で、ぎゅ、と春の手が強く、握り返してきた。 その問いかけに、応えるように。 「うん」 たった一言、頷いただけ。 すごく、シンプルな返事。 でも見上げた顔がすごく嬉しそうに笑ってて、私もつられたように笑顔に変わる。 わたし、やっと春の彼女になれるんだね。 いとことか、家族を言い訳にしなくてもいいんだね。 「恋人らしいことは、明日からだね」 「……らしい、こと」 「なに想像したの?」 「してないし!」 おどけた口調にそっぽを向く。 それでも繋いだ手が離れることはない。 恋人つなぎとか、そんな類のものじゃない繋ぎ方。 私達は、今日はまだ家族のまま。 でも明日からは、新しい関係が始まる。 家族とも違う、いとことも違う関係が。 様々な想いが交差する、桜舞う道で。 私は春と手を繋いだまま、終わりから始まる関係に胸をときめかせていた。 (了) トップページ |