幸せの代償1


 最近、社内で水野さんを見かける機会が多い。
 いや、違う。今までは彼女が誰なのかも知らなかったから、単純に視界に入らなかったんだ。たとえば廊下ですれ違うとか、社員食堂で近くに座るとか、そんな場面は何度もあったんだろうけど気に止めてはいなかった。
 全くの他人だった彼女と関わってしまえば、それなりに意識するようになる。水野さんは男女問わず人気者のようで、誰かしらにすぐ声をかけられるような光景はもう見慣れてしまった。
 彼女の周りは常に人で賑わっていて、場が盛り上がっている中心には水野さんがいる。まるで村瀬みたいな子だと思った。

 幼さの残る顔はとびきり美人ではないけれど、パーツバランスは整っている方だと思う。ぱっちりとした大きな瞳が印象的で、愛嬌溢れる笑顔は誰よりも人を惹きつける。それを本人が自覚しているのかはわからないけれど、誰に対しても常に笑顔を保てるのは、ある意味才能だと思う。俺にはとても無理だ。

 ただ───……
 あんな風にいつも笑っていて、逆に疲れないのかな。なんて疑問に思うけど。


・・・


「冴木くーん」

 退勤後、会社のエントランスを出て職場近くの公園を通り過ぎようとした時。背後から声を掛けられて足を止めた。

 目を向けた先には、噴水で水遊びをしている子供達の姿が見える。躍動感のある水の動きと音に、多くの人達が涼んでいる光景が広がっていた。
 その噴水の前に設置されているベンチに、見覚えのある人物が座っている。俺に向かってひらひらと手を振っていて、それに応える形で片手を挙げて近づいた。

「……水野さん、お疲れ様」
「おつー」

 俺の素っ気無い挨拶に、何とも簡素な挨拶で返された。そういえば彼女と初めて会話した時も、村瀬に対してこんな挨拶を返していた気がする。
 若干頭の弱そうな言葉遣いなのに、何故かあまり嫌な気がしない。それは彼女の気さくな人柄と、この笑顔のせいだろうか。

 ぽんぽん、と隣のスペースに誘われて、俺は素直に腰を下ろす。彼女の手には、謎の紙袋が握られていた。

「水野さん、それ何?」
「あー、これ? この子達にご飯あげてるの」

 水野さんの視線の先にいたのは、公園や駅前でよく見掛ける生き物。辺りを見渡せば、ベンチの周辺には数匹の鳩が頭を振りながら歩いている。その紙袋は公園内の売店で売られている餌だったようで、水野さんの手から撒かれるであろう好物を、今か今かと待ちわびている風に見えた。

 数年前までは無料で販売されていた鳥の餌も、今では有料化になり種類もかなり減ったようだ。お陰で餌を与える人は少なくなり、年々、鳩の数も減少していると聞いたことがある。

「来年の4月から、餌やりが完全禁止になるんだよね」
「そうなの?」
「うん。売店も全部撤去するみたい」

 そう告げる彼女の表情は少し寂しげだ。

「どうして餌やり禁止になるのかな」
「あーそれね。餌やりをすると、やっぱり鳩の数が増えちゃうから。そうなるとフンの被害も増えるし、清掃も大変になるし。衛生的にも良くないよねーって事みたい」
「そっか……最近じゃ、鳥インフル感染症も問題になってるし」
「うん。それに、人の手で餌を与える習慣がついちゃうと、野生動物が自力で生きられなくなっちゃうのも問題みたいだよ」
「野生動物は自然の中で過ごすのが一番だってよく言うからね」
「あーあ、ここで鳩ぽっぽに餌あげるのが就業後の癒しタイムだったんだけどなー」

 ぱっと水野さんの手のひらが開く。パラパラと餌がばら撒かれた場所に、鳩が一斉に集まってきた。

「……いつも餌あげてるの?」
「いつもじゃないけど、たまにね」
「ふーん……」

 なんというか、意外だった。陽キャなイメージが強かった水野さんだけど、仕事終わりに1人で公園に来て、鳩に餌やりをしているイメージが全然なかったから。
 公園のベンチで一緒に座っていても、黙々と餌やりをしている彼女を傍らで見つめても、目の前の光景に実感が伴わない。本当にこの人は水野さんなのかと疑うほど、社内での彼女と隣の彼女の雰囲気が違う。口数も少ないし、もしかしてまた仕事でミスって落ち込んでいるんじゃないかと勘ぐってしまう。けれど隣を盗み見しても、表情が沈んでいるようには見えなかった。

 まあ彼女だって人間だし、ずっと笑顔で居続けるのも限界があるだろう。人前では明るく接しても、1人になった途端、電池が切れたように素に戻るタイプなのかもしれない。

「冴木くん、この間はありがとうね」
「……え、俺何かした?」
「ほら、村瀬くんにUSBメモリ渡してくれたでしょ? 本人から連絡来てた」
「ああ……うん。俺はただ渡しただけだし、お礼とか別にいいよ」
「いや、助かったよ。てか、村瀬くんと一緒に帰るわけじゃないんだね」
「え?」
「なんか、2人っていつも一緒にいるから」

 ギクリと心臓が跳ねる。うっかり鞄を落としそうになって、慌てて持ち手を握り締めた。その一言に特別な含みなんてないとわかっていても、動揺を隠しきれなかった。
 俺と村瀬はいつも一緒にいるように、周りから思われているんだろうか。村瀬に一番近いのは自分なのだと認められたようで、ふわりと嬉しさが込み上げる。けれどすぐに、浮上した気持ちは急降下した。

 村瀬には絶対に気づかれてはいけない、積年の想い。この想いは墓まで持っていくのだと決めていたのに、当の本人は既に気付いていた……かもしれない。
 ずっと保ってきた均衡が崩れてしまうことを恐れて、あれから村瀬とは微妙に距離を置いている現状だ。今日だって飲みに誘われたけど、なんだかんだと理由をつけて断ってしまった。
 今はまだ、村瀬と2人きりになるのが怖い。

「さーて、そろそろ行くか」

 空になった紙袋をゴミ箱に入れて、立ち上がった水野さんを見上げる。

「冴木くん、帰る途中だったんでしょ? USBのお礼言いたかっただけなんだけど、引き止めちゃってごめんね」
「いや……いいよ。別に用事もないし」
「帰りは電車?」
「うん。水野さんは?」
「私も電車だけど、今日はまだ寄るところがあるから。冴木くんとはここでお別れだね」
「……え、今度はどこに行くの?」

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