おまえにわかるはずがないU






 浜に近い工業地帯の倉庫の場所だった。こんなところで城山はリンチを受けていたらしい。そう思うと腹が立って仕方がない。急に襲われた城山はきっと抵抗しただろう。けれど、逃げ切れるものではないのだ。あんなになるまでボコボコにされたのか。なにも知らないだけに城山は不憫だ。だが、それを承知であいつも組に入ることを選んだのだから、ある程度は仕方がない。
 そんなことを考えながら倉庫と倉庫の間の道を歩く。時間としては夕暮れで、倉庫の中に誰かがいれば電気をつけなければ見えなくなる頃だろう。神崎は倉庫の間を縫うように移動しながら、結構な広さだなぁと溜息をついた。電気が点いている建物はなかなか見当たらない。なにより、人の気配もしない。少し待ってみるか、と神崎はアイアンを入れたゴルフバッグを倉庫の壁に立てかけて、そこに寄り掛かりながら座る。持ってきたヨーグルッチを飲む。そうすると、カッカと熱を帯びた頭が冷えていくような気がする。だが、煮え滾った怒りは収まらることを知らない。狙われることなど覚悟していたはずなのに、周りばかりが狙われることに、神崎は持ち前の性格から許せなくてただただ腹立たしいのだった。何度唇を噛み締めても、その怒りは消えはしないのだ。ヨーグルッチを一本やっつけてから、神崎は再び立ち上がった。城山のケータイはここからすぐ近くだ。夏目に開いてもらったページの更新をして、どこにあるのか確認する。かなり自分の位置と重なるような近くになることは確かだ。誰もいないのならば、しらみつぶしに探すしかないのかもしれない。そういう頭を使わない探し物ならば、神崎は昔から得意だ。神崎は近くの倉庫から回ることにした。

 五ヶ所くらい回ったときに、チカチカと光るおかしな光がある倉庫があったので駆け寄ってみると、そこに城山のケータイが置かれていた。あとは倉庫らしく資材やタイヤなどが山と積まれているらしい。潰れたわけではないが、あまり動いていなさそうな工場は、いつの世もこうした悪いことに使われるのだ。だったら早くぶっ潰しちまえよ、と神崎は思う。
 城山のケータイ、何年も前にもたせたやつだ。神崎はそのケータイを手にして、すぐ手になじむことを確認した。着信やらメールやらがきているのだろう。チカチカと点滅する灯りが邪魔くさかった。迷うことなくケータイを開くと、そこには未読メール3件、不在着信10件とあった。不在の確認をすると、神崎、城山のおふくろさん、キョーダイ、神崎の兄、組の者から、と見知った者たちからの確認の連絡らしかった。メールも見てみる。そういえば、城山はメールなんて覚えていないはずだ。やり方はなんとか分かるらしいが、うっているのを見たことがない。あいつは本当に文明機器に置いてかれている野人だよなぁとたまに神崎は思う。そこで見た文字。新着メールの他に、どうやらキョーダイからはメールが届いているらしいことは分かった。ほとんどメール件数がないので見えたのだ。そして、新着メールは登録のないEメールアドレスからだった。少し迷ったが開いてみた。
「こいつ………」
 どうやら城山を拉致ったヤツからの果し状のようだった。城山が殴られているところの写メ。暗いところでテキトーに撮っているらしくブレていて見づらいが、十分な写メ。最初から見せるつもりで、こうやって置いていったわけだ。相手もこちらがヤクザだから警察にいうことはないと分かってやってる。しかし、このタイミングでこんなことをしてくるのは、なぜだ? 神崎は新たな怒りで煮えたぎっていた。他のメールも同じヤツからのようなので開いてみる。
『コソコソ嗅ぎ回った罰だ
 まだ嗅ぎまわると お前の仲間たちが危険な目に遭う』
 忠告はした、そういわんばかりの上から目線の警告文。けっ、と悪態づいて神崎はそこから引き上げることにした。城山の意識は戻っただろうか。



*****



 神崎は意識の戻らない城山の様子を見てからすぐに家に戻った。アイアンは振り回す必要もなにもなかったな、とゴルフバッグを玄関に立て置きながらそんなことを思った。城山のケータイを開いて、またあの腹立たしいメールを見る。城山はなにもしてねえのに、やはりこの組の名前のせいだろうなと神崎は考え込む。この組のせいで、ならば、この組が悪いのか。何年も考えてきた、自分たちの存在意義。父親にはいったことのない、神崎の心の中にモヤモヤと蟠るこの気持ち。組で悪いことをしたわけじゃないけれど、組織を持つということは、こうしたいらぬ怨みを買うことと同意だ。それは、若い神崎にとってはとても重い。鬱々とした気持ちを持ったままであっても、一日動き回っていたせいか疲労感、そして空腹もちゃあんと身体は訴えてくるものだ。
 帰り道、今日は食べてなかったあのラーメンはどうかなと思い神崎は、店の場所に寄ってみたけれど、今日は城山が店の真ん前で雑巾みたいに倒れていたこともあって休んだらしかった。あのおやっさんに迷惑かけちまったな、そう思いながら電話しようと思ってケータイをいじったけれど、どの番号が忘れたのもあるし、また食べに行けばいいかと思ったので、連絡については今日はやめておく。神崎はスーパーの安くてまずい弁当を買って、それを家に帰ってから食べた。
 今日の収穫、城山のケガ。城山のケータイ。プラマイゼロなんてはずもなくて、マイナスばっかりだ。あああ、と嘆きながらベッドに突っ伏す。これからも何かが起こる。余計なことが。それは間違いないだろう。気だけがはやっていて気持ち悪い。
 こんな時に寝れるか! そう思いつつも体は疲れているから、横になったが最後、神崎はいつの間にやら己のいびきとともに、夢の中、否、夢すら見ないほどに強い眠りの中へと入り込んでいった。それは、深くて多少の地震では起きることなどないくらいの。城山が意識不明だとかそういうことを含めていても、無意識の中で人は寝られるし食べられるし、生きられるのだ。




*****




 不快。この音。…止めないと。
 感じた、率直な感情はこれ。なんてまぬけ。神崎は目を瞬かせながら、不快で、そしてバカみたいに長い着信音に耐え兼ねて、枕から少ししか離れてないケータイを手にした。もう眠くてしかたがないので、細かいことはどうでもいい。液晶の画面を見る前にパッと出た。寝起きなので不機嫌そうな暗くて低い声になっているのが神崎自身でも分かる。
「神崎くんおはよー。城ちゃんね、意識戻ったよぉ」
 これは、朗報。神崎は飛び起きて「すぐいく」とだけ伝えた。ケータイは城山に戻しておきたい。ちなみに、城山のケータイに残されていたリンチ中の写メは神崎のケータイにも転送済みである。連絡取れなくなるのも面倒なのだ。すぐに買い置きのヨーグルッチを飲みながら病院へ向かった。

 城山は元気そうでは、とうぜんなかったけれど、普通の会話はできた。ちゃんと神崎も文句をいった。
「二葉の迎えいってねえって兄貴から電話あってよう」
「…すみません、俺のせいで」
「そう、お前のせいだ。馬鹿野郎」
「そんないいかたしなくったっていいじゃないの。神崎くんもさぁ」
「うるせえ。夏目、てめえは黙ってろ」
 神崎はうなだれた城山にケータイを手渡した。あ、と夏目が声を上げる。結局、昨日いったとおりに取り返してきたということは、つまり、もう片がついたということかと、普通なら勘違いをする。だから神崎は、答えの代わりに首を横に振った。そう、なにも解決などしていない。
「お前は、なんでラチられたんだ? あいつらはなんもいってなかったのか」
「……詳しくは、聞いてないです。急に囲まれて、…相手は、本職だったんで」
「あ?! 本職だとぉ!?」
 相手はチーマーのイキがってるだけのガキどもだとすっかり思い違いをしていた。神崎は城山の言葉に頭を抱える。本職、つまりヤクザ者が関わってくるとなると、今度は組の問題になってくるのだ。組長であるオヤジがいないときに限って。なんというタイミングの悪さ。せめて退院してからにしろよと歯軋りする。
「ったく、しかたねぇな…。召集かけてどう動くか決めねぇと…」
「神崎さん」
 顔も見たし、気持ちも少しは落ち着いたので腰を上げたところ、城山は神崎に声をかけてくる。すべて分かっているというような目をして、決して神崎からの罵倒も視線もそらさない、そんな男。
「ムリ、しないでください」
「ハッ、なにいってんだてめーは」
 変わらないなぁ、と夏目は二人を見る目が感慨深げだ。夏目だけが彼らのような世界にはいないから、平和で暴力のにおいがしない。
「夏目。このこと、オヤジにいうんじゃねぇぞ。…絶対にだ」
 念のため、夏目にも口止めしてから病院を後にした。あとは組の連中に召集かけて作戦を練ろう。神崎が中心になって動くのは今回が初めてのことだ。力や威厳だけで人をまとめるなんて、とても大変なことだ。そんなことよく分かっている。



*****



 帰ってからすぐに召集をかけて、詳細を話した。内容としてはこうだ。うまく伝わればいいが。
 まず最近、石矢魔ではクスリが出回っているらしいことを聞いて、素知らぬふりで神崎は調べていた。だが、相手に素性がばれていたのかもしれない。突然、城山が本筋のヤツらから襲われた。城山は意識は戻ったが、とてもひどいケガで今は入院中だ。よくある話だが、クスリの売主がヤクザ者、もしくは元々そのスジのヤツらで、今はチンピラに成り下がっているのかもしれないが、邪魔になる神崎たちを潰しにかかろうとしているのだということ。被害などについてはこれからどうなっていくのか不明なため、身辺などには気をつけろと伝えた。そして、これからどうすべきか相談したのだったが、相手が特定できない以上、今は動けないだろうということになった。確かに、敵を知るには材料が少なすぎるのだ。
 連絡を取る方法はある。メールだ。どうせ捨てアドだろうが、使えるアドレスならばメールのやり取りはできる。だが、相手がわざと残した手がかりにホイホイ乗るのは、危険ではないかということにもなる。かなりリスクはあるだろう。だが、待っていてもいいものだろうか。すぐに決められることではないので、今日のところは保留にしようということで話が決まった。終わらない、煮え切らない気持ちだが、しかたない。組織は大きくなればなるほど、まとまらなくなる。



*****



「二葉をどこにやった?!」
 神崎は兄からの唐突な連絡にたじろいだ。城山がいないので仕事の合間に娘を迎えにいく神崎零。風貌の強面ふうの男と一緒に帰ったということだった。しかし、それは神崎ではない。先ほどまで集会をしていたわけだし。つまり、二葉が幼稚園からいなくなったというのだ。しらない男と。
「ケータイ持たせてんだろ?! だったら、GPSとかってヤツで」
 前に夏目に教えてもらった方法を口にすると、電話口であ、そうかといいながらケータイをいじっているらしい様子が聞こえる。焦ったときは馬鹿も利口も関係ない。冷静じゃいられなくなる辺り、この兄弟は似ているのかもしれない。調べたらすぐまたかけると一方的に告げて電話は切られた。切ったばかりですぐに電話がきた。神崎が出ると、それは城山からの連絡だった。
「何度かかけたんですが」
「さっき兄貴が電話よこしてた。で、お前は何の用だ?」
「メールがきたんです」
 メール。思い当たる節がある。
「誰から、どんな内容だ」
「脅迫メールでした。相手は、…分かりません」
 やっぱり城山のケータイは連絡用に置いてあったのか。あそこに来るだろうことも予見して。神崎はその場で壁を殴った。痛むのは自分だけなのだが気にしない。気にならない。悔やまれることばかりだ。どうして、こんなふうになる前に気づけなかったのか。神崎はすぐに病院へ引き返した。厄日だ。

 城山から、自分が渡したケータイを引ったくってメールを見た。例の脅迫メールだ。
「ふ……ざけんな、この野郎…」
 見た途端に頭に血が上った。怒りで目の前が真っ赤に染まるような気持ち。
【双葉は預かった 指定場所でかわいがってる 返してほしいなら こい 三日は待ってやるが 早い方がこの子のためだ】
 二葉の名前が誤字なのは音で聞いたものを打ち込んだからだろう。そんなことはどうでもいい、添付の適当なサイトの地図を見た。病院からはすこし離れているが、そう遠い場所ではない。神崎はすぐにケータイをポケットに入れて立ち上がる。城山はその表情を見てすぐに悟る。行くつもりだ。とても怒ったような顔。
「神崎さん……、相手の狙いが分からない以上今動くのは──」
「っせぇ! 黙ってろ」
 こうなることがわかっていたら、すぐに攻め入るべきだったのだ。だが、二葉が攫われたなんて今さっき知らされたばかりのことだ。城山も慌てて連絡をよこしたことだってわかる。相手の狙いは神崎組を傘下に加えたいだとかそんなところだろう。結局はシマの取り合いなのだ。パンピーたちは「そんなくだらない…」というかもしれない。それは神崎だって分からない気持ちではない。だが、違うのだ。神崎たちのようなヤクザ者は、自分たちのナワバリを守っているだけなのだ。自分たちなりのルールを決めて。それは、地域への愛とかだって入っているのだ。もちろん自分たちが生活していくためでもあるし、のん気に暮らすためでもある。そう、神崎たちにとっての組は、きっと一般人から見た一地域であり、大きな家族のようなものなのだ。そんなことをいって理解してくれるパンピーなどいないだろうが。
「二葉が捕まってんだ……うだうだ考えてるヒマなんかねぇ。俺はいく」
 病室から出ようとした時、入ろうとしていた人とぶつかった。謝罪の言葉をいいながら体制を立て直すと、神崎のことを見下ろす兄の怒りに燃えた顔があった。今一番に会いたくないヤツ。それだけ浮かんだのちに、思いっきりブン殴られて、ガシャーンと音立てて神崎は病院の床に転がった。どうやら先に城山が兄にも連絡していたらしい。それはそうか、兄の娘のことなんだから。「あ!」と城山が叫んで心配そうにしているが、足が固定されているのでベッドから動けずにいる。急に殴られたが、それも当然か。誰もが頭に血がのぼるだろう。二葉が攫われたのだ。
「てめぇらのせいで、二葉までもが巻き込まれたんだぞ…! どうしてくれんだ。こういうのが嫌で、俺はあの家を出たんだ! ふざけんじゃねぇ!!」
 病院で騒ぐものだから、看護師やらが走ってきてさらに気まずくなった。城山は何もしていないのに追い出されてしまうかもしれない。神崎は立ち上がりながら来たヤツらに「なんでもねぇ」といったけれど、兄の怒りは収まらないようだ。
「兄貴…、今回のことは本当に悪ぃと思ってる。今から二葉を救いにいく。大丈夫だ、何があっても二葉を助けるからよ。約束する」
「てめぇの安い約束なんていらねぇ…。俺からだってお願いしたいもんだな、お願いしますからもう巻き込まないで下さい、ってなぁ」
 いつもは寡黙で大人しい神崎零の、こんな熱いところを見たのは神崎が幼い頃のことだった。