家族2 ・・・ 「ごめんねえ、もかちゃん。あのおっさんが迷惑掛けて」 夕食後、キッチンで後片付けをしている最中に言われた一言に、私はぶんぶんと首を振る。 「い、いえ、こっちの方こそすみません」 申し訳なさそうに笑う表情に胸が痛む。 むしろ、そんな言葉を言って貰えること自体が恐縮だと思う。 2人は今朝、日本に一時帰国した。 本来であれば年末に帰国する予定だったはずが2月まで延びてしまい、今日、やっと我が家に帰ってこれた。 聞けば、飛行機の乗り継ぎで計15時間以上揺られていたそうだ。 遠い滞在先から長時間かけて帰ってきたのだから、疲労だって溜まってる。 お家でゆっくりしたいと思っていただろうに、無理やり私達の話に付き合わせてしまった挙句、突然の『交際したい』宣言だ。 おじさんもおばさんも目を丸くしていた。 当然だと思う。 ちなみに今日は金曜日。 平日なんだから通常通り授業はあるわけで、医大の入試が間近に迫っている春も、友達と一緒に学校へ向かっていった。 そして私は、朝から夕方までバイト三昧の日々。2月から、家庭学習期間に入ったからだ。 もう高校へ行く機会はほとんどない。 2月末にある卒業式の予行練習と、3月の本番のみだ。 春との事を伝えなきゃ、そう思ってはいたけれど、別に今日告げる必要はなかったんじゃないかと思う気持ちもあった。2人とも疲れているなら、尚更。 でも、急に海外へ行ってしまう可能性だってあるし、春の入試も目前に迫っている。 3月になればすぐ高校の卒業式で、それが終われば、今度は合格発表が待ち受けている。 変に長引かせてしまうよりは、卒業後に交際の意思がある事だけでも先に伝えようと、春は言った。 その春は今、自室で受験勉強中。 入試まで残り10日、最近はずっと自室に閉じこもっていることが多い。 夜遅くまで部屋の電気がついてるし、寝不足のせいで目の下にクマができている。 体調とか心配だったけれど、春は今頑張ってるんだから、何も言わずに見守る事にした。 郁兄も同じ心境だったのか、何も言わなかった。 ちなみにおじさんは今、ふてくされて寝ています。 「おじさん、本音は反対なんでしょうか……」 そう呟く私の声は弱い。 反対されるだろう事はある程度予想はしていたけれど、いざ真っ向から拒否されると、やっぱり悲しい。 最後は一応認めてくれたけど、渋々、といった感じだった。 本当は、自分の大事な息子と私が一緒になる事に嫌悪感があるのかな……って思うと、ものすごく申し訳ない気持ちになってくる。 でも、おばさんは「違う違う」と笑いながら手を振った。 「あれはねえ、可愛いもかちゃんを息子に取られて拗ねてるだけだから気にしないで〜」 「………」 そうなのかな。 もしそれだけなら、私は嬉しいけれど。 「もかちゃんはね、私達の大事な娘で家族だけど、あの2人から預かり受けた人様の娘さんだって認識も、やっぱり心の中にずっとあって」 「……はい」 人様の、なんて言ってごめんね、と付け加えて。 「だからね、大事に大事に預かった娘さんに、自分の息子が何かしたらどうしようって思いも、あの人の中にはあると思うの。そんな事になったら、あの2人にどう詫びたらいいんだ、って」 「………」 「まあでも、子離れできてないハゲたおっさんの戯言だから。自分達のしたいようにすればいいんじゃないかな〜」 「………」 何気におじさんに対してキツイ。この家族。 「おばさんは、反対ですか?」 「あら、私は全然よ。春樹がずっともかちゃんのこと好きだったのは知ってるからね〜」 「……そ、そう、ですか」 直接言われると恥ずかしい。 「でもまさか、もかちゃんも……っていうのは、予想してなかったかなー」 「………」 私も、そう思う。 春との関係が始まったのが2年前。 あの日以来、私の中で確実に、春の存在が大きくなっていった。 もしあの日、失恋した日に春にキスされていなかったから、きっと今も、春とは普通の家族のままだったはずだ。 春の気持ちに気づくこともなく、恋愛感情を抱くことも、絶対になかった。 人を好きになるキッカケなんて、本当にいつ、どこに転んでいるかわからない。 「郁也の彼女も見てみたいわねー」 「あ、私見ましたよ。可愛い人でした」 私があまりにも「彼女見たい」って騒いだからなのか、郁兄が仕事帰りに彼女を連れてきてくれたことがあった。 予想していた彼女のイメージとはかけ離れた、むしろ、全く真逆の人。仕事できる系の美人さんが来るかと思いきや、現れたのは、背がちっちゃくて顔もお人形さんみたいに可愛い女の人。水森です、と名乗ってくれた。 同じ会社で働いている同期の人みたい。 華奢な見た目とは裏腹に、すっっっごく食べるの! びっくり。 年末も、家に遊びに来てくれた。 大晦日とお正月は、私と春と、郁兄と、彼女の水森さんと4人で過ごした。 年越しそばとか一緒に作って食べたりして、楽しかったな。 この家には本当に、沢山の思い出が詰まってる。 そのほとんどが、楽しい記憶ばかりだ。 手放さなければならない、大事な居場所。 その日はもう、目前に迫ってる。 「あと少しで、みんなこの家から出て行っちゃうのね。寂しくなるな」 「そうですね………、あ」 そうだ。 ずっと、何か大事なことを忘れているような気がしてたんだけど、思い出した。 春との交際をおじさんに認めてもらうことに必死で、もうひとつ、大事な話をしていなかった。 というか多分、春も忘れてるっぽい。 「あの、おばさん」 「なあに?」 「えっと、すっかり言い忘れてたんですけど」 大事な事だから、私から話しておかなきゃ。 そう思って口を開いた私が声を発するのと、キッチンにおじさんが入ってくるのは、ほぼ同時だった。 「うぅ……母さん胃薬をくれ……もうだめだ精神的ダメージが……あああ俺のもかちゃんが……」 「4月から春と同棲しようと思ってるんですけど」 「……………………。」 直後、背後でガタッと音がした。 私とおばさんが、入口を振り返る。 視線の先に、白目をむいて後ろにぶっ倒れていくおじさんの姿があった。 「あらあら」 「………」 …………タイミング悪いです。 ・・・ ここは、とある悪魔が住まう館の前。 嘘です。郁兄の部屋の前。 「こんこん」 「口で言ったらノックじゃないだろ」 「はいりまーす」 その突っ込みに触れることなく、ドアを開く。 ベッドを背もたれにしながら、郁兄はスマホをいじっていた。 その隣に近づいて座る。 「チョコいる?」 「いる」 「水森さんから貰ったなら私の要らないよね」 「いるっての」 ん、と手の平を向けられて催促される。 その上に、本日の主役をポン、と置いた。 愛らしいラッピングに包まれた中身は、なんと私お手製のもの。 友達から「手作りチョコを作りたいからやり方教えて」とせがまれて、一緒に作ったガトーショコラだ。 どうせだったら気合入ったもの作ろう、なんてノリで作った、チョコスイートの定番もの。 しっとり濃厚で、でも重過ぎない最高の出来上がり。誰かにあげるのがもったいないくらい。 可愛くラッピングをして、バレンタイン用のシールも貼った。 スーパーで売っているものよりも、遥かに手が込んだ仕上がりに見える。 「義理ですよ」 「わかってるし」 どーも、と素っ気無い返事が返ってくる。 せっかく丹精込めて作ったのに、もうちょっと嬉しそうな顔してもいいんじゃないですかね! とはいえ、これが郁兄のスタンスなので何も言わないでおく。 毎年この時期になると、私は多忙の身を極める。 料理もお菓子作りもプロ級の腕前は、クラス中の女子からも絶賛の嵐なんだから。 手作りチョコも、ケーキだって、私の手に掛かれば余裕です。 かくいう私も例外ではなく、毎年この日には、春と郁兄とおじさんにチョコをあげている。ついでにおばさんと友達にも。 バレンタインデーに、好きな人にチョコをあげるっていう形式は、もう古い。 あげたい人にチョコをあげる。今時の女子の感覚はそれに近くて、身構えるほど重い行事でもなくなった。 それでも私は、クラスの男子にバレンタインチョコをあげたことはないけれど。 「ホワイトデー、期待してまーす」 「はいはい」 1ヵ月後のお返しを催促して、腰を上げた時。 「お前、結構言うな」 「え?」 「親父との事」 はたり、と瞬きを落とす。 何のことだろうと一瞬考えて、春と交際したい旨を告げた時のことかな、と思い至る。 好きな人に、好きって伝えられる事って、それだけで幸せなことだと私は思う。 明日にはもしかしたら、伝えられなくなるかもしれない。そんな未来は考えたくないけれど。 好きって伝えたい時に、伝えられる相手が側にいない辛さは、誰よりも知ってるつもりだから。 「ちょっと、感動した」 「本当ですか」 「おう」 「ありがとうございます。感動しながら人のプリン食べやがったんですねこのやろう」 「焼きプリン買っておいたから」 「焼いたのはやなの! 生がいいの!」 「はいはい」 さっさと春樹んとこ行け、と追い払われる。 むっとしながら立ち去ろうとした時、あ、と郁兄に引き止められた。 「もか、アレ喋ったのか?」 「アレって?」 「同棲」 「あ、えーと」 思わず言い淀む。 4月から春と同棲したいって、郁兄には既に伝えてある。郁兄が彼女を連れてきた時に、思い切って打ち明けたから。 「いんじゃね」と、あっさり許可されたけど。 おばさんにもその意思を伝えたけれど、運悪くその話を聞いてしまったおじさんは、そのまま失神してしまった。 仕方ないわねーなんて言いながら、うんうん唸るおっさん1体をズルズルと引きずっていくおばさんは、いつだってマイペース。 リビングの床に、ごろりと転がしていた。 中途半端に話が終了してしまったから、それ以降、この話はしていない。 「あー、それはもうだめだな。しんだわ。ストレス性ショック死だな」 「勝手に殺さないでよ。可哀相だよ」 「今さらだろ」 「さっきも頭のことからかわれて、部屋の隅っこで泣いてたよ」 「面白かっただろ」 「面白かったけど」 なんて、正直に言ってしまう私も大概ひどい。 おじさんは、この家ではいつもいじられキャラとして確立している。 「でも、その様子なら反対されるだろうな」 「……そうだね」 やっぱり、同棲はまだ早いよね。 だって私達、まだ交際すら始まっていない上にお互い未成年だもん。 反対されるのは当然かもしれない。 今は、交際を認めてくれただけでも良かったって思わなきゃ。 そう前向きに捉えて顔を上げる。 と、郁兄は何やら考え込んでいる様子。 「どしたの」 「いや、なんでもない」 「?」 「それよりいいのか、春樹んとこ行かなくて」 はぐらかされて、再び追い出される。 妙な合間が気になったけれど、問い質したどころでヤツは口を開かないだろう。 だから気にしないでおいた。 もうひとつのチョコを片手に、2つ隣の部屋の前に立つ。 「こんこん」 「……何それ? キツネの真似?」 中から椅子の軋む音と、微かな笑い声が聞こえた。 「ノックの音です」 「ああ、なるほど」 「入ってもいい?」 「いいよ」 承諾を得て中に入る。 机の上には受験対策用のプリントや参考書がたくさん積まれていた。 ずっと机に向きっぱなしだったのだろう、私が来たことで一旦集中力が切れた春は、椅子に座ったまま、腕を伸ばして体も伸ばす。 「……疲れた」 力なく下ろされた腕。 その表情からは、疲労の色が滲み出ている。 「大丈夫?」 「うん。あと少しの辛抱だから」 「ラストスパートだね」 「そうだね。交際も認めてもらえたんだから、絶対合格しないと」 そう言って春はにこやかに笑う。 頑張る理由がそこでいいのかな? ってチラリと思ったけれど、春のやる気に繋がってるならいいや、って無理やり自分を納得させる。 「それって、チョコ?」 私の手に握られた包みに、春が視線を落とした。 春が学校へ行った直後を見計らって、作り始めたのはトリュフチョコ。バイトの時間も迫っていたから、時間が押している中、急いで作ったもの。 夕方に帰ってきてからラッピングをして、春が帰ってくるまでに完成させた。 こういう時、料理が得意でよかったと思う。 手際が良くなるもんね。 おじさんとおばさん、そして郁兄には、友達と一緒に作ったガトーショコラを渡したけれど、春のだけは中身が違う。 1人だけ違うとか、ちょっとわざとらしくて恥ずかしいけれど、みんなと同じものだけは避けたかったから。 「俺宛てだよね?」 「そうだよ。いる?」 「いる」 素直な返事に笑いながら手渡した。 「ありがとう。ちなみに本命だよね?」 「うっ」 思わぬ切り返しに頬が熱くなる。 なんだろう。最近の春は、本当に強気だ。 「……去年からずっと本命です」 そう伝えれば、春は嬉しそうに笑った。 ちょっとだけ顔が赤く染まってて、でも、私は春以上に、もっと真っ赤になってる。 恥ずかしい。 いつまでも初々しいばかりじゃいられないし忍耐つけなきゃって思うんだけど、うまくいかない。 私は今日も、春に翻弄されっぱなしだ。 その後は、一緒にチョコを食べた。 春に食べてほしくて作ったのに、春は少しだけ手をつけた後、残りを私の口元へ持ってくる。 あーんして食べさせてもらうとか、ただのバカップルですねわかります。 そう思いながらも、大人しく餌付けされる私。 春はやっぱり私に甘い。 2月ももう、残り僅か。 あと2週間と少しで、私達は学生を卒業する。 トップページ |