#02 馬鹿は首を吊れ 5/5



 亜終点からの帰り道は、ひどい土砂降りに見舞われた。そんな冷たい夜の道を、イヴとオズワルドは同じ傘の下、身を寄せ合って帰っていた。
 二人の差す黒い傘は、帰り際に哀王からもらいうけたもので、返さなくてもいいとの許可も得ている。夕食までいただいた挙句、本来の目的である換金可能な物資まで頂戴してしまったのだから、今日の諸々の一件を考慮しても、ようよう見れば借りができたのだと、イヴは思っていた。
 イヴはライターを点しながら、上空を泳ぐ《Merkabah》を探す。歯車と針を確認すると、まだまだ歩くことになりそうで、深く息をつく。道中、イヴはオズワルドに尋ねた。
「お前は射撃競技をしていたのか?」
「うん」
 オズワルド曰く、ピアノもバレエもしていたが、どれも長続きすることはなかった、と。たしかに彼女には、美しい音色を奏でる才も、優雅に舞う才もなさそうだ、とイヴは思った。始めてから十年も続いたのは、意外も意外、少女の習い事にはふさわしくない、射撃だけだったのだとか。
 しかし、その腕前は大したものであると、イヴは思っていた。十メートル放れた地点にある細い縄を撃ち抜けるほどの腕前だ。長年嗜んだだけはある。
 そして、その射撃術に感心したのは哀王も同じだった。それだけの技術があるなら持っていたほうがいいだろうと、なんとエアライフルを一丁、オズワルドに譲ったのだ。ほぼ唯一と言っていい使い所、、、だろう、と皮肉も添えてはいたけれど。
「なにはともあれ、見直した」
「惚れ直した?」
「思い直すぞ」
「イヴはよかったの?」
 突飛に話が変わったのを察して、イヴは「なにが?」と問い直す。
「哀王がナマコにならなくて」
「ナマコにはならなくていい」一拍置いて。「仲間としてなら惜しいけど。でも、哀王は俺だけをご所望だったろう。俺が哀王の手を取るか、お前の手を取るかの二択だった。お前は俺に哀王を選んでほしかったのか?」
「イヴと一緒に、哀王を選びたかった。そういう選択肢だってあったはずだよ。あたしよりもうんと賢いイヴなら、きっと選べた」
 イヴは「どうかなあ」と呟きながら、肩を竦める。実際のところ、オズワルドの言うような選択肢は存在しなかった。哀王はオズワルドを蛇蝎のごとく嫌っていたし、三人でいることをイヴとオズワルドが望んでも、哀王は望まなかっただろう。しかし、イヴが唱えたのは、そんな哀王の心情ではなく、己の心情だった。
「俺は、たぶん、俺の前も後ろも、歩いてほしくないんだ」
 イヴの言葉に、オズワルドはぱちくりと目を瞬かせた。その意味を理解できなかったからではない。むしろ、その意味を正しく理解していたからだ。
「……導かないかもしれないし、ついていかないかもしれないから?」
 イヴはかつての相棒に言われたことがあった。君は前ばかり見ている、と。どんな気持ちで追いかけているのか、考えたことはあるのか、と。その言葉の意味をイヴはずっと理解できなかったけれど、哀王という、己と鏡写しのような人間を見て、我が身を省みて、わかったような気がした。
「哀王の言う仲間とは、己の有益に有用な人間の集まりだ。横並びでない、縦並びの関係。哀王と、それに従う者たちでできている。いまの亜終点はその縮図と言えるよ。俺は哀王に従うつもりも、哀王を従えるつもりもない」
「イヴは、ただ、隣にいてほしいのね」
 オズワルドの言葉に、イヴは「そういうことだ」と返した。
 己とかつての相棒はずっと隣同士で、同じものを見ているとイヴは思っていたけれど、己は相棒を置いて行ってしまったし、もしかしたら、根本では、二人は全く別の方向を見据えていたのかもしれない。
「大丈夫。あたしがいるよ」
 イヴはそう囁いたオズワルドをそっと見下ろした。オズワルドは、イヴのほうを見もしない、なんでもないような顔をしている。暢気に隣に並んでいるだけなのだ。だからイヴもなにも返さず、ただ小さく笑ったのだった。
 イヴはオズワルドを利用するに値すると思ったことがない。それなのに、哀王ではなくオズワルドと共に生きることを選んだのは、運命の一言に尽きた。運命の出会いだったから仲間になった。真実をばらまいたあの爽快な朝日の中、隣にいたのが彼女だったから。たったそれだけの理由だ。
 だから、失望することもない。
 イヴとオズワルドのあいだには、裏切れるほどのものがない。陥れることも貶めることもありはしない。まだ出会って間もない短い期間の中で、イヴがオズワルドを信じているのはそこだ。頭のわるいこの娘は決して自分を裏切らないし、たとえ裏切ったとしても己が失望することはない。失望できるほど、二人は二人を知らないのだから。
「そういえばイヴ、これまでのごはんについてなんだけど」
「……はあ」
 唐突に口火を切ったオズワルドに、イヴは首を吊るように雨空を仰いだ。



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