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箒での移動をすること、5分ほど経ったころ。

カノンとマクゴナガルが乗る箒が、ゆっくりと下降し始めた。
思ったよりも短い移動距離に、カノンは真っ青な顔をしながらも疑問に思った。


「も、もう着きました…?」
「ええ。キングズ・クロス駅からそう遠くありませんからね」
「だったら徒歩でも良かったんじゃあ…」
「いいえ。マッド=アイ・ムーディが考えた移動方法です、誰にも追いかけられることの無いようにと」

キッパリと言ったマクゴナガルの言葉を聞き、カノンは既にムーディ本人へ苦手意識を抱いてしまう。こんな拷問まがいの移動法を考える人物なんて、きっと碌でもない! と。
箒での移動が至極一般的なものであるということは、今の彼女の脳内には無かった。


「さぁ、着きましたよ。このメモを、口に出さずお読みなさい」

いつのまにやら目くらまし呪文の解けていたカノンに、マクゴナガルは小さなメモを渡した。

そこには流れるような綺麗な筆記体で『不死鳥の騎士団本部は、グリモールド・プレイス12番地に存在する』と書かれている。カノンは何も言わず、その文章だけを頭に思い浮かべた。

すると、11番地と13番地に立っていた民家の間が徐々に広がっていき、みるみるうちにもう一軒分の扉が現れた。


カノンは誰が言わずとも理解した。この扉は、『12番地』に建つ『不死鳥の騎士団本部』に続く扉なのだと。





先頭をトランクを抱えたトンクスが歩き、扉を開ける。

その後ろをマクゴナガルが歩き、カノンとルーピンが続いた。
静かに扉が閉まると、中は薄暗さがより際立った。埃のにおいとカビ臭さが薄く漂い、カノンの鼻をつく。

「さぁ、静かに進んで…あまり声を出さないように…」

ルーピンがカノンの耳元でそう囁く。カノンは何度か頷いて、極力足音を立てないようにそろりそろりと進んだ。

すると、前の方からガシャーン! というけたたましい音と、トンクスの「ああっ、ごめんなさーい!」という声が聞こえてきた。
前ではマクゴナガルが、後ろではルーピンが、大きくため息をついて頭を抱えた。
カノンのトランクごと転んだのだろう。彼女が魔法瓶として使っている様々な香水瓶がコロコロと足元を転がった。



その瞬間だった。

ちょうどカノンが通りかかっていた場所、両開きのカーテンがバッと勢いよく開かれたのだ。
同時に耳をつんざくような絶叫がホール内に木霊し始めた。まるで誰かが磔の呪文で拷問されているかのような叫びに、カノンは頭を抱えて耳をふさいだ。

カーテンの向こうにあったのは、大きな肖像画だった。
老女の姿が描かれたそれは、随分と醜い姿をしている。
顔全体を引き攣らせながら叫び続ける肖像画の下には、銀色の文字で『ヴァルブルガ・ブラック』と書かれている。


『この、穢れた血どもめ!! 我が血族の築き上げた屋敷を汚しおって!! 出て行けええぇ!! 裏切り者! 雑種! 汚らわしい!! 一人残らずに呪われろ!!』


塞いだにも関わらずにカノンの耳へと入ってくる、罵詈雑言の数々。
カノンは頭を打たれたかのようなショックを受けた。この肖像画が、彼女こそが、マルディーニ家の真実を知る最後の人なのだと。

ショックを受けると同時に、彼女はこの肖像画を黙らせる方法も思いついた。
必死にカーテンを閉めようと奮闘するルーピンとトンクスの前に立ち、カノンはゆっくりとした動きで礼をした。
まるでバックビークを前にした時のような動きに、3人は目を丸くする。

叫び声を上げていた老女も、カノンが取った行動を見て一瞬だけ黙りこくった。


『また、我が崇高なる屋敷を穢す者が…』
「はじめまして、Mrs.ブラック。カノン・マルディーニです」

カノンが名乗った瞬間、ヴァルブルガと思わしきその老女は叫ぶのを止めた。
引き攣らせていた顔を正常に戻し、カノンの赤い瞳をジッと見つめた。

『マルディーニ…おお…まさか…』
「先代、アレクセイ・マルディーニより家名を受け継ぎました。現当主のカノンと申します」
『指導者の血筋が、まだ続いていたとは…』
「闇の帝王から血筋を守るために、こちらで匿って頂けませんか?」

カノンが丁寧に頼み込むと、先ほどとは全く別人のような表情のヴァルブルガが深く頷いた。

『我がブラック家に指導者の末裔が…何たる光栄か。魔法界で最も古く、最も気高く、そして最も偉大な血を受け継ぐ者よ、歓迎します』
「ありがとうございます」


スリザリンの末裔であるカノンは、この屋敷内にいることを許されたらしい。
彼女はさらりともう一度礼をし、驚いた様子でこちらを見ているトンクスとルーピンに目線を送った。

「お許しも頂きましたから、奥へ行きましょう」
「あ、ああ…そうだね」
「すごい、あのお婆さんを黙らせちゃうなんて!」
「トンクス、もう少し声を落としなさい」

マクゴナガルが杖を振ると、散乱していたカノンの荷物が再びトランクの中に収納される。
マクゴナガルの性格を表すかのようにキッチリと隙間なく詰め込まれた荷物に、カノンは少しだけ笑みを浮かべた。

カノンがトンクスの手からトランクを受け取ろうとすると、大きな黒い扉がガチャリと開かれた。
ホールの中で一番大きな扉…きっとダイニング・ルームへと繋がる扉だろう。
今の騒ぎで、ホールに人がいることが分かったようだ。
扉の向こうからは一ヶ月前に再開したばかりの、シリウス・ブラックがこちらを覗き込んでいた。


「ああ、着いたか。随分早くあの婆を黙らせたな」
「彼女が機転を利かせてくれてね。さぁカノン、そのまま奥へ行って」

数歩後ろの方からルーピンの声がする。
シリウスもその声に従い、カノンを扉の向こうへと招き入れた。

「行きましょ。あ、トランクは大丈夫よ! もう落としたりしないから任せて…おっと!」

自信満々に言ったトンクスは、次の一歩を踏み出した途端にガツン! と音を立てながら大きな傘立てにぶつかった。

「トンクス、お静かになさい!」
「ごめんなさい!」

ピリピリとトンクスを叱るマクゴナガルと、頭に手を当てて謝るトンクス。
カノン、シリウス、ルーピンはそんな2人のやり取りをなんとも微笑ましそうに眺めた。







***






カノンが扉をくぐると、そこは暗く大きなダイニングが広がっていた。

巨大なダイニング・テーブルが部屋の中央に鎮座し、その周りを木製の椅子が囲っている。
壁際には見事な装飾が施されている食器棚が並んでいるが、どれもが埃や蜘蛛の巣を被ってしまっていた。天井には大きなシャンデリア…これも大量の埃を被っている。

きちんと手入れされていれば、非常に価値のあるものばかりなのだろう。清潔に維持されているマルディーニ邸とは正反対の屋敷だった。


「ここは、シリウスの生家?」
「ああ、そうだ。あの肖像画を見ただろう…俺の母君だ。久しぶりに来たが、相変わらず辛気臭い家だよ」
「ちゃんと清潔にすれば、シックなお屋敷に戻ると思うけど」
「しもべがきちんと仕事をしていれば、こういう事にはならなかったんだがな」

吐き捨てるように言ったシリウスの表情は、なんとも憎々しげなものだった。よほどこの家の中に居るのが嫌なのだろう。

「しもべ…ここにも、しもべ妖精が居るんだね」
「俺に対する忠誠心は全くのゼロだけどな」

忠誠心の無いしもべ妖精がいるのか…と、カノンは驚いた。
そしてあの大きな屋敷で待っていたであろう、トゥーラの事を思い出した。

「あの、ミネルバ先生」
「何ですか?」
「マルディーニ邸に居る屋敷しもべ妖精は、私がこっちに来るという事を知っているのでしょうか」
「ああ、その事でしたか。ダンブルドア先生がきちんと連絡を入れてありますよ」
「良かった…知らずに一人で待ち続けてたらって、心配になってしまって」

マクゴナガルはカノンの優しい気持ちを分かってか、珍しくにっこりと優しい笑みを見せた。


「そういえば、彼女への話はどのくらい済みました?」

シリウスがマクゴナガルに対して問いかけると、彼女は少し困った顔をしてそれに答えた。

「まだ何も…これから話すつもりだったのですが、セブルスはまだ到着しないのですか?」
「いいえ。アイツがこの場所に好き好んで来るはずが無いでしょう。あの男は私を吸魂鬼に差し出したくてウズウズしている…」
「では、彼を待ちましょう」

マクゴナガルがそう言った直後だった。玄関ホールの方から何やら物音が聞こえてきた。
その足音はコツコツと迷いなく厨房まで進み、扉をガチャリと開けた。


「お嬢様!」
「トゥーラ! 何でここに?」
「ダンブルドア様とスネイプ様にこちらへと連れてきて頂いたのでございます! トゥーラめはお嬢様のお帰りを、心からお待ちしていたのでございますが…」
「良かった、会えないまま夏休みを終えるかと思ってたから」

薄く目に涙を溜めたトゥーラが、恭しくカノンの白い手を取った。

「スネイプ様からお聞き致しました…お嬢様が今年、辛く苦しい事件に巻き込まれたと。トゥーラはお嬢様の隣でお支えしたかったのですが、それは許されないのです」

夏休みの間、トゥーラはこのブラック邸に居る事はできないという事だろうか。
カノンがそう考えて眉を下げると、トゥーラの後ろから低い声が響いた。

「屋敷しもべ妖精は、その屋敷と家に仕える存在だ。他の屋敷に居座り生活するというのは、彼らの中ではタブーに値する」
「スネイプ教授!」
「つまり、トゥーラはブラック家に居座る事はできん」
「そうなんですね…」

カノンが目に見えてシュンと落ち込むと、シリウスが早速スネイプに牙を剥いた。

「フォローのひとつでも入れてやったらどうなんだ? 彼女にとって信頼のおける存在なのだろう、トゥーラは」
「生憎だが貴様とは違って、我輩とこの子は付き合いが長いのでな…余計な言葉遊びなどは不要なのだ」

分かり易い程にスネイプは言い返し始める。
信頼の深い者同士なのだと言わんばかりにカノンの肩を抱き、自分の方へと引き寄せた。

「ほう? そいつは素晴らしい信頼関係だな。だが、彼女は15歳の女の子だぞ。偶には言葉に表してやることだって必要な、多感な年頃なんだ」
「この子は他の愚直な子供と少々違い、非常に賢いのだ。言葉が必要か否かは吾輩が決める。貴様に口出しされる謂れはない」

スネイプはカノンの事を信頼し、彼女を誰よりも理解している。それは紛うことなき事実だ。
その信頼関係の中に、宿敵とも言える男が入り込んできたという事が我慢ならないのだろう。

だがシリウスも、カノンの事を思ってスネイプに噛みついている。
彼女が多感な年ごろだというのは事実だし、女の子が優しい言葉に弱いというのもまた真実。
カノンはどちらの肩を持てば良いのか、と困り顔で両者を見た。

するとそこに、キッパリと通る声で割り込んだマクゴナガル。


「2人ともおやめなさい。どちらにせよ、この子が今困っているという事が分からないのですか?」

彼女もまたカノンの親代わりである存在だ。
板挟みになって困っていたカノンを庇い、2人の黒い男に言い返した。

両者ともカノンの困った顔に気づいたのだろう、気まずそうに顔を背ける。だが、スネイプの両手は依然としてカノンの肩を包んだままだった。




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