17



カノンがホグワーツに戻ってから迎えた、とある月曜日。
彼女は人気のなくなった夜の談話室で無心にノートにペンを走らせていた。何やら小難しい単語が書き殴られた羊皮紙の切れ端や、注釈だらけのルーズリーフ。そして古ぼけた本などを左手で捲りながら、彼女は一心不乱に何かを書き込んでいる。


彼女だけが暖炉の前の席を占領する、静かな談話室の扉が開く。すると通路からキャンキャンと仔犬が吠えるような、甲高い少年の怒鳴り声が響く。

「まったく、お前たちのせいで散々な目にあった!! 今後一切手助けなんかしてやるもんか、落第してしまえばいいんだ!」

随分と憤慨した様子の声は談話室へと近づいてくる。集中していたカノンも何事かと顔を上げ、声のする方を見つめる。
そこから現れたのはバツの悪そうな顔をしたクラッブとゴイル、そして何やらニヤついた顔のパンジーと、背の低い小柄な少年。

「パンジーも、面白がって僕で遊ぶんじゃない! なんでこんな…おい、僕の髪に触るな!」
「あらドラコ、怒らせるつもりじゃなかったのよ。ただ懐かしくて」

今パンジーは「ドラコ」と言っただろうか。カノンがよくよくその少年を見てみると、見慣れたあの顔を四〜五年ほど若返らせたような姿のドラコがいた。つるりとした白い肌に、オールバックに撫でつけられた髪の毛。先ほど「髪に触るな」と怒っていたところを見ると、パンジーにヘアセットされたのだろうか。
彼は青白い頬を紅潮させてパンジーやクラッブ、ゴイルを睨みあげている。が、幼い姿のせいで非常に微笑ましい姿にしか見えない。

ドラコはパンジーとクラッブ、ゴイルを寝室へと追いやってからカノンの元へと歩み寄った。


「ドラコなの?」
「ああ、僕だ」
「どうしたの。縮み薬でも浴びたような恰好で」

カノンが問いかけると、ドラコは「聞いてくれるか!」と荒々しく言葉を紡ぐ。

「あいつらが魔法薬学の覚えが悪すぎるから、この僕自ら基礎から教えてやったんだ! 縮み薬なんて一昨年やった魔法薬だし、ロングボトムでもない限りできる筈だって」
「その姿を見る限り、調合自体は成功したようだね。 どっちかが転んでドラコにぶちまけたの?」
「僕に薬をかけたのはゴイルだ。だが、スネイプ先生に頂いた老け薬がまったく効かなかった」
スネイプが作った薬――それも、ハリーではなくドラコに飲ませる物――ならば、まず解毒剤となる老け薬には不備など無いだろう。
「先生がおっしゃるには『どこかで調合を間違えたかも』だそうだ。スネイプ先生に解毒薬を作っていただこうと思ったが、この後に予定があるそうで…君に相談しなさいと」

ドラコはむっすりとむくれながら、クラッブとゴイルが作った縮み薬と思わしき液体の入った瓶をカノンへと差し出す。
カノンはその便の中身の香りを嗅ぎ、そして自室から実験用のマウスを呼び寄せた。ケージに入ったままのマウスに縮み薬を数滴ずつゆっくりと垂らし、その経過を見つめた。

「うーん…本来の用量を使っても変化が見られない。四倍ほど使うと縮みだすけど、確かに老け薬が効かないね」

自身が作成したであろう老け薬をマウスに垂らすが、一向に元に戻る気配がない。

「考えられる要因は、萎び無花果を皮ごと投入した、もしくは皮は剥いたけど剥き残しがあったか…」
「皮剥きはちゃんと教えた。トロール並みに不器用なあいつらのことだ、いい加減な下処理をしたんだろう」

大げさにため息をついて見せるドラコ。カノンは「そういえば縮み薬の授業の時、ドラコはバッグビークに襲われた時の怪我でまともに調合してなかったな」と三年前のことを思い出した。実技でやっていないにも関わらず、二人に調合方法を教えることができるとは。彼は存外、しっかりと自主学習に励んでいるようだ。
しかし、あのドラコが直々に勉強をみてやっているなんて。彼は思いのほか面倒見のよい面もあるのだろうか。カノンが「勉強を見てやるなんて、えらいね」と声をかけると、ドラコは驚いたような目でカノンを凝視した。

「君が言ったんじゃないか! 学友の勉強を多少見てやることも、監督生の業務のうちだって!」

ここ最近「ウィーズリーは我が王者」を筆頭に、彼女が好まないような言動ばかりしていたドラコが、少しでも見直してもらおうと思ったに違いない。カノンはそんなドラコの動機を察し、にこりと笑いながら言った。

「私の言ったこと、覚えててくれたんだ?」
「勿論さ。聞き流したりなんかしてない」
「ドラコのその行動は、監督生として素晴らしいと思うよ。ただ、人間には適材適所というものがある。果たしてクラッブとゴイルは魔法薬学の試験で合格点を取るに相応しい生徒か? 答えは否だと思うの」

ザックリと切り捨てて見せたカノンに、ドラコはポカンと口を半開きにした。

「スネイプ教授は、私やドラコは手元に置いておきたいと思うよ? でもあの二人はいらないんじゃないかなぁ」
「言われてみれば…」
「でも、さっき言った通り、ドラコが私の言葉を実践してくれたのは嬉しいよ」
クラッブとゴイルをこき降ろしつつ、ドラコの行動を褒めるカノン。ドラコはそれに気をよくしたようで、彼女の隣に腰掛けた。
「さて、解毒薬の調合しちゃおうか。そんなに時間はかからない筈だから」
「すまない、助かるよ」


カノンは机の上に散らばっていた紙をまとめ、自室から魔法薬調合キットを呼び寄せる。途中で「グヮン」という鈍い音と「ギャッ」という短い悲鳴が聞こえたが、誰かが飛んでいく鍋の餌食にでもなったのだろうか。カノンもドラコも気にすることなく、呼び寄せられた調合キットを広げた。
カノンの膝に乗るくらいのサイズの黒い木箱。観音開きの蓋を開けると、中は不思議と真っ暗な空間が広がっている。
ドラコが恐る恐る「中はどうなっているんだ?」と聞くと、カノンはさらりと「探知不可能拡大呪文で広げてあるの」と答える。そしてその中へと杖を向け、老け薬の材料を呼び寄せた。

あっという間に調合の準備が整い、ドラコもアシスタントをすべく両腕の袖を捲る。


「僕に手伝えることがあったら何でも言ってくれ。君は手伝いなんか不要かもしれないが」
「ううん、ありがとうドラコ。すごく助かるよ」

縮み薬程度、カノンならば一人で調合した方が早いだろう。だが、妙に丁寧に礼を述べたカノン。
ドラコが彼女の顔を見つめながら指示を待っていると、カノンはどこかウズウズとした様子でドラコをチラリと見た。

「どうしたんだ?」
「あの、ドラコ、ちょっとだけ抱きしめてもいい?」
「はっ?」

驚いたドラコが是とも否とも言わないうちに、カノンは横から彼をギュッと抱きしめる。

ドラコの座高が低いゆえに、カノンの胸の合間に彼の頭がすっぽりと納まってしまう。彼女の胸のやわらかな感触が頬に伝わり、ドラコは全身からぶわりと汗が噴き出すのを感じた。
それだけでなく、フローラルな香水とカノン自身の柔らかい甘さの感じられる匂いが鼻腔を抜けるのだ。ドラコは体が火照り、頭が麻痺していくのがわかった。

ただの女生徒相手ならば先ほどパンジーにしたように「やめろ」と一喝して振り払えるだろうが、相手はカノン。彼が想いを寄せる人物である。ドラコは恥ずかしさを感じながらも、この状態を嫌だとは微塵も思わなかった。

だが、いくら十歳かそこらに見えていても、中身は十五歳のまま。ドラコは自分の心臓が爆発してしまうのではないかという錯覚さえ感じた。
まだ、抱きしめられているだけならば耐えられただろうが、カノンはドラコのつるりと露出した額にキスを落としている。それは小さい女の子がぬいぐるみにキスするようなものではあったが、ドラコはつい荒くなる息を抑えるのに精いっぱいだった。

確かに、カノンがこうも彼を可愛がる理由はわかる。
元々色白のドラコは唇が淡いピンク色をしていて、素肌はさらさらと手触りのよいマシュマロのようだ。瞳は薄い青混じりの灰色で、瞳を縁取るように伸びた色の薄いまつげが時々キラリと光に透ける。オールバックにされたことにより、つるりと陶器のような半円型の額が露になり、非常に可愛らしい。

「も、もういいだろう」
「ふふ、ごめんねドラコ。あんまり可愛いものだから」
「僕は男だから、可愛いと言われても嬉しくない」

ばくばくと脈打つ胸を押さえながら、ドラコは真っ赤な顔でカノンと距離を取った。
その姿すら可愛いのか、カノンはニコニコと聖母のごとき微笑みで彼を見ている。

『君、僕が幼い姿の時もいやに優しかったけど…もしかしてそういう性癖なのか?』

ドラコがいる方とは逆側に現れたリドルが、カノンへと問いかける。
くるりと振り向いたカノンの瞳は、ドラコに向けていたものとは打って変わって氷のように冷たかった。スネイプのような、人間味の感じられない冷たい眼差しを受けたリドルは『何でそういう所まで師匠譲りなんだい』と言いながら引っ込んだ。



「カノン、どうしたんだ?」
「ううん、何でもない。じゃあ始めようか。ドラコは血吸いヒルを七ミリ単位で輪切りにしておいてくれる?」
「ああ、わかった」

自分が苦手とする昆虫類の下準備をドラコに任せ、カノンはその他の材料の下準備に取り掛かった。

下準備を進めながら、楽しげな彼女の表情を盗み見ていたドラコ。彼は「あっ」と小さな声を上げて顔を上げる。
数日前に、来月のホグズミード休暇の案内が出ていた。勿論ドラコはカノンを誘ったが、二月真っただ中という過酷な寒さを嫌う彼女に「寒いからヤダ」とばっさり切り捨てられていたのだ。
だが、今の自分が頼み込めば彼女も頷いてくれるのではないか? そんな邪な考えが彼の頭を駆け巡る。

淡い期待を抱いたドラコが「なぁ、二月のホグズミード、やっぱり一緒に行きたいんだが…ダメか?」と首を傾げて見せる。
幼いころにこうした可愛らしい動作でルシウスやナルシッサに欲しい物をおねだりしていたのだろう、彼の動作は板についていた。
以前は約二秒後に断られていた申し出。今回は数秒も考えないうちに、カノンは「もちろん」と晴れやかな笑みで首を縦に振った。



果たして今の彼女は「ホグズミードに行く頃の彼は、もう十五歳に戻っている」という事に気付いているのだろうか―――





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