元彼


 大学1年の春、生まれて初めて彼氏が出来た。
 その人は同じ中学・高校に通っていた同級生。偶然にも6年間同じクラスで互いの席も近く、選択授業も所属していた委員も同じという腐れ縁。得意不得意な教科も一緒、成績順位も大体同じ、ちなみに漫画を読むのが趣味で、ゲームが得意なところまで一緒だ。共通点が多いお陰もあって、授業の合間の休み時間は2人でよく話していた記憶がある。中学高校を通して一番親しい男子だった。
 とはいえ、さすがに大学まで同じとなれば不思議な縁すら感じてくる。私達って離れたくても離れられない星の元に生まれたのかもね、なんて冗談めかして言った言葉に、「じゃあ付き合う?」なんて返事が返ってきたときは驚いた。何をどう解釈したらそんな結論が生まれるのかも謎だし、そもそも私達の間に恋愛感情なんてなかった。……なかった、と思う。少なくとも、私にはなかった。
 6年以上も一緒にいるのに、相手が何を考えているのかわからなくなってしまった。何故なら彼も、私に恋愛感情を抱いているようには見えなかったからだ。今まで異性を意識させるような発言を聞いたこともなかったし、思わせ振りな態度も見たことがない。仲が良いと言ったところで、ただの知人。所詮、中学高校の元同級生に過ぎなかった人だ。
 そんな人に、何故か男女の関係を迫られた。
 躊躇ったのはほんの数秒。

「……うーん、まあいいよ」

 軽い気持ちで受け入れてしまったのは、気が緩んでいたせいかもしれない。一緒にいた時間が長かったせいか、相手に警戒心を持てなかった。彼と居る空間に私は慣れすぎていて、彼と付き合うという実感が正直なくて。でも嫌いじゃないし、他の男と付き合うよりはマシだし、まあいっか。なんて。
 思えばすごく失礼な思考回路だけど、あんな風に軽いノリで言われても、相手が本気で言っているとは思えなかった。私も彼も高校卒業したばかりの18歳、そして出会いの春。彼も年頃の男だ、恋人と呼べる存在が純粋に欲しいのだろうと思えたんだ。その相手に、たまたま気の合う私を選んだだけで。

 だから私も、同じような軽いノリで承諾した。
 形だけの恋人契約。
「じゃあよろしく」と一言だけ返した男の顔は、私がよく知る元同級生の顔だった。
 いつもと何ら変わらぬ態度で飄々としていて、とてもじゃないが、想いが通じて嬉しそうにしている人の表情には見えなかった。



・・・



「……いや、なんでいるの」

 玄関ドアを開けて早々、発した一言がそれで。
 しかめっ面になった私に、奴は人のベッドに寝転びながら呑気に漫画を読んでいた。
 その漫画の持ち主は勿論私で、この部屋も、私が住んでいるマンションの一室だ。

「おかえり」

 仰向けのまま、漫画から顔を離した男と目が合う。凛とした綺麗な瞳にすっと伸びた鼻筋、そしてパーツバランスが整った顔立ちは、女の私でも負けてると認めざるを得ない程に素晴らしい。
 大学を卒業し、社会人となった今でもその顔の出来は健在で、妖艶な雰囲気も相まって常に注目の的だ。けれど感情を表に出さないクールさが裏目に出ることも多く、言い寄ってきた女と付き合っては酷い別れを繰り返していると噂に聞いていた。

「おかえりじゃないよ。なんでここにいるの」
「暇だったから遊びに来た」
「今何時だと思ってんの」

 時間は既に23時。こんな夜更けに、一人暮らしの女の元に無断で訪れるなんてありえない。常識に欠けている。しかも勝手に部屋に上がり込んでいるんだから呆れてしまう。
 なら今すぐ追い出してしまえばいいのにそれが出来ないのは、私にとってこの男が特別な存在だからだ。

「それはこっちの台詞。こんな時間に部屋の鍵も締めないでどこ行ってたんだよ」
「あれ、開いてた?」
「開いてた」
「まじか。うっかりしてたわ」
「どこ行ってたの」
「コンビニ」
「ふーん」
「興味ないなら聞くな」
「男の所かと思ったんだよ」
「……」

 真摯な眼差しが肌に突き刺さる。ひしひしと感じる言葉なきメッセージに気づきながらも、私は何も応えなかった。チェーンロックを掛けてから部屋の中に入り、キャビネットの取っ手を引く。コンビニから購入してきたものを仕舞い込む私の様子を、彼──竹井隼人は黙って見ていた。

「……何買ってきたの?」
「指定のごみ袋と、あと輪ゴム」
「なんだ、あっちのゴムじゃなかった」
「ばかじゃないの」

 中学生か。そう突っ込まずにはいられないほど低レベルな下ネタだ。人前で下品な発言なんて、普段であれは口にしない竹井だけど、唯一私の前では砕けた一面も見せてくれる。それは社会人になった今でも変わらない。

 そう、何も変わっていないんだ。私達は。

 大学1年の春、軽いノリで男女のお付き合いをしてみたもの、結局長くは続かなかった。数ヵ月経っても私達の関係は平行線のままで、キスもしなければ手を繋ぐこともない、セックスなんて当然あるわけがない。休日に会おうなんて意識も持てなかったから、デートもした事がない。お互い干渉しないにしても、あまりにも淡白すぎる付き合い方をしていた。男女交際とは程遠い。
 ただ単に恥ずかしかっただけ、怖くて手出しできなかっただけ、なんて可愛い理由があるなら、まだ救いもあった。私達の場合はそれ以前の問題だ。デートもキスも、それ以上のことも、竹井としたいなんて微塵も思わなかったし、竹井も同じように思っていたと思う。でなければ、恋人らしいことのひとつやふたつ、あの頃に出来ていたはずだから。

 何の前触れもなく始まった竹井との交際は、ただただ違和感しかなかった。同級生だった男はやっぱり、元同級生でしかない。竹井と付き合うのはなんか違う、そう思った私は結局竹井を振った。竹井もわかった、としか言わなかった。
 けれど話はここで終わらない。僅か半年で友人同然に戻った私達の縁は、別れた後も途切れることがなかった。合コンの場で偶然鉢合わせた事もあったし、途中参加したサークルまで一緒だった。そして大学を卒業し就職に至った今、共に同じ会社に勤めている社員同士だ。さすがに部署は違ったが。
 ここまで偶然が重なると、新たな疑念が生まれ始める。コイツ実は私のストーカーなんじゃないかと思ったけれど、「んなキモい事するかよ」と竹井にあっさり一瞥された。「むしろ北川が俺のストーカーなんじゃね」とまで言われた。こんなところまで考えることが一緒の私達だ。

「これ面白いな」

 再び漫画に視線を戻した竹井が呟く。漫画好きが講じて仲良くなった私達は、大人になった今でも漫画やゲームネタで盛り上がることが多い。
 竹井が手にしていたのは、少年漫画誌で人気連載中の漫画。アニメ化のお陰で爆発的に大ヒットした原作本だった。

「でしょ。私もアニメ観てハマったの」
「何巻まであんの」
「今月に新刊出て、今18巻」
「結構あるな」
「私全巻持ってるよ。貸そうか?」
「いや、いい。ここで読んでく」

 ぱらりとページをめくる音が、私の思考を停止させる。ここで読んでくってアナタ、ここ私の部屋なんですけど。まさか泊まる気なのかと疑った時、胸の中に苦いものが広がった。

 ……何も変わっていない、こともなかった。半年ほど前からだろうか、妙に竹井が距離を詰めてくる瞬間がある。事あるごとに、やたらと強気な発言をしてくるようになった。こんな事、付き合っていた当時ですら無かった珍事件だ。
 今日だってそうだ。今まではこんな風に、気軽に私の部屋に来るような奴じゃなかった。なのに今では何食わぬ顔で、こんな真夜中にやって来る。あまつさえ、不法侵入すらしてしまう始末だ。
 それを許してしまう私も私だけど、何もこんな夜遅くに来ることもないだろうに。

『男の所かと思ったんだよ』

 その発言の裏に隠された、竹井の真意。
 本当は気づいてる。思わせぶりな態度も謎めいた発言も、私の気を引くためにわざとしてるって事ぐらい。気づいていて、知らない振りをしているのは私の方だ。
 今まで私に興味を示さなかったのに、別れた後も友達のように接してくれていたのに、今頃になって異性を意識させるようなことを言われても困る。どう反応していいかわからない。



 ──別れてから2ヶ月後、竹井は別の女の子と付き合い始めた。
 その話を友人から聞いたときは安心した。本気で好きだと思える子と出会って交際に至ったのだと思ったからだ。
 元同級生と言っても元彼ではあるし、仲が良い事に変わりはなかったから、彼に対してそれなりの愛情は持っている。なら今度こそ、私以外の女の子と幸せになって欲しいと願った私の思いは、けれどあっけなく打ち砕かれた。私と別れてからの竹井は、色んな女の子と関係を持ってはすぐに別れる、といった行為を何度も繰り返していた。
 私との付き合いも素っ気ないものだったけど、別れた後の竹井は、女の子との付き合い方がより軽薄になった。まさに「来るもの拒まず去るもの追わず」といった状態で、そこに竹井の意思はない。数多い元カノにも今カノにも、なんの興味も示さない。ただ付き合いたいと女が言うから付き合うだけ、別れたいと言うから別れただけ。これでは私の頃と全く変わらない。いや、私以上に酷い。クズの極みだ。
 でも、だからって私には何も言えない。「そういう付き合い方は辞めた方がいい」なんて偉そうに言えた義理じゃない。「先に振ったのは北川の癖に何様だよ」って責められるのが目に見えている。恋愛感情もないくせにその場のノリで承諾した挙げ句、勝手な理由で振ったのも私なんだから。私もクズ同然だ。
 それ以前に、竹井と話すのは凄く楽しいんだ。
 楽しいのに、わざわざ気まずくなるような話題を振ることもない。だから色恋の話題は自然と避けていた。男女の関係が終わったところで私達は何も変わらないと思っていたし、実際に何も変わらなかった。──半年前までは。

「……竹井、その漫画貸してあげるから。今日は帰りなよ」
「なんで」
「アンタがいたら私が寝れないでしょーが」
「いいよ寝てても。俺勝手に読んでるから」

 ああ言えばこう言う。私はわざとらしくため息をついた。今の竹井と一緒に夜を過ごせるわけがない。

「……人のベッド占領しといて寝ろってどの口が言うのよ」
「……」
「おーい無視すんな竹井」
「……うるせ。集中できない」
「漫喫に行って読めばいいじゃん。ほら返して」

 これ以上は耳を貸さない。そのつもりでズカズカとベッドへ歩み寄り、竹井から強引に漫画を奪った。

「捕まえた」
「え、」

 突然手首を捕まれて、強引に引き寄せられた。
 逆らえない身体は竹井の胸に倒れこみ、衝撃でつい漫画を手離してしまう。不自然にカバーが外れた漫画はバサバサッと音を立てて滑り落ち、次いで静寂が落ちた。
 一瞬の出来事過ぎて動けずにいる私の身体は、その直後、くるりと急回転する。捕まれた両手首が布団に沈み、竹井の脚が私の膝を割った。
 覆い被さってきた竹井に見下ろされて、息が止まるかと思った。

「……えっ、ちょっと竹井何して」
「あのさ」

 私の呼び掛けを遮るように、抑揚のない声が耳に届く。

「ヨリ戻したい」

 その一言に、心臓がどくんっと大きく脈打った。

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