縄張り意識


全寮制の魔法士養成学校、ナイトレイブンカレッジ。
魔法士の名門校であり、人間でも妖精でも、獣人でも魔法の素質があり、魔法の鏡に選ばれた者だけが行くことのできる。

半年前、私は選ばれたものだけがやってくると言われているお迎えの馬車に乗ってこの学園へやってきた。
もちろん、不正も何もなく間違いなく魔法の鏡によって選ばれたということだ。

私の両親はもともと種族柄なのか放任主義であったし、許可は簡単にしてくれた。
獣人でもある私はすぐに魂の選抜により当然のようにサバナクロー寮に決定したのだが…大きな問題が一つ。

ここは男子校だというのに私は紛れもなく、女だからだ。

学園長には初めてのことで非常に驚かれたが、魔法の鏡によって選ばれたということと、私自身も強く入学を希望したらある条件付きで入学が決まったのだ。
その際には何度も「私、優しいので」と恩着せがましく言われたが。

その条件というのが、男性の制服と振る舞いをすること。つまり、男性として学園生活を過ごすということを条件に認めてもらえた。
私が所属することになったサバナクロー寮は、全て獣人であり、様々な種属がいるが基本的に鼻のきく人ばかり。
女性特有の生理が来てしまうと、血の匂いですぐバレてしまう可能性がある。そうでなくても、雌の匂いに敏感な雄が居れば勘づいてしまうだろう。

そのため、匂いの予防で経口避妊薬と雌の匂いを消せる魔法薬を飲んで生理にならないようにと匂いを消して、なんとか入学することができたのだ。
正直、ここの学校のことは噂で聞いていて憧れていたから、どういう手違いだろうと私にとっては幸運なことである。

目立たないよう過ごすことあと半年で1年。
地味に過ごしていたお陰であと半年で無事に2年生へ上がれる。

このまま目立たないままこの学園で4年間過ごそうと思っていたのに、その願いは簡単に崩れ去ることになった。

「おい、チビトラ」
「…」

温室で静かに本を読んでいた時にその声に耳がピクッと動いてそちらに向ける。
入学式に怠そうな声で挨拶をサラッとしていた獣人、その人が私の目の前にやってきた。
私の過ごしているサバナクロー寮の寮長であり、留年を繰り返しているため最年長となっているレオナ ・キングスカラー先輩。

目の前にこんな大きなライオンがやってくれば、反射的に警戒するように縞様の尻尾が逆立つ。

「…私は犬です」
「犬っころがそんな色の尻尾してんのか?随分と洒落てる尻尾じゃねぇか」

トラ柄の尻尾が揺れ、私は犬歯を見せて唸る。

この人とは関わりたくなくて、この人の縄張りとも思えるいつも寝ているところからはかなり離れたところで腰を落ち着かせていた。
それにいくら魔法薬で誤魔化しているとはいえ、優秀な獣人の魔法士だと気がついてしまうのではないかと思い、自分の匂いとかで気配に気づかれないよう、温室内にある匂いの強い草木に身を潜らせていたほど気を付けていたのに。

強さも地位もあって、ライオンという種族。
この寮では絶対的な存在ではあるが、トラの自分からしたら群れるライオンなど相手にしたくない。

私は本を閉じると立ち上がり、一応頭を少しだけ下げて挨拶をしてから立ち去ろうと一歩踏み出したところで、ライオンは私の腕を掴んだ。

一体何だというのだ。
獣人は縄張り意識も強いから関わるのが嫌。
だからこそ、このライオンの匂いがするところへは行かないように意識をしていたのに、まさかこんな近寄ってきているとは。
本を読みながらウトウトして油断していたとはいえ、迂闊だった。

「ジャングルの王者ともいわれるトラの種族がサバンナにノコノコと…。それとも、自ら喰われに来たってことか…?」
「あなたの縄張りを奪うつもりはない。あなたの下について群れるつもりもない。関わらないで下さい」
「先輩にとる態度じゃねェな」

今まで関わらず平穏に過ごせていたのに、ここに来て今までの苦労を全て台無しにする訳にはいかない。
この半年は誰にも絡まれることが無かったのに、何故このタイミングで。
しかも自分の所属する寮長に絡まられなくてはならないのか。

私は掴まれている腕の力を抜いて素直に頭を下げた。
トラの獣人だからといって私にそこまでのプライドはないし、この学校に通えるのなら何だってする。

雄だったらまた違うのかもしれないが、私は雌。
プライドよりも学業を取る。この名門校に入ったからには何が何でも卒業したいし、自分の将来のためにもっとたくさん知識を吸収しておきたい。

「…ジャングルの王と言われるトラの獣人が頭を下げるか」
「揉め事を起こしたくないし、実際にあなたは私の先輩だ。非礼を詫びます」

もう逃げる気などないというのに、キングスカラー先輩は私の腕を離すどころか更に強く握り締めてきた。
手首の痛みに顔を顰め、顔を上げるとキングスカラー先輩はニヤニヤと悪巧みを考えたような笑みを浮かべている。

一体何がしたいのだろうか。
私は寮長が出てくるような問題も起こしたこともないし、この人の取り巻きである同じクラスで同室のラギーとも関わらないようにしてきたから、私のことは何も知らない筈だ。
実際にこの半年間は全く絡まれることもなく過ごしてくれたのだから。

「肉食動物でジャングルの王者とも言えるトラがなァ」
「キングスカラー先輩。先程から何をおっしゃりたいのか分かりません」

初めて見た時から怠そうな顔しか見たことがなかったというのに、今は狩りを楽しんでいるような、そんな顔して私を見つめる。
引き込まれそうな美しい翠眼がハッキリと見えて、ドキリと胸が高鳴った。

「お前、本当に雄か?」

今度は違う意味でドキッと心臓が飛び跳ねる。
半年間誰にも言われなかったいきなりの指摘に息がつまりそうになり、それでも何とか冷静になれと自分を必死に落ち着かせた。

ここで動揺してしまえば全てが終わる。何しろ彼は自分の所属する寮長でもあるのだから。
むしろ彼にだけはバレてしまうことのないようにしなくてはならない。

グルルっと威嚇するように喉を鳴らし、牙を見せながら自分より頭1個分以上も高い翠眼を睨みつける。

「しっかり威嚇出来るみてぇだな」
「私に構わないでください」

顔が近寄ってきてフワリとライオンの雄の匂いが鼻を掠める。
この距離は一体なんなんだ。
唇に息のかかる距離までずいっとやってきたキングスカラー先輩は鼻をスンと、まるで私の匂いを嗅いでいるような仕草をした。

「雌の匂いが微かにすんのは気のせいか?」

思わず後退してレオナ先輩から距離を取る。
魔法薬で完全に雌の匂いは消せているはずだ。
なのになぜバレたのか、そんな動揺が私の行動によって肯定される。
しまったと思った時にはすでにレオナ先輩は私の態度で確信したかのように口角を上げた。

「どうやって紛れ込んできたのかは知らねぇが」
「っ!追い出さないで!お願い黙っててください!」

匂いには人一倍、気を付けてきたし同室のラギーですら気が付かないものになぜこの広い温室で、しかも匂いの強い植物の近くに居て気が付かれたのか。
なぜ、どうして。疑問しかない頭の中でラギーがレオナ先輩のことを嬉々として話していたことを思いだす。
頭も運動も魔法も、何をしても優秀でライオンという種族柄なのかその嗅覚も聴覚も魔法薬では誤魔化せないほど優秀なのだと。

バレてしまえばもう、頭を必死に下げて懇願するしかない。
私は縋るような気持ちでライオンに頭を下げた。

「…おれに目を瞑れと?」
「何でもしますので、お願いします」

誤魔化し切れる自信もなかったし、相手が相手だ。
自分とこの人との差は大きく、言葉で誤魔化すにも限度がある。
完全に匂いや本能で嗅ぎ取られてしまったのであれば、下手に嘘をついて取り繕うよりも潔く認めてしまい頼み込んだ方がいい。

頭を下げていてキングスカラー先輩の顔を見ることは出来ないが、想像は出来る。
きっと先ほどのように獲物を見つけたような鋭い目を向けられているのだろう。
いつもはめんどくさがってやる気がないのだから、今こそそれを発揮して「関わるのも面倒だ」とかいう言葉を期待してもう一度「お願いします」と声を震わせた。

「条件がある」
「何でしょうか」
「おれの下で働け」
「…つまり、ラギーのようになれと?」

私の言葉を肯定するかの様に、キングスカラー先輩は鼻で笑った。

トラの獣人を従えるのがそんなに優越感なのだろうか。どちらにしろ今の私に拒否権はない。
平穏な学生生活のため、将来のために多少の我慢は必要だ。

「分かりました、キングスカラー先輩」
「明日の朝はお前が起こしに来い」

頷くことしか出来ないのが悔しいが、こればかりはどうにもならない。
そう言いながら背中を向け出し、歩き出したキングスカラー先輩を慌てて追いかけた。

「匂いですか?」
「あ?」
「雌の匂い、私からしますか?」

私が言うとキングスカラー先輩は至極楽しそうに笑う。
こんな表情は見たことがなくて驚くばかりだ。

私が再度問いかけると私の顎を片手に目を合わせて口を開いた。

「ただの勘だ。お前からは雌の匂いは一切しねぇ」
「っ!騙しましたね!」

悔しくて顔を顰めると、キングスカラー先輩は満足そうに口角を上げてから手を離す。
そのまま立ち去るライオンの尻尾は楽しそうに揺られていて、私の悔しさをさらに煽った。

こうして、私の平穏な学園生活は見事に崩れ去ったのだった。






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