絶望にはまだ足りなくて
(只、一つの《呆気ない》可能性として。)


 それは、覇王丸と幻十郎とが、
相容れぬ仲でも その日を過ごす為に、無事に迎える為に共に歩み寄って月を跨いで。 さらにしばらくしてからのこと。


「覇王丸、」

 常のように幻十郎は男の名を呼んだ。それは日常であり、特に意味のない言葉。だが常と違っていたのは、その言葉は虚空に舞い、まだ冷たい空気に溶け、溶け込む事なく違和感だけを残して消えていった。という現実。
 数回、名前を呼んだがどうやら覇王丸はここにはいないらしい。ガダガダと態と高い音を立てながら小屋に足を踏み入れたものの、常のように「おぅ、」と片手を挙げて返すような気配もない。だが、その者が『いた』という形跡は残っている。
 幻十郎は今まで夜目を利かせ、この山道を歩いてきたのだ。小屋の中の様子はある程度は解る。
 覇王丸が今朝まで使っていた毛布の、寝乱れた様子が目につく。しかし、ぐちゃぐちゃにした本人だけがいない。
 焼き魚を食い散らかした跡が残っている。自分が食ったものくらいは片付けるべきだ。しかし、片足も片手も不自由な男にそれを強く言うのはもう少し、不自由な時期に慣れた頃であるべきだろう。
 解っていても、幻十郎は冷たく覇王丸に言ったものだ。「食いカスくらい自分で何とかしろ」と。


「覇王丸」
 もう一度、相手の名を呼んでみる。
 だが、返答は、ない。


「覇王丸ッ」
 あの、五体不満足の男が、何処かに行く等考えられなかった。もし何処かへ行くとして、あんな身体で覇王丸は何処へ行くというのか。その答えは幻十郎の中には出てこない。ただ、そこに覇王丸がいない。いつもいるはずの、覇王丸が。
 寝乱れた布団が目に付く。こんなもやついた想いの中では、酷く苛立ちを覚える。その感情を消す事なく、幻十郎はそれを蹴った。

『俺は、お前に勝てれば、それでいい。』そんな半端な言葉が耳に蘇る。
 覇王丸の願いは解った。だが、それすら叶えられぬ儘で良いのだろうか。覇王丸の姿が見えない事に対し、そう思う。
 蹴った布団をむんずと掴む。それは人が寝ていたとは考えられない程、冷たく冷えている。無意識のうちにまたもや幻十郎は「覇王丸。」と小さく名を呼んだ。否、呟いた、というべきか。そのくらい彼の声は常の状態であっても聞き取りにくい程に小さいものであったから。

 幻十郎は、賭けるものの無い男の事を、思う。
 確かに、命を奪おうとしている立場であった。しかし、それは『生きる』という確固たるものを持った男の姿だった。
 五体不満足となったとしても。それを認めても、なお。己の野望に忠実に生きる、彼の者は何処に行ったのか。再び、例の半端な覇王丸の願いが耳に蘇る。酷く耳障りだった。






 次の朝。
 未だ戻らぬ覇王丸を追うように、小屋の外に出た幻十郎は、点々と赤黒い染みを見つけた。
「       」
 何か、口にしようとしたが、特に言葉になるような言葉はない。ただ、この痕を追ってみよう。そう思っただけだった。むろん、その先に覇王丸がいる、等と甘ったれた事を考えていた訳じゃない。その甘ちゃんな世界からとっくに足を洗っていたからだ。
 だが、それでも刀を隙なく握る腕の強さは、常の人斬りよりも酷く強く、己の指先が白くなる程に強いものだった。握った途中からびりびりと痛む指先に、気付かされた。



題:絶望にはまだ足りなくて/落日


意外な、さよなら



この終わりがきっと、牙神には一番納得できないから。辛いから。諦めきれないから。
赤黒い、血の点々とした染みについては、かなり初期でも使っている(ので、もしかしたらソコとつながってるのかも)。


てん てん ………



ただし、すっきりしない終わり方なので、相応しくないなぁって感じは、個人的には有ります(笑)
死体がないと、ちょっとね。

もうちょっと感想あります。

つづきを読む 2011/02/23 23:44:25