#01 林檎と銀貨 1/6



 ダストシュートの管を通って彼が辿り着いたのは、真っ暗闇の世界に小高くそびえる、白骨の山の上だった。
 受け身を取った彼の自重で、それらは脆く押し潰される。手をつくと、焼けて干乾ひからびきったような、灰にも似た感触。彼は持っていたライターで足元を照らした。折り重なる骸骨が延々と広がっている。目線と共にライターを持つ手を上げた。足元の骨以外に浮かびあがるものもなく、この暗闇はずっと果てまで続いているのだろうと思われた。彼はかしゃかしゃと乾いた足音を立てながら、山を下っていく。
 しばらくして、かつん、と彼の足が冷たい地面を踏んだとき、目が暗順応したことに気づく。ただの暗闇だと思っていた景色に明暗が浮かびあがったのだ。たとえば、ガラクタをげたような鉄骨や、トタンの壁面。それらはいくつものネジや歯車により組み合わされ、一つのドームを形成していた。そんな場所に彼はいる。あたり見回すと雑多なごみ。世の中に出しては置けないものを掻き集めたかのような、未知すら覚える圧迫感。そして、そこにまぎれこんだ人影。彼は凝視した。
 血だらけの死体が倒れている――― そう思った次の瞬間には、真っ赤なドレスを着ているだけだと、彼は気づいた。幾重にも生地を折り重ねた、複雑な型のドレス。それに身を包むのは華奢な少女だ。横たわるさまはあまりに頼りなく、生死を判別するに難い。ただかすかに胸が動くのを見て、彼は少女が死体でないことを悟った。
 白骨の山を背に、彼は笑みをこぼした。
「君は、かなりの強運だな」
 そんな彼の声に、少女は容易く目を開けた。しばし彼を見つめたのち、透き通るような声で「はじめまして」と言う。彼も「はじめまして」と返した。
「おにいさん、だれ?」
「イヴ」
「え? なにそれ」
「俺の呼び名」
「ふうん……」
 少女はぼんやりと目を瞬かせる。
 イヴは「君も落ちてきたの?」と尋ねた。
「そうだよ。ここがどこだかわかるかしら。あたし、いま迷子なの」
「ここは道に迷って来られるような場所じゃないんだけどな」
「道じゃなくて人生。もしかしてここは地獄?」
「天国じゃなくて?」
「天国なら、もっと明るくて、優しくて、素敵なところだと思うもの」
 そう言いながら、少女は天井を仰いだ。イヴもここの悲惨なありさまを見渡して「なるほど」と呟いた。
「ここが地獄なら、貴方は死神さん?」
「まさか。第一に、君は死んでない。生きている」
 驚いたように少女は目を見開かせた。ずるずると体を起こして、首を傾げる。腕に触れ、頬を抓り、いよいよ現実味を帯びてきた表情で「んま。本当」と呟いた。それを見守ったイヴは「さて。これからどうする?」と問いかける。少女は目を瞬かせた。
「あたしに聞いてる?」
「君以外に誰かいる?」
「おにいさんがいるじゃない」
「自問自答はしない主義なんだ」
「答えが導き出せないから?」
「君に聞いたほうが早いから」
「あたしがこれからどうするかで、おにいさんのこれからもどうにかなっちゃうってこと?」
 イヴは表情を変えずに閉口した。
 ぼんやりした目でドレスを見下ろす少女は、「ちなみにね、」と口を開く。
「あたしは、とにかく着替えたいわ。服が真っ赤なんだもの」
「赤いとなにか?」
「あるわ」
「どんな?」
「どんな?」
「どうしてそんなことを?」
「そんなってどんな?」
「どんなってそんな」
「なにそれ」
「こっちの台詞なんだけど」
 イヴは苦笑した。彼女との対話は、まるで夢の中の住人と対話しているかのような、覚束おぼつかない心地がした。けれど、ややあってから、「まあいいや」とこぼす。これ以上この少女と話してもなんの得にもならないと気づいたのだ。イヴがここまで落ちてきたのは、意味のない会話をするためではない。その場を去ろうと踵を浮かせた。
「じゃあ、俺は行くから」
「行くってどこに?」
「ここから出るんだ」
「えっ。出られるの?」
「一応」
「あたしも連れて行って」
「どうして?」
「これからどうするか決めたのよ」
「着替えたいんだろう」
「それとあと一つ。おにいさん、あたしのこと、助けてみてよ」
「それ、君じゃなくて、俺が決めることじゃない?」
「貴方に助けてもらうことに決めたのよ。ここが地獄でも天国でもなくて、あたしがまだ生きてるなら、死にたくないの。だからあたしを助けてみてよ」
 自分に縋る無力そうな少女を、イヴはじっと見つめた。
 まず考えたのは、己がこの少女を助ける意味だ。助けたとして、己に利は一切ない。むしろ不利が目についた。しかし、いつまでもここに放置しておくのもはばかられる。今日か明日か明後日か、きっと次の“利用者”が行き着いてくるだろうが、それがいつになるかも知れないし、放っておけば少女が衰弱死するのは目に見えていた。けれど、やはり、自分がその責を負ういわれもない。
 如何いかんともしがたい。現実の厳しさを少女に教えてやるか。気まぐれに誘いに乗ってみるか。どちらを取るかを少女に任せて――彼女がどうするかで、己もどうするのかを決めるのか。考えたのち、イヴは口を開く。
「たとえば。いま君の目の前に、芯しか残ってない骨みたいな林檎と、およそ林檎一つ分が買えるだけの銀貨があるとしよう」
「なぞなぞね。あたし得意じゃないわ」
「君はその二つのうち、どっちを選ぶ?」
 少女はなにも言わないで、イヴのことを見つめていた。ややあってから、「なぞなぞは得意じゃないの」と声を漏らす。ここにきてはじめての、少女の悩むような吐息。暗がりでイヴには彼女の表情は読み取れなかったが、幸先の好い顔色をしているとは思えなかった。イヴにとってはなぞなぞではなく、あくまでもあるがままの答えが欲しかっただけだ。悩むようなら、と踵を上げたが、意外にも少女の解は早かった。
「骨みたいなのでも林檎が欲しい」
 黒曜石のような瞳はしかとイヴを見据えている。
 イヴも少女をじっと見つめていた。
 二呼吸ふたこきゅうほどの間ののち、イヴは少女の目線に合うようにしゃがみこむ。彼の目を見て、少女は「綺麗な青色ね」と褒めた。イヴは笑った。こんなにも瞭然なのに、まだ気づいていないのだ。その返答が、彼女と彼の運命を大きく変えたことに。
「……どうやら君と俺は同志のようだな」
「同志?」
「喜べ。どうやら俺は、君を助けるつもりらしい」



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