信者やだ | ナノ

戦撫子物申す

「こんなことをして、ただで済むと思っているのか」
「その言葉、そっくりそのままお返ししよう。全然タダ、、じゃねーし! あたしめっちゃ払わされたし! 権威と旭日旗振りかざしてあたしにラブコールしといて、いざ本気になられたら困っちゃうって、天邪鬼かお前は」
 彼女は大和撫子を引き抜き、その柄で野良局長の右頬を殴った。
 そして、いっとう冷たく吐き捨てる。
「寝言は寝て、馬鹿は休み休み言え」
 野良局長は一味煙草いちみたばこでも吸ったかのように顔を真っ赤にしていた。怒りからか、羞恥からか、暴力により顔が腫れたからか、はたまたその全てかはわからない。けれど、業務課に顔を覗かせたときに見た、優しそうな男性の顔では、もうなかった。
「貴様が、悪いのだ……戦撫子」荒い息をこらえながら、野良局長は続ける。「ただ盲目に、まんまと信じこんでいればよいものを、妙な勘を働かせたりするから……私たちは秘匿し続けなければならない、このままずっと、全てが終わるまで」
 彼女は野良局長の胸ぐらを掴んだ。
「これだから盲目的信者は嫌なんだよ。前の人間がピッてしてるからって、私も僕もってピッピし続けるんだから」
 野良局長は息苦しそうにしていた。けれど、彼女はそれを歯牙にもかけない。
「あたしからしてみれば、お前もカモの日ノ本大帝国民も、なんも変わんねーよ。変わるとしたら、周りに迷惑かけてるかかけてないかだけ。迷惑かけてない国民のほうがよっぽど好感持てるわ」ていうかね、と彼女は続ける。「全てが終わるまでって、お前の死んだあとの話でもあるでしょ? みんなさ、もっといまを生きようよ。メメント・モリ。来世があるさ、なんて、ブラックジョークの中だけにして」
 僕のことを言われているみたいで、居心地が悪かった。窮屈な思いを誤魔化すように口内の肉を噛んでいると、「いいか」と野良局長は口を開いた。
「私だって、このことをおかしいと、思ったことくらいある。だが、古くから受け継がれてきた信仰を、思想を、変えることはできない。諸行有常のものだって存在する。それに、これは決して間違ったことではない。誰かが不幸になるわけでもない。私ではなくとも、来世の別の誰かが、この日のためにあったのかと、納得する日が来るかもしれない」
「ハッ、物は言いようだな」
 そのとき、ずっと黙っていた―――どころか暢気にもてなされた料理を食べていた―――対面に座る男が、嘲笑うようにそう言った。
 彼こそが、勘助かんすけ・オルブライト防衛局長。ロングコートの軍服を着こんでいるため一目でわかった。予備知識通り、彫りの深い顔で、ロマンスグレーの髪をした、背の高い男だった。若いころはさぞやといった容貌。逞しさは衰えることなく、貫禄となって身から滲み出ている。
「往生際の悪さに箔がついたな、野良局長殿。いい加減、腹を割って話すといい。私めはただ流されただけです、命だけはご勘弁を、ってな。さもなくば、そこの女猛者に腹を切られるぞ!」
 そう言いながらも視線は寄越さない。素知らぬ顔で茶を飲んでいる。憤慨した野良局長を無視し、彼女に向かってのみ口を開いた。
「通夜小路艶子だな」
「はい」彼女はすまして答える。「とうの昔に消えた人間を覚えておいでで」
「たしか一度会ったことがあったな。悪いがそう覚えとらんが、噂だけはいまでも耳にする。八面六臂はちめんろっぴの戦力だったとかなんとか」
 防衛局長は愉快そうに笑って言った。部下も倒され、侵入者は保険局長に狼藉を働いたというのに、よく笑っていられるものだ。そこかしこから威厳の満ちるものの、本人はわりと遊び心や酔狂のある人間なのかもしれない。この状況を楽しんでいるようにも見えた。
 そんな防衛局長に、彼女は「自分の家を襲撃するよう依頼を受け、部下にそう命令したのは貴殿ですね?」と尋ねる。
 防衛局長は悪びれることなく答えた。
「そうだ。驚いたか? 俺も驚いたぞ。真っ向から来た苦無をきっちり受け止めやがって」持っていたさかずきを彼女へと掲げた。「見事の腕だった。さすが通夜小路の血筋だな」
「貴殿が神聖特務部と生命誓盟保険部の関係を気にするような方だとは思いませんでした。まさか保険局長の命令に従うとは。貴殿ならば、守ってやってるんだから命令なんざするなと、切り捨てるものと思っていました」
「ハッ、別に気にしてるわけじゃないさ。だが、守ってやってるとも思っとらん。あれはただの仕事だよ。別にどうでもいい。どうでもいいから、やろうとやるまいと俺の中ではなにも変わらん。ならば、やってみたほうが面白いだろう?」
 防衛局長は口角を吊り上げてみせる。
 なんというか、自由なひとだ。人生を面白がってるようなひと。
 さっきこの状況を楽しんでいるように感じられたのも、真実そうだったからだろう。
 そこに野良局長が「暢気なことを言っている場合かね」と横槍を入れる。
「戦撫子がここに来たということは、貴方が配置した防衛局員が倒されたということだ」
「だろうとも。見事だよ。神聖特務部の粛清軍隊長を退いたのが嘘のようだぜ。ちっとも鈍ってないと見える。お前ならまだ第一線でも戦えるだろうよ。どうだ、通夜小路、もう一度、防衛局神聖特務部に来ないか」
 彼女は顔を顰めてみせた。渋い声で「ご冗談を」と言ったけれど、防衛局長はきっと本気だろう。僕も、案外いいのではないかと思えた。防衛局長も悪人というわけではないようだし。それになにより、大和撫子を意のままに振るう彼女は、口には出さずとも、かっこいいと思っていたからだ。
 野良局長は防衛局長を頼ることを諦めたらしい。どこか軽蔑したふうに防衛局長を見つめている。それから視線を剥がし、彼女に面と向かった。
「受け入れろ。戦撫子。貴様は、これを間違ったことだと思うかもしれないが、なにも罪ではあるまい。生命誓盟保険はたしかに誰かを幸せにする。来世を保障する。今生がつらくとも、来世で幸せになれる。死後の救い。夢のような制度だ。そして、それを信じた者だって、きっと今生で救われる。生命誓盟保険とは、もはや信仰で、宗教なのだ」
 その言いかたはとても納得のいく表現だった。
 日ノ本大帝国民のおよそ三分の二が加入している生命誓盟保険は、ある意味信仰に近い。
 上下さんも、野々之田さんも、そして諦くんも、この保険制度を信じて幸福を追求した。
 殴られた右頬を押さえながら野良局長は続ける。
「……その道を歩むか歩まないか、信じるか信じないかは個人の自由だろう。なにも、無理に信じろと言っているわけではないのだ。そこになんの咎があると?」
「ないと思うよ」
 彼女は言いきった。
 野良局長は唖然とする。
「あたしも、あとそこのリンゴくんも、多分似たようなこと考えてるよ。それを信じることで、救われるひとがいるなら、もうそれでいいんだと思う」彼女は続ける。「それにね、あんたは知らないだろうけど、あたしは、正義なんてもん、とっくに信じてないのよ。信じられなくさせられたのよ。よくわかんない、どっかの誰かさんに」
 結局、彼女はなにに打ち砕かれてしまったのだろう。
 祖母の危篤か、神聖の憐憫か、帝国政府の沈黙か。
 きっと彼女もそれを知らない。
 信念とは、いつだって、あやふやなものに手折たおられていく。
「本当は、できることなら、ずっと信じていたかったけど……生きてんだからそんなこともあるだろうさ。だから、あたしが言いたいのはそういうことじゃないんだ」
 彼女は大和撫子の鞘のこじりをトンと床につける。柄頭の部分に両手を添えて、まっすぐに野良局長を見据えた。
「白骨の章」
 その言葉に、野良局長は狼狽した。きっと何物かわからなかったためだろう。
 僕もわからなかったが、野良局長の代わりに答えた防衛局長の言葉に、ようやっと思い出す。
あしたは紅顔ありて、ゆうべには白骨となる身なり」防衛局長は続ける。「葬儀や中陰の法事でよく拝読される御文章だな。これは専門用語というよりは一般教養だぜ。野良局長殿」
 神仏と争わねばならぬ職業上、防衛局の人間は、神仏関係にやけに詳しい。彼を知り己を知れば百戦殆うからず。彼女と話していればそれは伺える。とはいえ、白骨の章は古典的文章としても知名度は高く、なんとなく聞いたことがある、という人間は少なくないだろう。なにを隠そう、僕もその一人だ。
 防衛局長の言葉に頷いてから、彼女は続ける。
「これを書いた蓮如上人は、よく後生の一大事を心にかけよ≠チて教えてたんだって。これはさ、この世は苦しくつらいから死んたあと幸せな世界で生きよう、だとかそういう意味で言ったんじゃないんだよ」彼女は、親指、人差し指、中指の三本を立て、そのうちの一本を折ってみせた。「それがまず言いたいことその一。死後の救い? とんでもない! 後生っていうのは死んでからって意味じゃないの。今この一瞬のこれからって意味なの」
 生命誓盟保険を抱える保険局長ともあろう者が。
 そう彼女は嘲笑った。
 野良局長は「それがどうした」と嘲笑い返す。
「あれ? わかんない? 過去と未来に責任を持って、いまを生きるってこと。次世代にどんな時代社会を贈り、前世代社会に為してきたことについて、どう責任を担うのかってこと」
 責任。
 その言葉がずっしりと重く感じられた。
 きっとそれは野良局長も同じことで、心なしか顔色が悪くなったように見えた。
「いまひとたび尋ねたい。はたして、お偉い保険局長さまは、後世に責任を取れるのでしょうか? 来世の別の誰かが、ああ、この日のためにあったのかと、納得する日が来るかもしれないと、本心でそうお思いでしょうか?」
「そんなこと、」
「歴代局長の名は、おそらく、歴史として後世に残る。あんたらがやってきたことが後世の人間にとって罪だったとき、あんたらはきっと、史上最悪の悪魔として祟られることだろうさ。それも、御仏みほとけとして力を持った、後世にね」
 そんな恐ろしいことを言った彼女は「それが言いたいことその二」とまた一本指を折る。
 最後には人差し指一本が残った。
「でも、まあ、関係ないよ。どうせ死んだあとの話だもん。あたしも別にさ、説教説法をしにきたわけじゃないし。お偉方はそんなこと、百も承知だもんね。だから、来世のことは来世の人間が考えるとして」彼女は口角を吊り上げる。「現世の話をしよう」




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