結局あたしは向日葵屋敷に帰ることにした。今の身体の状態を気遣っての処置である。
普通なら病院で療養するのがいいと思うだろうが侮ってもらっちゃいけない。あたしという重病患者がいるせいで、あたしの家は大抵の大型病院よりも充実した医療機具が設置されている。
その在りようの夥しいこと。
犬も歩けば機材にあたる、妙薬はより取り見取り、一寸先は麻酔、二階からナースコール。
先生もあそこで開業したほうが早いような気もするくらいだ。むしろ、何故しない、といった具合。メディカルワンダーランドの愛称さえつきそうな現場なのに。あはははっ、自分の家にそんな愛称つけるのもなんなんだけどさ。
帰宅すると決断したのは、半泣きの状態で砂場先生に促されたのも起因するところだが、そんなことよりもあたしにそうさせてしまったのは、先生が苦し紛れに言った一言だった。
“どうしても嫌がるなら、ラヴィに無理矢理迎えに来てもらうぞ”
これである。
本来なら、保護者のようなポジションであるラヴィが迎えに来るのは当然のことであるし、多分そういう意味合いを含めての先生の発言であっただろうし、先生自身もこの発言に威力を期待していないような目ではあったのだが、その名指しにより、あたしは若さの目立つ旧くの記憶に反応せざるを得なくなった。
“俺は貴女の脚を折ってでも、ここに引き止めてみせます”
あー、怖い怖い。なんなんだあの執事は。執着ありすぎ。おっ、言って気付いたけど字面が似てる、面白ー、小指の爪分くらいは。
そんな暴力的執事に迎えに来てもらうなんて自殺行為だ。現行犯逮捕どころか現行犯処刑されかねない。ならいっそ、自首する形で帰宅したほうが罪がかるくなるだろうといった寸法だ。ていうか外出しただけで罪って何事なの。ん、いや、この場合は脱獄か?

砂場先生、三月と、帰るための空港に行き、ホテルで目的の便を待っていた。実を言うとあと五時間もある。早く来すぎてしまったのだ。もうちょっと《カンパニー》にいてもよかったかもしれないなあ。まあ、いつまでもあの部屋をあたしが使っているわけにもいかないし、潮時といえば潮時だったかも。良しとしよう。


「騒禍さん」
「なに」
「アンタ、ほんとに口の感覚、ないんすか」
「ないよ」


あたしがホテルのベッドに座って携帯を弄っていると、三月眠そうに尋ねてきた。彼は背もたれに顎を乗せる形で椅子に座っており、色素の薄い目はまるでただいま冬眠から目覚めたかのように蕩けやかだ。三月だし。春の麗らかな陽気みたいな。いや、まあ、今の三月は冬眠から目覚めた、というよりは冬眠したい、に近いんだろうけどね。
ちなみに先生は隣の部屋である。流石に三人一緒に寝れる部屋は取れなかったのだ。


「んー、厳密に言うなら温度は感じるね。熱い冷たいはわかるんだけど、たとえば、こう――」


と、私は自分の指を口の中に突っ込んだ。


「――やっても、指が入ったのは感じないかな。ていうかあたしの指冷たっ」
「ふぅん…………やっぱ感覚ないと怖いっすか?」
「全然」


あたしが返した言葉に三月は眉を潜めた。今にも溜息でもつかれそうなくらいに、呆れた眼差し。


「あたしの全盛期、あっ、ひや、あたしにとっては《全逝期》って感じかな。その頃はもっろヒドかったもん。高々口の感覚なくなったくらいじゃ今更焦んないよ。あははははっ!」
「そっすか。俺にとっては、昔にどんだけ死にかけてようが、原因不明でそんなメに合ったらビビると思うんすけどね」
「へぇ。ほんなもんかな。まあ、いいや。それよいさー三月。もし圧政で不満爆発しそうなとこの水路開発計画を中止とかにしたらそこの国民とかはもしか」「狂ってる」


彼は欠伸しながら言った。
緊張感のカケラもない、全く締まりのないトーンで。



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