信者やだ | ナノ

おお、素敵な情熱よ

「囃子崎くん。手が止まってるよ」
 すっかり仕事モードの翔井が、注意するように僕に言う。
 僕は適当に返事をし、仕事に戻った。書類を持って、コピー室へ向かおうとしたとき、デスクに立てかけてあった伝家の宝刀を転がしてしまう。
「あっ」
 音を立てて倒れた伝家の宝刀を持ち上げる。傷はついていない。よかった。もし預かっているあいだに傷の一つでも作っていたら、あの卑しい人間のことだ、どんな浅ましい要求をするかわかったものではない。
 それを立てかけなおしていると、不自然な視線に気づいた。
 顔を上げると、こちらを見ている局長のものにぶつかる。
 一瞬びくっとしたが、僕は屈んだ体勢を持ち上げ、「なんでしょうか」と尋ねる。
 けれど、局長の視線は僕に向いていなかった。
 デスクに立てかけた伝家の宝刀を指差した彼は、恐ろしげな声で「それは」と呟く。
「え? あ。ああ、これはただの預かり物ですよ」
 僕は説明するように言う。
 たしかに、こんなものを一局員が持っていたならおかしい。事前に支給されてある対仏用の武具ならともかく、所持者本人曰くやべえ&刀だ。その立派な居住まいは、あきらかにこの局にはあるまじきものだった。
「訳あって、ここにいるひとの所持品で……許可は得ているので銃刀法違反の心配もありませんよ」
いくさ撫子なでしこ……」
「はい?」
「まさか、何故ここに」
 戦撫子?
 この宝刀の銘号だろうか……そんなに有名なものなのか?
 どこか戦々恐々とした局長が、ぼんやりと僕のネームプレートを見る。サッと視線を逸らしたあと、数度柔く首を振って去っていった。
 僕は、彼女から預かった伝家の宝刀を、じっくりと眺めてみる。
 鍔のない大きな直刀。豪奢な拵を持っており、キラキラとして見える。湾曲した柄は銃把のようで、奇っ怪なシルエットはいっそ芸術的ですらある。僕の素人目からしても、これが価値のある刀剣だということがわかる。
 通夜小路艶子……恐るべし。
 ブルジョアの財力に戦いていると、閑古鳥カッコウ時計が正午を示す。大半の人間が引き続き業務を行っている中、僕は席を立つ。室内と通路を隔てる硝子張りを抜け、仮眠室へと向かった。いない。僕は廊下の先へと進み、端に位置するエレベーターの前で止まった。フロアインジケーターの針はゆっくりと回り、僕のいる階で止まる。鎧戸式片引き戸のガラス窓からは、運転手の他に、見知った顔が見えた。蛇腹扉がガチャガチャと音を立てて開くと、鉛筆の頭についた消しゴムを執拗に噛みながら、持っている紙の束を睨みつける彼女が、ぞろりとした雰囲気で出てくる。
「艶子さん。よかった。これから貴女を探しに行くところでした」
「リンゴくんか」僕の声に彼女は顔を上げる。「ちょうどいいところに」
 いつまでもエレベーターの前にいるわけにもいかなかったので、僕たちはその場から移動した。いつか彼女と入った相談室用の個室に入ると、「やらしい部屋だ」と呟かれた。例の通り無視をする。
「それで、艶子さん、どうでした?」
 彼女を椅子に座らせたあと、給仕の棚を漁りながら、僕は尋ねた。
「んまー。勉強にはなった」彼女は頭の後ろをトントンと叩く。「脳みその普段使わない部分使った感じでしんどかったけどさ。説明はわかりやすいわ、質問には答えてくれるわで、至れり尽くせりって感じ」
 講習会で配布されたであろう資料には、金釘流でメモが記されてあった。下線を引いては自分なりの解釈を書き加えていたりと、考究が細かい。意外だ。このひとのことだから、睡眠学習になったりしないだろうかと危惧していたのに、まさかこんな真面目に受けてくるなんて……何故だろう……逆に幻滅する……。
「分野外の単語とか出てきたから理解が遅れたけど、逐一、開発課が説明してくれたしね。その上で言わせてもらうとすると、よくできたシステムだったよ。特に不審な点はなかったし、辻褄も合う。粗がないね。あの説明通りなら、来世も信用できるってもんだ」
 意外の高評価に僕は驚いた。あんなのを信用してるなんて盲目的信者め、とかなんとか愚痴ると思っていたのに。しかし、彼女の意見はそれで終わりではなかったのだ。
「だからこそ、怪しい」
「だからこそ?」
「あれだけのことをすんのに、保険料の二割あの予算で回せるとは到底思えない」
 僕は玉露と芋羊羹をテーブルの上に置いた。
 彼女の視線はそちらに向かなかった。
「結構なオーバーテクノロジーよ、あれ。維持だけで相当の費用が必要なはず。税金を元に、ある程度予算は下りてるんだろうけど、それも無限じゃなかろうて。赤字覚悟でやってるとしたら、いつかはお陀仏じゃん。最悪、国倒れだね」
「そこまで……」
「まあ、あくまであたしの感覚だから、受け取りかたは十人十色なんだろうけどさ。気になるならリンゴくんも受けてみたら? あの講習会」
「いえ……大丈夫です。僕は貴女の感覚を信じています」
「やぁん」
 両頬に手を添えてそうときめく彼女の足を、僕は踏もうとして、けれど地べたを蹴る。
 でも、だとしたら、やはり彼女の言っていた通り、保険料の使いどころなど、金銭面に不安がある。元よりこの国はいらん金を使いがちだが、今回もその言葉でおさめられるほど、容易い問題でいてくれるのだろうか。
「ていうかさ、ここってどうやって儲けてんの?」
 彼女の言葉に僕は「え?」と呆けた。
「あの……艶子さん、わかってます? これ、国家事業なんですよ? 国民の社会保障なんですよ? 商売とは違うんです。僕のいる業務課だって、別に営業職ってわけでもないし……」
「わかっとるわい。そういう意味じゃなくって」彼女は弁明する。「ニューパブリックマネジメントだなんだで、公営事業の効率化を目指してるいま、完全な慈善活動としてやってるわきゃないじゃん。かなりの費用をぎこんでるんだから、どっかで利益を得てなきゃ回らんだろうし……無益だとしたらとっくの昔におっんでるはずだよね。でも、給料はちゃんともらえてんでしょ? そもそも、保険事業ってどうやって儲けてんの?」
 う、ううーん。このひとは、なんてナイーブな話を。
「……収支相等の原則をご存知ですか?」
「うんにゃ。初耳」
「加入者が支払うお金と、保険会社が配当するお金は、同じ額にならないといけない、って原則なんです。つまり、保険事業は、あまねく、保険料としての利益と保険金の支払いとしての出費が等しいものなんですよ」
「はあん?」彼女は眉を顰める。「それ、保険事業には一銭も残らんではないか」
「基本的に、保険料というのは、年間の予定死亡率によって計算されているんですね。あらかじめ予測された死亡率を下回り、保険金の支払いが少なく済んだ場合に、はじめて利益が出るというわけです」
「死差益か」
 他にも利差益、費差益と呼ばれるものがあるが、割愛するとしよう。
 今回僕が言及したいのは死差益についてだ。
「だから、一般的な保険事業だと、その差分が儲けにはなるんですが……生命誓盟保険は違うんです。ある意味では収支相等が破壊された状態にある。加入者が死亡したとき、支払うのはお金じゃない。死益差なんてものはそもそも発生しない。純保険料は保険局の管理する寺院にお布施として納められ、付加保険料は全額維持費になる」
「実質の儲けはゼロ?」
「……結論は、そうなるはずです」
 ふわふわと視線を彷徨さまよわせたあと、とうとう彼女は「きんも」と身を竦ませる。
「なんてーか、いよいよやばさが極まりつつあるあるな……キワッキワじゃん。利益はなく、嵩張りそうな維持費、そこへ、局員へと支払われ続けるお賃金という出費。商品としちゃあ相当に事故ってるだろ。されど破綻しない保険制度の、まあ気持ち悪いことったら」
 僕は静かに唸りながら、玉露を一口飲む。
 そこへ彼女は、親指、人差し指、中指の三本を立て、僕の前へ持ってきた。
「あたしが思うに、可能性は三つ。一つ。目に見えていないところで金の流れが発生している。どっからか後援を受けてたり、他に展開している保険事業で穴埋めしてたり、そういうの。クリーンな可能性だね」
 だけど、クリーンすぎて、いまさらそういうのはないような気がする。
 それを彼女もわかっているのだろう。この可能性については、それ以上言及するようなことはなかった。
「二つ。実は、保険料における運用費とお布施の割合が違う。あたしは、これが一番可能性あるんじゃないかなって思うよ。リンゴくんはさっき2:8だって言ってたけど、実は真逆だった、なんてことも考えられる。軽く詐欺だけどな」
 とは言うものの、彼女の表情は、三つ目が本命なのだと物語っていた。
 彼女はあるかなきかの笑まいを皮肉げに浮かべて言う。
「三つ。講習会で聞いたネタが、机上の空論とはいかないにしても、実際には使われていない理論である。つまり、宣伝用に構築されたものってことね。徳を持ったまま来世に行ったりはしない。金を毟り取ってるだけ。リンゴくんにとっては……一番後味の悪い可能性」
 彼女が信用した保険システムも、実際に施行されていなければ意味がない。
 僕が影で得ていた安堵は、彼女の疑心暗鬼により、容易く揺らぐ。
「そして、あたしにとっても嫌味な可能性」彼女は先ほどの意見の続きを示した。「あれがただの餌だったんだとしたら、二度寝を捨てて聴講したあたしの時間は無駄だったということだ! ちんここいくさせんス!」
 彼女は手を下ろし、フォークを手に取った。ずっと目の前で放置されていた芋羊羹に、はじめて手をつける。お気に召したらしく、そこからはパクパクと口に放りこんでいった。
「結局、謎が謎を呼んでしまった感じですか……」
 本当に来世で幸せになれるのか、それを確かめるために制度のシステムを確かめに行ったのに、今度はそのシステムをどう運用しているかを確かめなければならなくなった。
「捜査の方向性は合ってんじゃない? やっぱり怪しいのは金だよ。生命誓盟保険の真偽だって、利益を追究すればいずれは掴めるだろ」
「利益の追究……金銭の流れってことですか? それを探るほうが難しいと思いますけど」
 彼女は口元に手を添えて、こそっと呟くように顔を近づけてきた。
「リンゴくん、なんかコネないの? そういうの聞きだせる相手とか」
「いませんよ。僕はしがない下っ端役人ですよ?」
 僕は仰け反らせて返答した。ついでに彼女が狙っているらしい僕の芋羊羹も退ける。彼女が責めるような目で僕を見てきたが、僕は気にせず芋羊羹を食べた。美味しい。
「他の手段としては、管理課にかけあうくらいですね」
「管理課ぁ?」彼女は湯呑を掴んで言った。「なに、またあたしに行けって言うの?」
「残念ですがそれができないんですよ。管理課は完全に情報を秘匿しています。課外に漏らすこと、また、漏れることは一切ありません。貴女ごときが行ったところでそう情報が集まるとはとても―――
 そこまで言ったとき、僕は思い出す。
 いた。こういう、垣根を超える諜報活動フィールドワークの適役が。




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