※サイト移転前にリクエスト企画としてやったものです
※野狐禅「東京紅葉」のイメージと神崎というキャラ指定で書きました。

※すぅ様へ どうぞ!!!

【一万未満企画】


おまえにわかるはずがない



 最近のハマりはなぜか450円の近くのラーメン屋のミソとしょう油をとっかえひっかえ食べること。つまりここのラーメン屋は美味い。のに、安い。金がないわけではなかったが、この店のラーメンが美味いと思ったのだからしかたない。最近の昼飯、というか朝飯兼昼飯といったほうが正しいだろう。それは今いるこの、石矢魔の町にあるしがないラーメン屋である。ちなみにカレーライスもやっている。そちらは個人の感想でいえばあまり口に合わない。そう、いってしまえば美味いと不味いの違いは、口に合うか合わないかというだけのことなのだ。味や値段もそうだが、他にも理由があった。その店の出口にあるジュースの自販機にはお茶や牛乳、そしてたまに無性に飲みたくなるヨーグルッチもあるのだ。食後のヨーグルッチはなんとも格別である。
 そんなことを思っている隣で、カレーライスを食べたばかりの大柄の男がバイブと地味な黒電話の着信音を高らかに、彼の胸元から鳴り出すと、持ったばかりのケータイに慣れずわたわたと慌ててからようやくボタンを押し、電話口を耳に当てた。彼のケータイという文明機器の扱えなさこそがノーベル賞ものである。子供でも年寄りでも、彼よりはもう少しまともに扱っているはずである。
「はい、城山……」
 空気が変わる。城山の表情が真剣なものに変わった。神崎は隣の城山を睨みつけるように見上げる。はい、はい、と小さく何度も返事をし、病院の名前を二度、三度繰り返している。最後に「分かりました。すぐ向かいます」とだけ短く告げ、電話をしまった。城山の強張った表情にただならぬものを感じ、
「どうした」
 語尾は上がらない。神崎は城山に問いかけたことなど、過去に一度しかない。神崎は城山に問いかけることなど必要ないと思っている。城山の表情はどこか翳りがある。
「組長が………倒れて運ばれたんだそうです」



*****



「オヤジっ!」
 慌てて入った病室の中で流れた空気はひどく冷たい。神崎一の父親である組長の武玄の様子は倒れて運ばれた、というにはあまり相応しくない。そんな態度であった。病院の安っぽいベッドに座って、病院の者が来れば止められるであろうタバコを窓のそばでパカパカと吸う姿は、今までの武玄氏そのままであった。だからこそ、目の当たりにした息子一は口を開かずにいるのだ。途方に暮れたような、そんな気分で。城山がしばらくしてからようやく声をかけた。
「…げ、元気そうじゃないですか」
 ん、と面倒臭そうに気難しそうなヒゲ親父が振り向く。城山も神崎もそれ以上何もいおうとはしない。とりあえず分かった。組長は無事であると。
「大袈裟な奴らめ。ギックリ腰だ、歳かなぁ…ま、しばらくはここにいることになりそうだ」
 神崎武玄はどこか遠くを見ている。その目を見て、息子一は呆れたように溜息吐く。念のためにと持ってきた着替えセットなどの見舞いの品を押し付けるように置いて、「もうこねぇ」とだけいって病室から足早に出る。その性急な様子に城山も慌てて着いていく。もちろん組長への挨拶は忘れていない。
「どうしたんですか一体」
「ったく、人騒がせなジジイだぜ。あと多分自分好みの看護婦かなんかがいんだろーな」
 そうじゃなければおとなしく入院などするようなタチではない、と神崎がいった。そう思えば呆れて出てきたのも分からないでもない。それでもいくら息子といえどあからさまだと思ってしまうのは、やはり城山が他人だからなのだろうか。
 何はともあれ、武玄が入院などとは他の組のものに知られるわけにはいかなかった。たかがギックリ腰とはいえ、身動きが取れないことに変わりはない。彼がいない間は若頭の手腕が問われることになるのは明白である。そんな緊張感もないのか、神崎はいつもと変わらぬ足振りで元来た道を辿っている。不意に低く神崎がいう。
「誰だ?」
 神崎に対してはとてつもなく鋭い嗅覚を持っていると呼び名の高い城山といえど、急にいわれて理解できるほど天才でもない。はい?と聞き直すと電話をよこした相手のことらしかった。それでピンと来た。神崎は自分に先に電話をよこすべきだろうといっているのだ。だが、機械に疎い城山にかけてくる必要があるほど性急な用事だったのだ。何よりそんな城山にかけなければならないのには、当然理由があるに決まっている。
「神崎さん。お言葉ですが、テツさんからは神崎さんの携帯は繋がらなかったと聞いてます」
 ん、と不満げに鼻を鳴らしながらポケットから取り出したケータイの電源がまるっきり入っておらず、入れた途端に『充電してください』の文字と共にエラー音を発し落ちゆくその姿を見て納得し頷いた。相手は決して悪くはないと。つまりは神崎自身が招いた誤解の可能性もあるのだ。それが分かれば神崎もムゲに扱ったりはしないだろう。
「めんどくせぇな」
「…そうですね」
 機械をいじることに対してひどい拒否反応を持つ城山は、心の底から納得し頷いた。それを神崎がどの程度汲んでいるのかは定かではないが、彼は城山に比べれば天地の差ほど機械に近い男であったから、さほどの納得の度合いではないのだろうが。

 神崎家の敷居を跨ぐと、いつものように黒服どもが安っぽく頭を下げて来た。それにはまだ城山も慣れない。自分だけであってもこうなのだ。神崎は気にしない様子で先に名の上がっていたテツさんの元へ迷うことなく足を進めた。さっき分かったはずではなかったのか。城山は名前を出していただけに気が気ではなかった。確かに誤解を招くような物言いには問題はあると思うけれども、それも組長の体を案じてのことである。いたしたかないといわれればそれまでであるし、ちゃんと伝えるべきだといわれれば納得せざるを得ない。
「オヤジはただの…ハッ、情けねえがギックリ腰だとよ。てめえら、大袈裟に騒ぎやがったり、周りにもらしやがったらただじゃすまさねえ。オヤジがいねえ間は俺が指揮をとる。文句あるヤツは気合いれてやる。前に出て来い」
 やはり神崎一は神崎一であった。高校生の時とまったく色褪せずにそこにあって、自分から見て一回りもふた回りも年上の相手に同じように接している。この立ち位置こそはやっぱり神崎に相応しいのだと思わずにはおられなかった。前に出る者はおらず神崎の威厳だけがそこに立ち込めて光を放っていた。この場で神崎に逆らうものはいないのである。もちろん。目の前でいわれたテツさんは固まってしまっている。



*****



 神崎武玄、情けなき入院から三日。
 いつもどおり平穏な日々。さんさんと晴れた中、眩しさに目を細めるのも煩わしくて神崎はサングラスをかけて自販機のボタンを今まさに押そうとしていた。もちろん買うものは決まっている。たまに無性に飲みたくなるヨーグルッチ。これの味を落とさぬためにも彼は一切タバコをやらない。酒は付き合いや宴もあるので飲むには飲むが、酒豪などでは当然ない。そんな神崎が待ち望んだ時間、それはこの自販機のボタンを押す瞬間だった。この時の神崎については皆、別人のように邪気がなくなると口を揃えていうのだ。
「さてと。……見回り行ってくっか」
 これもまた日課である。城山が隣にいたりいなかったりするのだが、今日はいない日だった。神崎はよほど天気が悪くない限り石矢魔の町をブラブラ歩く。神崎組の若頭として名前も売れてきているので、大抵の者は頭が低い。別に取って食いはしないと思っているが、恐れられることは必要悪だった。そうでなければ別の組の者にシマを荒らされる。ヤクザの世界は、すなわち縄張り争いなのだ。人は動物じみているというかもしれないが、神崎には不思議としっくりくるのだ。そう、子供の頃から神崎は常に親分肌だったのだ。子供の頃から。【ヤクザ】と一口に言っても、その中での善悪は確かに存在する。それは任侠の世界では言葉にせずとも暗黙の了解がある。他のシマを荒らすのは戦いの幕開けなのだということも。
 それと関係しているのかは分からないが、最近ガキどもの間で流行りのものがあるらしい。それを突き止めたいと神崎は思っている。何かを捜すには神崎は名前も顔も売れすぎてしまっていた。それは側近気取りの城山もそうだし、ちょくちょくツルむ夏目もそうだ。だが、可能な限り自分の足で調べなければ気が済まない。神崎はそんな男だった。石矢魔の商店街をぶらつく。それは情報収集の意味も含まれている。それは神崎組としては当然のこととして静かに行われてきたこと。だからこそ今まで警察沙汰になるようなドンパチは起きていない。ある意味では町を守る動きもしているのである。日本が戦争で負けて戦わなくなった代わりに自衛隊を抱えているのと、そう変わりはない。力の方向さえ間違えなければ、だが。
 その日の石矢魔も、いつものように平和である。ある物を見つけるまでは、確かに平和な日だった。それは、娯楽を求める施設の裏で、数年前に神崎がそうしていたように、ただヒマそうに青年たちがたむろしていた。青年たちは虚ろな目をして、だが、話の途中でそのうちの一人が目をギラつかせ笑ったり、攻撃的な言葉を吐いたりしている。それだけのことならば神崎が知る所ではない。だが、最近流行りのものが何であるかを知ってしまえば疑いたくもなるというものだ。
 それは、クスリなのだという。
 クスリの存在は、関東恵林気会ではご法度のものである。しかし出回っているということは、神崎組のシマが荒らされている可能性を示している。隣接するナワバリに足を踏み入れて調べるのは、ムダな戦いやあらぬ誤解を招くかもしれず、踏み込める領域ではない。ヨゴレモノにもルールは存在するのだ。
「なんだてめぇ?」
 神崎を知らないらしい頭の足りなそうな青年の一人が言った。腕のタトゥーが残念な脳内をさらに強調してくれている。生意気な言葉を言われれば神崎だってカチンとくることもある。だが、数年前に比べれば丸くなったものである。それは神崎自身でさえ思う所だ。
「サイコーにキまれるヤツ、探してんだけど」
 直球すぎたかもしれない。神崎は口にしてから失敗かも、と思った。リーダー格っぽいチーマー風の男がゆっくり立ち上がってくる。神崎を冷たく睨みつけている。威嚇している。他のメンツには特に変化らしい変化は見受けられない。この男だけは、何かを知っているのではないか。だが、確証はない。
「あんたら知ってるって噂、聞いたからよ」
「なんでキめてえんだ?」
「楽しいんだろ?だからだ。あと、殺してぇし」
 嘘っぱちのデタラメだったが、知らないなら知らないで構わない。クスリが出回っていなければ問題はないのだ。男は品定めをするように神崎のことを無遠慮にジロジロ眺めている。あまりいい気持ちはしないし、短気を起こしてぶん殴りたくもなってきたが大人の対応ということでぐっと堪えた。
「俺は知らねえけど…知ってそうな仲間に聞いてみる」
「そか。じゃ、俺また来るわ」
 連絡先を教えるわけにもいかず、半端な返答に複雑な思いを抱えながら、まったく収穫がなかったわけではない今日の日を思う。
 帰ると、当たり前のように城山が迎えてくれる。鍋を抱えてさも当たり前のように言う。
「神崎さん、多めに作ったので持ってきました」
「……………」
 嫁か。と口から出かかったが、あえて言わないでおく。
 危険と隣合わせの立場なはずなのに、どうしてこんなに平和なのだろう。


*****



 二日後。平和だった日が打ち砕かれた。
 欠伸を噛み殺そうともせずに神崎が電話に出る。電話口の向こうで、低い声の男が名乗る。途端、神崎ははっと息を呑んだ。電話は何年も会っていない実の兄からだった。電話番号を教えた覚えもない。どうして、と聞く前に向こうが怒りを押し殺したような、努めて平静を装ってはいるものの、感情を滲ませた声を絞り出すものだから、神崎の側から話を途切れさせることも敵わない。
「お前たち、何かやばいことやってるのか」
 疑問ではなく詰問。急に聞かれたことで頭がうまく回らない。神崎が言葉を失うと、兄・零は冷たく、だが鋭く説明を始めた。
「二葉は案外勘が鋭いのはよくお前たちも分かってるだろ。つけられてる、っていうんだよ。誰かに。ファンとかならいいけど、違うような気がする…って」
 二日前のチーマー風のガキども。被ったフード姿の、こんなのどこがいいんだ、ストリートファッションというやつは好きになれねぇな、と思いながら見たあの横顔を思いだす。もしかしたら、そういうことなのかもしれない。神崎は錆び付いた脳みそをフル回転させようと頑張る。
「あと、城山と連絡が取れない。昨日、二葉を迎えに行くはずだったのはあいつのはずだ。ちゃんと部下のことぐらい把握してろ、腐れヤクザが!」
 最後は怒鳴り声に近い、怒りを含んだ低い声で零は一方的に電話を切った。突然通話を途切らせられて、ツーツーと冷たく鳴るケータイを閉じるまで、神崎はまともな思考などなかった。頭が熱い杭で殴られたように熱を持っていた。意味がわからない。二葉は持ち前の勘で身の危険を感じていた? 城山がいない? 意味がまったく分からないし、つながらない。寝起きの頭が回り出す。冷水を浴びるよりも、冷たい兄の言葉のほうがどうやら効き目があるらしい。再びケータイを開いて、慌てて城山に連絡をした。城山は今までやれと言ったことはすべてやってきたはずだ。なのに、どうして昨日に限って二葉を迎えにいくという、むしろ神崎組としては最重要事項に等しい指令を無視したのか。インフルになった? それなら神崎に連絡するはずだ。神崎は城山の名前を選びコール音が鳴り出す前に耳に当てスタンバイした。機械的なコール音はイライラを募らせる音だ。神崎はしつこく10コール以上鳴らした。どうしてあの、犬みたいな野郎のくせに、今に限って電話に出ない? 出たらふざけんじゃねぇと怒鳴りつけてやろうか。俺からの電話は絶対に出ろといいつけてあるというのに。コールの数は数えていないが、30回ほど鳴らしただろうか。電話に出た。それは、城山ではない。
「ハーイ、どちらァ?」
 声の高めな男。聞いたことがあるかないか、そんなこと瞬時に分かるわけがない。神崎は身構えながら絞り出すようにいった。
「てめぇこそ、誰だ。城山のケータイに何で、勝手に出てやがる…」
 誰かに貸していいという教えはしていない。だから、城山以外が出ることはありえないはずなのだ。つまり、出られない状態だということで。
「コイツ、おたくの飼い犬? そんならちゃあんと鎖と首輪付けときなよ。大変なことになっちゃうよ? …嗅ぎ回ってるとサァ」
 唐突に通話は途切れた。聞き慣れたツーツーという耳にやさしくない電子音。コール音もイライラするものだが、ツーツー音もイライラを募らせる音だ。状況が把握できない。城山はどこにいるのだろうか。ケータイを切って、誰に連絡をすべきか電話帳を開いてぐりぐりと画面を動かし回した。誰、なんていっても神崎には分からないのだ。ただ焦るばかりだ。どうして、なんで、城山が、二葉が、兄貴が。頭の中がぐちゃぐちゃなまま、しばらく時間が経った。と、神崎のケータイが着信を告げる。手にしていたが、急なことだったので慌てて電話を取り落としてしまう。まぬけ。だがすぐに持ち直して出る。電話番号は通知されているが、名前が出ていない辺り、知らない番号からだ。
「神崎だ」
「あっ、あの…、私、いつも世話になってます、石矢魔定食堂の石川いいます」
 ラーメン屋のジジイだ。声を聞いてすぐわかった。その話は、朗報ではなく、訃報。大ケガした城山が店の外に棄てられていたのだという。この町であってはならないことが起こっている。神崎は唇を噛んで立ち上がった。



*****



 ボロ雑巾のようになった城山を、背負って歩く神崎の姿はその日の石矢魔で何人も目撃していた。もちろん城山はその日のうちに入院した。今はチューブつけられて寝ている。城山を病院に置いてから、静かに去った。だが、頭の中は怒りで煮えたぎっていた。顔には出ているものだから、怒りに滾った神崎の表情を見て寄ってくる者など皆無。なんということなのか。汚いやり口に吐き気すら覚える。「クソッ」と壁に当たって、己の拳を痛めたが、こんなもの痛くなどない。急に襲われた城山のほうがきっともっとずっと痛い。唇を強く噛みすぎて錆の味がする。味わい慣れた味。神崎はケータイを再び手にし、考えた。城山のケータイは? 棄てられた? そう、倒れていた時、城山のケータイはなかった。つまり、棄てられたか、もしくは神崎との連絡用に持っているか、だ。
 と、そんなことを考えている最中に神崎の電話が音高く鳴り出す。色気ない電話の呼び出し音は、じつに飾り気ない性格の神崎によく似合う。流行りの歌なんて流したりしないのが神崎流なのだ。今度は落としたりせずに電話に出る。
「…なんだ、夏目かぁ」
 いかにも連絡いらんと言わんばかりの下りトーンでいうものだから、さすがの夏目も苦笑いしながら対応した。夏目は今回のことなどなにもしらない。夏目はヤクザじゃないから無関係でいることこそが正しい。どんなに実力があるっていったって、夏目にはいうべきではないと神崎は感じていた。だが、夏目は鋭い。いつも神崎のことを──高校時代だが──見ていたのだから、様子がおかしいことぐらい察しがつく。
「なんだ、ってのはご挨拶だよなぁ。俺は神崎くんの仲間なんだからさ。ところで、なんかあったんじゃないの?」
「っ?!!」
「ほーら、神崎くんってばその場取り繕うの下手すぎ。バレバレだよ」
「っち、なんも、ねえよ…」
「うそばっかり」
 最初からいわないつもりだったのに、心理戦の苦手な神崎では無理だったのだ。しかたない、神崎はどうしたって話すつもりなどないけれど、もしかしたらと思い夏目に、わからないように聞いてみることにした。もちろん、夏目からすればなにかを察するのには充分な材料になるのだけれど。
「あ、そうだ……城山のバカがケータイどっかに落としてきたみてえなんだけどよ、探す方法とかって、ねえかな?」
「ケータイ、って神崎くんのとこの組で持たせてるヤツだよね?」
「お、おう」
「じゃあ、GPSで探せるんじゃない? 親子電話みたいな感じで契約してるわけだから」
「おお、そうか! やってみる! ドコモ行くわ。さんきゅな、夏目」
 勝手に神崎は電話を切ってしまった。電話口の先で、夏目は溜息をついた。城山の身になにかがあったことは確かだ。今の内容では。夏目はそれだけではめげなかった。内容を聞くまでおとなしく引き下がるわけにもいかない。夏目はもう一度神崎へコールした。最初、電話をしたのは特に用事なんてなかったのだけど、用事ができてしまったのだ。しつこく鳴らせば、わざわざマナーモードになんてしない神崎はウザったくて出ないはずがない。神崎の不機嫌そうな声が夏目にいう。
「うるせー、俺は今からドコモに」
「俺が教える」
「わざわざいいって」
「ナニソレ。俺に会いたくないとか、さびしーってば」
「そーいうこといってんじゃねえっ! ケータイ屋に聞けばわかるんならそれでいんだよ」
「なんで。…なんで城ちゃんのケータイ、無くしちゃったの? 城ちゃん、なにかあったんでしょ」
 夏目は鋭い。う、と神崎は言葉に詰まる。飄々としたなかに生まれる、冷たさすら感じられるほどの温度感のない真剣さ。まっすぐで切れ味鋭い夏目の言葉が神崎を刺す。
「……お前には、関係ねえ」
 神崎が絞り出した言葉はそれ。昔からしっている仲間内という関係のなかで、無関係だなんて誰が認めるかというのは神崎がよくいうことだ。分かっていて、あえて神崎は夏目を突き放そうとしているのがバレバレだ。こうしようとすればするほど、事情が深刻なのは察しがつく。夏目は神崎の言葉など真に受けずに再び聞く。
「なにがあったのかって、聞いてる」
「………」
 神崎が舌打ちし、すこしでも考える時間を延ばそうとしている。だが、このおかしな間を埋めることすらできやしない。神崎は、なにかをいおうとか嘘を話そうとか、口を開きかけたけれど、そのたびに声は出なくて言葉も浮かんでこず、気まずい間ばかりが延びてゆく。夏目は辛抱強く待った。どうせ神崎という男は、すぐに根をあげる。自分が痛めつけられることについては問題なく我慢できるのに、仲間内のこととなるとすぐに辛抱できなくなるのだ。どこまでも他人に甘い、そう、ヤクザになんてきっと向かない性質をもった男なのだ。
「実は城山、…ケガして、入院した」
 そういうことか。夏目は今からGPSでの検索の仕方を教えにいく、と電話を切った。神崎はそれについては特に拒否しなかった。



*****



「お久し〜」
「おう、わざわざ悪かったな」
「そんなこというなんて珍しいね。大人になったんじゃない、神崎くん」
 んなことねーよ、といいながらさっさと本題に入る神崎はどこまでもまっすぐで、昔と変わっていない穢れのない男だ。夏目は手慣れた様子で神崎から借りたケータイを操作する。ネットにつないでいるということは分かったが、なにをしているのか横目に見ても分からないので、神崎は見るのもやめた。見つかればいいだけだ。すぐに夏目は顔を上げた。
「分かったよ」
 神崎が目を見開いてばっと素早く振り返る。さっきまでの表情とは別人みたいな覇気のある顔。夏目が見せた画面には地図が出ていて、神崎は食い入るようにその画面を見つめていた。町内じゃねえか、神崎が呆然とした様子で呟く。やっぱり、あのチーマーどもが関わっているのだろうか。あんなへチョイガキどもに城山は負けるはずがないだろうと思ったのだが、相手はまともじゃない。正攻法で挑んできたわけではないのだろう。神崎は夏目が教えてくれた地図の画面を目に焼き付け、頭のなかに叩き込んでから画面をパタンと閉じた。
「さんきゅー、夏目」
「いいよこれくらい。でも、……神崎くん。…行くつもりなんだね?」
「はあ? なにいってんだお前」
「…そうだ。城ちゃんの病院、教えてくんない? 行きたいんだよね、たまに顔も見たいし」
「……おお」
 神崎がすべてを教える気がないことなど明白だった。ということは、組の関係の話に違いない。そこまでいけば城山がケガをすることもあるだろうし、夏目は聞かないほうがいいに決まっている。ただの学生時代の友人なのだから。ただの昔馴染みというだけなのだから。夏目は病院の名前を聞いたらすぐにケータイで検索をかけて、行ってみるねとそそくさと退散した。神崎の様子を見ていたら、早く去るべきだと悟ったのだ。そう、自分はどこまでも神崎の二番手という男。そして、今もそれは変わらない。二番手にも届かないのに、神崎とともにあるのは城山なのだけれど。

 余談にはなるが、夏目は病院に行ってみて驚いた。神崎から話がついていたようですんなり病室に通してもらえたけれど、城山は意識が戻っていないそうだ。ここまでひどい状況だとは思わなかった。だからこそ、神崎はあんな様子だったのか。夏目は長い髪をかきあげながら苦笑いを隠せない。
「俺も、卒業してからというもの、神崎くんから遠ざかっちゃってたからなぁ…」
 知ってるつもりのものやことが、どんどん変わっていく様はどこか物悲しいものだ。暮れゆく空を病室から眺めながら、早く城山が起きてくれないかと、そればかり祈った。祈りなんて傷にも痛みにも、かなわないことを知っていながらそれでも人は祈らずにはおれないものなのだ。



*****



 夏目が出て行ってから神崎はすぐに立ち上がった。ここに攻め込むには一応得物を用意して行かなければなるまい。だからといっていかにも武器というものでは職務質問などされたら面倒なので好ましくない。銃刀法違反で捕まってなどいられないのだ。本来ならば鉄パイプとか木刀とか、へたすりゃオヤジの部屋にある日本刀とか、そういうものを持っていければ安心なのだが。
「チッ、しゃーねぇな…」
 神崎は武器や防具になりそうなものを家の中を歩いて探し回る。とりあえずサラシを巻き直し、念のため薄いアルミ板を仕込んでおく。これなら刺されても問題はないし、殴られて効くのは相手の拳だ。ただし薄いので強度も大したことはない。それでも生身よりは全然いい。武器を探すのは手間取ったがいいものがあった。ゴルフのアイアンだ。これならかなり質のいい凶器になるだろうし、警察から職務質問を受けることもないだろう。一石二鳥だった。ただし、結構重い。プロゴルファーも結構鍛えてんだな、などと関係ないことを口走りながら、神崎は身支度を整えてケータイを再度開き、念のため夏目に出してもらった地図を確認した。そこのページからは動かさないようにしよう。たどり着くまでは。神崎は目的の場所へ向かって、足を踏み出したのだった。


つづきを読む 2015/06/08 21:31:28