信者やだ | ナノ

戦撫子物申す

「……立ち直れませんか?」
 僕の問いかけに、彼女はふうわりと答える。
「君が気にせずとも、ちゃんと立ち直ってるよ。けじめをつけてる。あの頃のあたしは、ちゃんと正しいことをしてたんだ。それがわかっただけでも十分以上なの。これ以上のことはない。多少、不穏な気配は残ったけどねー……」
 彼女は仮眠室の扉を開けた。何人かカプセルベッドを使用していたが、完全に寝ついているようだった。それをいいことに、彼女は声の音量を下げなかった。
「だから、まあ? あるべきところに収まろうと思うのよ、我が家あそこで。仕事もせずに、難しいことも考えずに、適当に、のんべんだらりーんって、生きていくさ」
 彼女は専用にしていたカプセルベッドから、大和撫子を取りだした。提げやすいように、持っていた紐でぐるぐると巻いていく。
 僕はその様子を見ながら彼女に言う。
「……信じる者は救われるんですよね?」
 彼女の紐を巻く手がぴたりと止まる。数秒後、僕の意図を解した彼女は「おやおや。一本取られたな」とふざけるように笑った。
「リンゴくん。あたしのことも救いたいって思ってるなら、それは大きなお世話だよ」
「僕が諦くんにしたみたいに、貴女が僕にしたみたいに、同情してるわけじゃありません」
 刹那、彼女は言葉に詰まったように硬直した。
 その隙を逃さずに僕は続ける。
「これでも貴女にはけっこう感謝してるんですよ。いろいろ協力してもらったし。遺憾ながら、励ましてももらったし。だからこそ……嫌っていうか、悔しいんです。こんな、本心じゃなんにも信じてないひとの言葉を信じてしまったことが。それでなんやかんや解決したことが、すごく腹立たしい。むかつく」
「ちょ、待てい、本音がエゴすぎるわ」彼女は僕の発言にひいたようで、彼女は両手の平を胸の前に持ってきた。「とりあえず落ち着こ? 話はそれからだ」
 じりじりと詰め寄っていく僕から逃げるように、一歩一歩扉のほうへ後退していく。大和撫子に紐を巻くためへたりこんだ状態だったことから、その逃げ様はかなりまぬけなものだった。追いつめる僕は立った状態だったので、なんだか、弱い者いじめでもしているような気分だ。
 彼女はため息をついたあと、淑やかに言う。
「殿下。あたしにも言い分がありましてよ」
 僕は「申してみてください」と返した。
「一つに、あたしが君を助けたのは知っての通り同情心だったんだから、君が恩義を感じる必要はないの。原因を作ったのは、君をからかったあたしにある。ごめんね。二つに、あたしはいまのままでいいと思ってるの。もう正義感は抱けない。死んでからのこととかどうでもいい。健やかに諦めた」
 本当にどうでもいいみたいに、彼女は清々しく笑った。未練もなく、揺れ動くこともない。本気で諦めてしまったひとはこうなるのだと、そんな見本のように感じられた。
「そんな……本当に、心残りはないんですか? チクショーって思うことの一つもないんですか? そんなわけないでしょう。だって貴女、基本的には不平不満しか言わないタイプじゃないですか。特に帝国政府に対しては」
「不用心にそんなこと言っちゃうと苦無飛んでくるよ」
「艶子さんはそれで幸せなんですか?」
「どうだろう……わかんないや」
 今度は苦笑する。その表情は迷子になった子供のようにも見えた。
「したいことも、信じたいことも、もうなんにもないんだもん」彼女は続ける。「なんとかして見つけられるといいなあ。それこそ、来世までにはね」
 彼女の疑心暗鬼は、きっと失望そのものなのだ。なにも知らず、ただまっすぐ信じていたころ、たった一つの不安により、ポッキリと折れてしまった。そこからなにも信じられずにいる。
 信じない者は救われない。信じるからこそ幸福や救いがあり、そのためには健気に祈らなければならない。どの宗教でだって同じことを言っている。かつて抱いていた信念、帝国政府や警察、公共機関、その全てを信じられない彼女は孤立している。
―――こんな彼女の祈りは、誰が聞いてくれるのだろう。
「……なにも信じられないなら、僕を信じてみませんか?」
 気づけば僕は、彼女へと、そう口を開いていた。






 まずは時系列を考えてみよう。
 故人・通夜小路葬子さんの保険脱退手続きのため、保険局の本部に彼女がワニガメを引き連れて来たあと、それを宴会の席で聞いた野良局長は、防衛局に牽制をするように依頼した。その結果、彼女は屋敷を破壊され、逃げるように保険局の本部へ行きつく。安堵していた野良局長だが、まさかの局内で彼女の武器である大和撫子を発見する。またもや防衛局に、その大和撫子を強奪するように依頼した。けれど、その日のうちに、彼女自らが防衛局敷地内に押し入って、大和撫子を回収している。
 ここで、彼女と野良局長の陰の攻防は途絶えていた。
 あのとき居合わせた防衛局員が大和撫子の取り返しを上に伝えたとして、その情報が防衛局長に行き渡り、そこから野良局長の耳に入ったとしたら―――野良局長はどうするだろう。
 まず、三度みたび恐怖することになるだろう。そして、きっと憤慨しもする。兵役を退いた女相手に防衛局はなにをしているのかと。
 もし、一度目や二度目の依頼が通信機器の依頼であっても、三度目の正直、今度は直接会って話したいと思うのが人間だ。普段、どこにいるのかよくわからない局長も、このときばかりは浮世に降りてくる。
「それがここだってか?」
 彼女は、背中に大和撫子を提げたまま、屈伸しながら尋ねた。
 都会と田舎のちょうど境にある高級料亭。立派な枯山水の上に建ち、まるで五重塔ごじゅうのとうのように階が一戸を模していて、高層ビルにも負けないほどの楼閣だ。豪華絢爛というよりは洗練されたと表現するに相応しい外装で、硝子と木によるエキゾチックな幾何学模様の窓は美しさを重視している。冬の防寒には不向きに違いない、家のつくりようは夏をもって旨とすべしという言葉を体現していた。
 そんな目の前に聳える料亭を前に、僕は携帯端末で確認をする。
「亜豆花ちゃんから預かった位置情報からするに、間違いありません」
「あの子本当に使い勝手がいいわね」彼女はしみじみと言う。「仕事量、質に対してコスパも悪くないし。やっぱりいいとこ掻っ攫ってったし。愉快痛快」
 帝国政府関係者や公務員への接待が原則禁止になって以降、こういう料亭は企業間の取引の場として広く活用されている。しかし、今日この日は、保険局長と防衛局長による取引のため、実際に使用する最上階以外の全階がすべて、貸し切り状態になっている―――亜豆花ちゃん曰くの情報だ。
 僕と彼女は中へと入った。
 内装はまさしくアーツ・アンド・クラフツといったよう。ニッチな嗜好が伺えて、飾ってある絵画も、見事に世紀末芸術ばかりだった。
 しかし、裏へ引っこんでいるのか、本来出迎えてくれるはずの店員は一人もおらず、僕たちの前に立ちはだかったのは、正装をした防衛局員らしき男たちだった。おそらく、ガードマンの代わりとしてここにいるのだろう。その中の一人の顔ぶれに「あら」と彼女は声を漏らす。
「ねえ、君、あのときの下っ端くんじゃない?」
 その言葉に、防衛局員のうちの一人がぴくりと反応する。
 僕は最初、それが誰なのかわからなかったけれど、思惟しゆい、記憶にヒットする。
 先日、第一防衛研究所にて彼女と相まみえ、戦撫子だと看破した、あの男だった。
 彼は悩ましげに「またか……」と呟いた。ちょっと哀れだ。
「なんの用だ、戦撫子」
「いやだわ、わかってるくせに」彼女はジャージのポケットに両手を入れる。「てっぺんでこそこそラブレター書いてる局長殿に、わざわざ面と向かいに来てあげたのよ」
「……俺は言伝ことづてしたぞ」
「相手がわかってないんだから意味ないでしょうよ」
 彼女は顎で彼方を指して言った。
 彼は深いため息をついた。
 料亭に踏みこんで一瞬で走るかと思われた緊張は、あっけなく失速し、なんだか間の抜けた空気が漂っている。彼以外の防衛局員も、どうすればいいのかわからないのか、互いに顔を見合わせて動揺していた。
「ていうかさ、もう本当、勘弁してって感じよ」
 今度は彼女がうんざりしたようにため息をつく。ジャージのポケットから片手を引き抜き、サングラスを取ってジャージのチャックのあたりに引っかけた。
「家壊すわ人の物盗むわ、犯罪だぞ? 依頼したほうも、それに従ったほうも、どういう神経してんだ……これが防衛局のやりかたかー!」彼女は子供のように仰いで叫び、次の瞬間がっくりと肩を落とす。「……と、あたしは思うわけですよ。見損なったわ。天下の防衛局がよう。国民を守るのが役目なのに、この羊の皮を被った狼め。ていうかさ、あたし、国民である前に、あんたらの元上司で、もしくは元先輩なの。お? 知っとったけ? ん? ん?」
 だんだん戯れの色が見え始めた彼女に、防衛局員は警棒を向ける。
 彼女も大和撫子を抜き取って構えた。
 僕は彼女の邪魔にならないように下がっている。
 防衛局員は取り囲むように広がると、一斉に攻撃を仕掛けてきた。
 彼女は剣舞のように鞘に収まったままの大和撫子を振り回す。こんなにも大振りなのに、無駄な動きが一切ない。薙いだ力の勢いに従ってくるくると回り、相手の警棒を躱していく。
 第一防衛研究所で見た大立ち回りよりもよっぽど荒々しく見えるのは、フットワークの軽さにあるのかもしれない。今日こそはあの健康スリッパではなく普通のスニーカーに履き替えてきた彼女。なんの気兼ねもなく、安心して一歩を踏み出せるのか、その動きは活き活きとしていた。
 間合いを詰めてきた男の腹を蹴飛ばし、その隙にと落とされた拳を紙一重で避け、逆に鳩尾に石突を食らわせる。失神して崩れ落ちる相手の背後から覗いた一人を、彼女は続けざまに突いた。もう一度大きく振り回し、周囲にいる人間をいなしたあと、警棒のみを射撃し、彼らから武器を奪った。
 そのとき、一人の防衛局員が彼女の脇の下に腕を通し、羽交い締めにする。
 そこを一斉に襲いかかってくる防衛局員。
 まずいと思ったのも束の間、彼女は地面を蹴り、さらに真正面に来た防衛局員の顔面を走るようにして、胴を振り上げる。逆上がりの勢いの要領で羽交い締められた腕を振り切り、相手の背面に着地。首筋に手刀を与える。気を失った相手を蹴っ飛ばして、怯んだ相手を大和撫子で殴りつけた。
 最後に、隅に避難していた僕に襲いかかろうとしていた男に、彼女は大和撫子を逆さまに持ち替えて、その引き金を引く。銃撃の反動により彼女の手を離れた大和撫子は、まるで槍のように飛びだし、柄で男の頭蓋を打つ。男は呻き声を上げて沈んでいった。
 僕は落ちた大和撫子を拾いあげ、彼女のもとへと持っていく。
「あんまり粗雑な扱いをしていると壊れちゃいますよ」
「助けてあげたのにそんな小言を言うかね」
 走りだす彼女に続くよう、僕も駆けだした。
 階段よりもエレベーターのほうが早いと、僕らは庫内に乗りこんだ。真鍮製の蛇腹扉が閉まると、一気に階を上っていく。最上階。ポーンと音が鳴り、蛇腹扉が開けば、一階にいた者たちと同じように正装した防衛局員が五人、松の絵の大きな襖を守るよう立っていた。
「……通夜小路艶子?」
「戦撫子め! 階下の連中はなにをしている!」
 しかし、その反応は一階の者たちとは異なり、むしろ、一度面識のある下っ端くん≠フそれと酷似したものだった。彼女の顔を知る反応から、ある程度の地位を持つ人間であることが伺える。つまり、彼らは重要人物の警護人で―――襖の奥にいるのは局長である可能性が高い。
 彼女はさくっとその五人を沈め、乱暴に襖へと投げ飛ばした。ガランゴロンと重い紙と木枠の音と共に、視界がクリアになると―――案の定、雅な雰囲気のある長机の端と端に、二人の局長が座っているのが見えた。
「な、何故ここに―――
 その一人である野良局長は狼狽したけれど、仰天しきるよりも先に、彼女はその眼前の机に抜刀した大和撫子を突き刺し、斬りこむように言うのだ。
「これが本当の単刀直入」
 顔には会心の笑みを浮かべている。因縁の相手にようやっと王手をかけられた棋士のようでも、育った蛙を睨みつけるよこしまな蛇のようでもあった。
「お初にお見えにかかりますう。先日貴方に嫌がらせいただいた、通夜小路艶子と申しますう。もちろん、お心当たり、ありますよねえ?」
 彼女の言葉に、野良局長は悔しそうな表情を見せた。それから、僕のほうをちらりと見遣る。一局員である僕のことを覚えているとは思えなかったけど、僕は礼儀上、会釈をしておいた。そんな僕を見た野良局長は「そこの者は」と彼女に呟く。
「ただの付き添い。気にすんない」
「そうですよ、ご遠慮なく」
 野良局長の顔は当惑に歪んだ。しかし、すぐに首を振り、彼女を見据える。




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