32


「私、先生のこと好きなんだよね」



聞いてしまった。
先生の返事は聞きたくなくて動かない身体を無理矢理動かして物音を盛大に立てて逃げて来てしまった。
ユーリ先輩にも会った。きっとユーリ先輩は私が何を見てしまったのか気がついてしまったはず、エステルたちも無視して飛び出してしまった。

もう秋も終わる。もうすぐ冬だというのに私は土砂降りの雨に打たれながら一目散に家まで向かった。
運動神経は悪くはないけれど普段歩いて30分以上かかる道のりをずっと走る事なんて出来なくて途中からは歩いた。
身体を打つ雨は鋭利な刃物のようで、身体はどんどん冷えて行くのがわかった。
涙は頬を伝っているのか、ただ雨粒が顔を伝っているだけなのかすらわからない。


「……あーあ…私なにやってるんだろ…」


小さく独り言が漏れた。幸か不幸か急な土砂降りで住宅街には人っ子一人歩いていない。
とぼとぼと歩いていれば家の前でエレベーターに乗って部屋が水浸しになるのなんてお構いなしに私は玄関で乱雑に靴を脱いでバックをその場に投げ捨てて濡れた制服のままベッドに突っ伏した。



△△△


「姫、大丈夫でしょうか…」
「ダメだ、俺も連絡取れないな…」


翌日姫は学校に来なかった。
早朝、エステルに”風邪引いたから学校休むね”とだけ連絡が入ったらしい、昨日の土砂降りで傘もささずに走って帰って行ったんだ、風邪を引くのは納得出来る。
昨日俺は夜に連絡してみたが未読スルー。
自分の元に届いたメッセージ以降姫からの返信も既読の文字も一切付かないことに心配したエステルは昼休みに俺らの元へやってきた。
3人で連絡を取ってみようとしたが誰の携帯にも返信や電話の折り返しもなかった。
風邪で返信ができないくらい相当具合が悪いのではないか、部屋で倒れていたりしないか、などとエステルは酷く心配している。このままでは授業そっちのけで飛び出して行ってしまいそうな勢いだ。
何故姫が昨日血相変えて雨の中に飛び出して行ってしまったのかを2人は知らない。
俺は2人に昨日姫が見てしまった事、姫自身がおっさんの事を好きだという事を話すべきか少し悩んでいた。


「…俺今日帰りに姫ん家寄って見るわ」
「それなら私も行きます!!」
「僕も心配だし行くよ!!」
「バーカ、病人相手に3人で押し掛けたら気使うだろ?俺がなんか差し入れ持って様子見に行くくらいが丁度良いって」
「…でも!」
「それもそうだね…エステリーゼ様…ここはユーリに任せましょう?」
「フレンまで…」


なんとなく何かを察してかフレンがエステルを止めてくれた。
まだ納得が言っていないような顔でエステルは”姫をお願いします”と歯切れ悪く言うので俺は宥める様に少しだけエステルの頭を撫でた。


放課後になって、昇降口へ行く前に俺は理科準備室へ足を運んだ。
昨日白衣を投げつけた後から今日一日ヤツとは会っていなかった。
ノックもなしに俺は静かにドアを開けた。


「…青年…?」
「よぉ、アンタ随分思い切り引っ叩かれた見たいだな。まだ顔赤いぜ?」
「はは…困ったもんよね…勇気もって伝えてくれた言葉を『教師だから』の一言で返しちゃったからね。」


困った様に笑うおっさんに俺は妙に腹が立った。今日姫が学校に来ていないのは紛れもなくコイツの所為なはずなのに何故そんなにヘラヘラと腑抜けた笑みを顔に貼付けてられるのか。


「アンタ担任なんだから今日姫が来てないのわかってるよな?」
「嬢ちゃんに連絡合ったって聞いてるよ。隣なんだから俺に直接言ってくれればいいのに…」
「…っ…!アンタがそれを言うのか?!ふざけるなよ!姫はアンタのこと…」
「俺だってわかってるし、今からだって様子見に行きたいし弁解だってしたいぜ…?でも『教師』だからそう簡単にも行かないのよ」


以前コイツは姫のことが好きだ。と言っていた、なのに昨日の一件が合ってかは知らないがこの冷めざめとした雰囲気は一体なんだというんだ。

「アンタが姫のこと好きだって言ったのは教師なんて関係ないからじゃなかったのかよ。中途半端な気持ちで俺に打ち明けたり、姫に思わせぶりな態度なんて取ってんじゃねーよ」


挨拶も何もせずに俺はその場から離れた。乱暴にドアを締めた拍子に何か人の声が聞こえた気がしたが俺は気にも留めないで昇降口で待っているエステルとフレンの元へ急いだ。


「俺だって…あの子を大事に…したい」


△△△


いつもの分かれ道でエステルとフレンと別れて残り数分で自分の家の通り道にある姫の家まで辿り着く。
エステルは最後までごねていたがコンビニで差し入れを買う時にせめて私が買います!と大量にスポーツ飲料水やゼリーなんかを手渡された。ざっと1週間分くらいありそうな品数だ。
相変わらず携帯には姫の名前が通知される事はなく、既読も一向に付かなかったがとりあえず”今から差し入れ持って行く”とだけ連絡を送っておいた。
インターホンを鳴らして見るが中から動いている気配がしない。もう一度鳴らしてみるか、とボタンに手を置こうとした時にガチャリとドアの鍵が開いた音がした。


「…せん、ぱい…?」
「よ!…大丈夫か…?」
「連絡…ごめん、なさい」
「俺は事情わかってるからいいけど、エステル相当心配してたぞ。連絡返してやれって…」


あからさまに熱があります。と言わんばかりに上気した顔と熱からか目が潤んでいた。
瞼が腫れているのを見る限り泣いていたのは間違いないようで、ドアを開けて目が合った以来一向に目を合わせてくれなかった。
相当弱っているのは確かで、弱っている女子をどう介抱してやるべきか悩んだが、寝かせるのが先決だ。
大量に差し入れの入った袋を差し出すと不思議そうな顔で俺を見上げるが申し訳なさそうに受け取る。


「エステルたちから。あんま無理するなよ?今日はゆっくり寝て元気になったら学校来いな。なんかあったら連絡してくれ、すぐ来るから。」
「ありがとう、ございます…」


俺に少しだけ力なく笑うのが何とも言えない保護欲をかき立てられる。
いいからもう寝ろ、またな。と頭を撫でて少し手を振った。
小さく礼をしてドアを抑えていた手を離し姫はフラフラと覚束ない足取りで部屋の中へ戻って行くのが見えた。


△△△


昨日、教室の締め作業をしているとやたらと俺にベタベタしてくる女子生徒が入って来て、なんとなく雰囲気的に告白される。と俺は察していた。
傷つけない様に丁重に断りを入れようと、『教師』という事情を突きつけてやろう。と思っていた。
案の定、告白をされた。ああ、やっぱり。おまけに抱きついてくるなんて逃がさない。とでも言われている気分だ。
頭を抱えたくなるのを抑えて、さっきまで頭の中で考えていた台詞をそのまま反復しようとすれば、廊下の方から大きな音が聞こえて思わず言葉を止めて生徒を引き剥がす。

「びっくりした…!のぞき?」
「さ、さあね」
「それで、せんせ。私好きなの、ダメ?」
「ごめん…俺は教師だからキミの気持ちには応えてあげられない」


もう一度俺に抱きつこうと力ずくで懐に侵入してくる生徒の肩をしっかりと抑えて、今度はちゃんと返事をした。
けれど、先ほど音を立てて走って行ったのは誰だったのか、俺は酷く気になっていた。もし、姫ちゃんだったら…。なんて考えながら廊下の方をチラチラと覗く。
自分に気が1ミリも向いていないことが気に入らない目の前の生徒は俺の事をお構いなしに口を開いた。

「…ひとつ聞いても良い?」
「……」
「先生って本気で生徒好きになったことあるの?」
「…ある」


現在進行形で、なんて言葉は問題になりそうで付け足さなかったが、俺のその返答はお気に召さなかったらしい。多分それを俺が廊下の方を見ながら言ってしまったものだからもしかしたらいらんヒントを与えてしまった様にも思えた。
そして気がつけば、この変態!と振られた腹いせか本心か、そのどちらもかで叫ばれたと同時に平手打ちが俺の頬を見事に捉えていた。
そして入れ替わる様にユーリが入って来た。
ユーリが片手に持っていた白衣を投げられた瞬間に俺は一気に頭から血の気が引いた。
あの後帰宅して、隣の部屋は電気一つ点いていなかった。
弁解しようか、どうしようか、少しの間ドアの前で硬直していたが俺にはインターホンを鳴らす勇気がなかった。
翌日、嬢ちゃんから病欠すると言づてを伝えられて、終いには放課後にまたユーリに言いたい放題言われて、帰宅して来たところだった。
今日は全く仕事に身が入らなかった。ユーリの剣幕を見た限り、俺は姫ちゃんにショックを与えてしまったのは事実でそれで寝込んでしまった。と言われてしまえば反論する気にもなれない。
俺が最後に見た彼女は俺にヤキモチ妬いて拗ねて、仲直りしていつもの笑顔に戻っていたはずだったのに。
相も変わらず昨日と同じ様に隣の部屋の電気は一つも点いていない。
さすがに、大人として心配にもなってきた。
少し様子を見るべき気がして、弁解の言葉も何も考えずに俺は今日こそインターホンを押した。くだらない御託は後回しだ。
何回か間を開けてインターホンを鳴らしてみるが一向に反応はなくて、更に心配になってくる。
思わずドアノブを回せば、カチャリとドアが音を立てて開いた。
女の子の一人暮らしだって言うのに不用心だ。姫ちゃーん、お邪魔するよー…。と小さめの声で呟いて靴を脱いで一歩なかに入れば袋やバックが無造作に置かれていて、ペットボトルが足下に転がっていた。
電気を点けるとベッドに手をかけて倒れるようにうつ伏せに寝てしまっている姫ちゃんがいた。

「っ…!姫ちゃん?!」

駆け寄って身体を支えるとぐったりと赤い顔をして息苦しそうにしている。
額に手をやってみれば明らかに高熱で汗もかいていて服もかなり湿っていた。
目を覚まそうとしない彼女に少し気が動転して病院に連れて行くなんて考えは起きず、起さない様に抱えてベッドに横たわらせて、近くにあった体温計を脇に挟んで袋から飛び出た熱さまシートを額に貼った。

「こりゃ…着替えもさせないと不味いな…」

ペシペシと眠っている病人が起きないかを確認して俺は一旦自分の部屋に戻ると大きめのスウェットを手にまた姫ちゃんの家に戻った。
なんとか俺1人でやらないと、と未だに冷静なようで冷静ではない自分に気がつかないまま、ゆっくりと身体を起こしてスウェットを頭から被せて布団を更に被せてなるべく見ない様に姫ちゃんが着ていた服を脱がす。

「…目覚ましても怒らないでね…」

ダボッとしたTシャツ一枚だけで、パッド入りのキャミソールだけでブラジャーを身につけていない事に気がついた俺はそれも脱がすかどうか熟考の後にさすがにこれは無理だ。と悟った。
腹と背中は汗を拭いてやって、胸はとりあえず見て見ぬ振りをする。
いくら姫ちゃんのことが好きで下心があって今は絶好のチャンス!なんて邪念を抱いたけれども自制した。
なんとか着替えさせ終わって、洗濯カゴに放り込んで、大量にゼリーなどが入った袋を冷蔵庫へ入れる為に中身を物色していれば、メモ紙がなかに入っていてこのゼリーたちは嬢ちゃんたちからの差し入れだという事がわかった。
なかには白粥も入っていたので、それを一つ手に取って少しだけ味付けして食べ易い様にしておこう、と台所を拝借することにした。


「…ん…?」
「…姫ちゃん…?気がついた…?」
「……せん、せ…?」


白粥をアレンジし終えた俺はせめて目を覚ますまで様子を見ていよう。とベッドのすぐ近くで本を読みながら待っていた。
声をかけた俺に、ゆっくりを顔を動かして一瞬目線が搗ち合う。当の本人は多分まだ意識が朦朧としているのか視線が彷徨う。
手を握ってやると、安心したかの様に少しだけ笑った。
少し意識がハッキリして来たのかゆっくりと身体を起こそうとするので身体を支えるのを手伝った。


「せんせ、…なんでここに…?」
「今日休んだから心配になって様子見に来たの」
「……服…」
「!!…み、見てないから!!断じて俺は見てないわよ!!汗かいて湿ってたからせめて着替えさせようと…」
「…ふふ…必死…」


普段は割としっかり者でからかうとすぐに赤面してしまう初心な彼女は、本調子ではないようで俺の必死の弁解をクスッと力なく笑っている。
これではいつもの逆な気がして、それでもなんだか後ろめたい気持ちもあって逆らえる気がしなかった。
恐る恐る体温計を渡すと、ゆっくり脇に挟んで無機質な音が鳴るまでじーっと俺を眺めながら待っている。

「そ、そうだ!姫ちゃん少しでもいいからご飯食べられる?薬飲まないと!」

コクリと小さく頷いて、体温計を俺に手渡すと最初に測った時よりかは熱は引いたようだった。
熱で弱った姫ちゃんは普段のそれとは全く違ってなんだか甘える子供の様に感じた。
粥を温め直して運んでやれば嬉しそうに受け取って頬張っている。
半分くらい食べきって、もういらない。と小さい声で呟くので黙って受け取って薬と水を手渡した。
調子も大分良くなっているだろうしさすがにこれ以上ここにいるのもなんだかソワソワしてしまって気が持たなそうだ。
そろそろお暇する事にしよう。と俺は決めて口を開いた。


「熱もさっきより引いたみたいだし、もう一回寝れば明日には治ってるかもね!具合悪かったら明日病院行くこと!おっさんはいい加減帰るからね…?」
「…まって」


部屋から立ち去ろうと立ち上がった瞬間に俺の服の裾を姫ちゃんは両手で掴んで、見る見るうちに悲しそうな表情へと変わった。
こうされてしまうとさすがに動けない。目が潤んで上目遣いの様にも見えるそれにさすがにドキリとしてしまう。
姫ちゃんは俺が帰るのをやめたと感知したようで、ゆっくりと手を離してくれた。
昨日彼女は俺が告白されている現場を見てしまったというのに熱の所為で記憶が一時的に曖昧になっているのだろうか…。
俺はベッドの前に座ると、片手をゆっくりと姫ちゃんの手に重ねた。

「俺、昨日告白されたけどちゃんと断ったから…」

付き合ってもいないというのにポツリと出た言葉はこれだった。
俺のことをじっと見つめる姫ちゃんは一言も発さずに重ねていた手をギュッと握られた。

「…よかった…」

か細い声でそう確かに聞こえて、顔を上げれば目を瞑って姫ちゃんは意識を落としてしまったらしい。
スースーと規則正しい寝息が聞こえ始めて、握られていた手を離そうとすればガッチリと掴まれているようで、それは叶いそうにもなかった。

「参ったねこりゃ…」

離して貰えそうもない手と彼女を見ながらもう片方の手で頭を撫でた。

「……んせ、すき…」

撫でた拍子に起きてしまったのかと思えばどうやら違ったようで、聞こえた言葉に俺は思わずらしくもなく赤面した。
無自覚な寝言で告白された、しかも生徒に。昨夜の告白では何も感じなかったというのにこうも違うとは…なんて思わず笑みをこぼした。
熱に浮かされたのは姫ちゃんだけじゃなかったらしい。


「俺も、だよ…」



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