寝起きにしちゃうお話。1


 ───目が覚めたら視界が真っ白だった。

「……ふえ?」

 もふもふした柔らかいものが、鼻の先と頬を覆っている。その正体が子猫だと気付くまで、少しの時間を有した。
 真っ白い毛並みに、もふ、と顔を埋めてみる。あったかい温もりと猫ちゃんの匂い、ふわふわの感触が頬を包んで、私まで温かな気持ちにさせてくれる。癒し効果はバツグンです。
 均等に切り揃えられた毛並みは触り心地がよくて、普段から丁寧に手入れされているのがよくわかる。

 いつも綺麗にしてもらってるんだね、かき揚げ丼。
 女の子だもんね。
 彼と一緒に暮らしてるあなたが羨ましいです。

 そしてすぐ隣に感じる、人の気配。
 それが誰かなんて、見なくともわかってる。
 でも寝顔を見たくて、私はかき揚げ丼から顔を離した。
 見上げた先にあった表情は普段よりあどけなくて、思わず笑みが零れてしまう。
 大好きな人の寝顔が見られるなんて、贅沢すぎる幸せです。


 静かに寝息をたててご就寝中のこの人は、私が通っていた高校の先生で、今は彼氏。
 私はこの人にとって、元教え子。
 私の高校卒業を機に、正式に付き合い始めたばかり。


 朝の日差しが射し込む中、傍らの温もりに寄り添ってまどろむ。薄暗い部屋の中に、気持ちの良さそうな寝息がふたつ。コチコチと、時計の針だけが静かに時を刻んでいく。

 ──幸せだなあ。

 ひとつの毛布に、わたしと、先生と。
 そして先生の飼い猫の、かき揚げ丼がいる。
 こんな素敵な朝が迎えられるなんて、1年前は想像すらしていなかったね。



 先生と出会ったばかりの頃の私は、色んなことが嫌になっていて、ずっと暗闇の中を彷徨っていた。
 泣きたいのに我慢して。
 苦しいのに溜め込んで。
 頑張っても空回りばかり。
 誰にも頼れなくて、弱音も吐けなくて、先の見えない明日にずっと怯えながら過ごしていた。

 聞いてる? 高校生の私。
 あなたの1年後はこんなにも笑顔で溢れてるよ。
 こんなにも幸せでいっぱいだよ。
 全部、ぜんぶ、この人のおかげ。
 だからもう、素直に泣いてもいいんだよ。

 出来ることなら1年前にタイムスリップして、まだ高校生だった頃の私に向かって言いたい。
 必ずあなたを見てくれている人はいるよって、伝えたい。






 視界が明瞭になるにつれて、思考も少しずつ働き始める。今、何時だろう。

 今日は土曜日で、世間は休日。
 それは私も同じ。
 でも先生は仕事が溜まってるから、学校に行かなきゃいけないみたい。

 ──起きなきゃ。

 昨日は先生の言葉に甘えて泊まらせてもらったけれど、さすがに2日続けてお世話になるわけにはいかない。

「……せんせい」
「……ん…?」
「朝ですよ」
「……ん」

 長いまつ毛がぴくっと動いて、薄く瞳が開かれる。

「………あさ?」
「朝です」

 私の呼び掛けに、ぽつりと返ってきた呟きは寝起きのせいか掠れている。色素の薄い綺麗なお目めもトロンとしてる。すごく眠そう。
 朝に弱い先生は、カーテンの隙間から射し込む太陽光を避けようと、もぞもぞと毛布の中に潜り込もうとしてる。かわいい。
 髪もくしゃくしゃで、いつもの爽やかさはそこには無い。
 普段の彼からは想像できない、その気怠そうな姿が妙に愛らしく見えて、母性本能をくすぐられてしまう。
 その直後、先生の眉間に思いっきり皺が寄った。毛布の中に頭をすっぽり被ろうとして、もふ、とかき揚げ丼に顔を埋めてしまったから。

「………」

 無言のまま伸ばされた先生の手が、かき揚げ丼の首根っこを掴む。
 そして、ポイ、っと毛布の上に放り投げた。

 ああ、かき揚げ丼が………。

 私の心の叫びも虚しく、宙に浮いたちっちゃい体は毛布の上をころころと転がっていく。
 そしてベッドから落ちた。
 転がり落ちた床の上で、かき揚げ丼は四肢をおおっぴらに広げたまま、その場ですやすやスピスピと眠っている。
 起きない。すごい。
 妙な感心を抱いていたら、不意に先生の手が、今度は私の腕を掴んだ。

 ゆっくりと胸に引き寄せられる。
 ぎゅっと抱きしめてくる腕の中は、ぽかぽか温かい。

「……先生」
「ん」
「かき揚げ丼、あんな風に投げたら可哀想です」
「邪魔だったから」
「それは投げていい理由にならないです」

 それに邪魔じゃなかったもん。

 そう反論しようとした私の唇に、先生の唇がそっと押し付けられる。
 途端にかき揚げ丼の存在が頭の中から抹消されて、唇に意識が集中してしまった。ごめんなさい、かき揚げ丼。

 静かに落とされた口付けはとても甘くて優しくて、唇から直に先生の想いが流れてくる気がする。愛情のこもった触れ方が嬉しくて、私も抵抗することなく、その熱を素直に受け入れた。
 お互いに寝転びながら、啄ばむようなキスを何度も繰り返す。不意に先生の唇が、悪戯に私の下唇をはむ、と挟めてきた。

「……それは、食べられません」
「美味しそうだったから、つい、ね」

 すっかり目が覚めてしまったらしい先生は、小さく笑いながら、私の腰に両腕を回してきた。
 そのまま、グイッと体を持ち上げられる。
 え、と目を見開いた時には、彼の体の上に乗せられていた。
 いつの間にか後頭部に添えられていた手にゆっくり誘導されて、私と先生の顔が近づいていく。

「っん」

 唇が重なる。
 先生が覆い被ってきてキスされるのは何度かあったけど、自分がする側になったのは、初めて。
 テク? なんて何も持ち合わせていないから、ぴた、と唇をくっつけてるだけの状態。

 ……でも、なんか違う。

 先生がくれるキスはもっと……啄んできたり、角度変えてきたり、し、舌入って、きたり、とか……自分で言ってて恥ずかしいけれど、とにかくバリエーションに富んでる。
 私も、先生がいつもしてくれるようなキスが、してみたい。
 謎のやる気スイッチが入ってしまった私は、寝起きで正常な判断力が欠けていたのかもしれない。今なら何でも出来る、そんな気になってしまった。

 先生の薄い唇の合間を縫うように、舌先でゆっくりなぞってみる。
 それは先生が、私に時々してくれる癖。
 深いキスがしたい時、先生は唇を軽く舐める事で、私に合図をくれる。
 だから私も、先生と同じように意思の疎通を図ってみた。

 私の意図を感じ取ってくれたのか、先生が少しだけ、口元を緩めてくれる。
 僅かに開いた隙間に恐る恐る舌を差し入れれば、先生の舌先とちょん、と軽くぶつかった。
 あとは自然と互いの感触が絡まって、濡れた音が咥内で響き始める。

 ―――きもちいい。

 キスって、こんなに気持ちよかったかな。

 歯列をなぞられたり、軽く舌を吸われるとゾクッとして、でもそれすらも快感で、もっともっと欲しくなる。
 舌が絡まる度に甘い疼きが沸いて、先生が好きって感情が膨れ上がっていく。

 数日前、初めて先生と交わした深い口付けは、とにかく息苦しかった。
 キスされたという衝撃と、呼吸が出来ないという辛さしか印象に残っていない。
 頭の中がいっぱいいっぱいで、心に余裕なんて全く無かったから。
 慣れてきた、ってこと、なのかな?
 そんな風に思いながら先生とのキスに酔っていたら、後頭部を抑えていた手が離れて、腰回りをゆっくりと撫で始めた。
 徐々に下へと滑っていく手つきに嫌な予感を覚えて、先生から顔を離して睨みつける。

「へ、変なとこ触らないでください」
「変なとこ?」
「お、おしり」
「えっちな顔してたから、つい、ね」
「してないです。えっちなのは先生です」

 む、としながら反論しても、先生の余裕の笑みは崩れない。

「よく言うね。朝からこんな大胆なキスしておいて」
「う」
「今自分がどんな顔してるかわかってる?」
「え……」
「先生のキスが欲しくてたまらないって顔してるよ」
「………」
「あたり?」

 目の前にある笑みが深くなる。
 何もかも見透かされていて、正直、面白くない。

 それ以上反論もできず膨れっ面になっている私の両頬に、先生の指が触れた。
 人差し指でツンツンしたり、むにむにしたり、 横にぴろーんって引っ張ったりしてる。
 やりたい放題ですね先生。
 楽しそうで何よりです。
 私はほっぺが痛いです。

「よいしょ」
「わっ」

 私の頬で遊び尽くした後、先生の両手が私の体を持ち上げた。
 何故か、彼の顔の上にずらされる。
 すぐ下には先生の額が見えていて、両肘を立てれば、彼の頭まるごと抱き抱えているような状態になる。

 まだキスしたかったのに。
 そんな私の心情など無視して、先生の片手が、今度は私の着ているシャツのボタンに触れた。
 さっき感じた嫌な予感がいよいよもって現実味を帯びてきて、咄嗟に先生の手首を掴んで動きを止める。

「こら。何してんの」
「先生こそ何してるんですか」
「ボタンを外してます」
「見ればわかります」
「この先の予想くらいできるよね?」
「こ、こんな朝から、イヤです」
「こんな朝から、好きな子にえっちなキスされた方の身にもなってください」
「あれは先生が仕向けたんです!」

 口論を続けてる間にも、先生は片手で器用にボタンを外していく。
 離れようとしても、腰に回された片腕に拘束されて動けない。
 あっという間に全てのボタンを外されて、肩からするりとシャツが滑り落ちた。

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