信者やだ | ナノ

おお、素敵な情熱よ

「まず、生命誓盟保険のシステムについて、一から説明しておきます」
 僕と彼女は本部内の相談室用の個室で向かい合せになって座っていた。
 テーブルの上には、ちゃっかり補給されていた玉露と、朝食代わりのバームクーヘン。
 彼女は胡坐を掻いて椅子に座り、腕を組んで僕のほうを見つめている。
「条理を弄ることで輪廻転生の流れを変えているというのが一般的な解釈ですよね。正規手続きである仏道修行をすることなく、来世が安泰される。しかし、実際のところ、僕らのしていることは、あくまでも、れっきとした正規手続きなんです。言ってしまえば、お布施の応用なんですよ」
「ああ、なるほどな」彼女は膝を叩く。「托鉢と一緒か。戒名料なわけだ。キリスト教カトリックも免罪符を売ったりしてたわけだし。お金を払うことイコール徳を積むことって考えは、口に出して言うより邪道でもないってことね」
 宗教も資本主義化したもんだ、と彼女はぼやく。
「もちろん、保険制度の運用費にも充てられているので、支払われた全額がお布施になるというわけではないんですけどね」
「割合的には、運用費とお布施で何:何くらい?」
「2:8です」
「まあ、反感は与えにくいでしょう。良心的な配分じゃん」
 そう言った彼女は、俗っぽく口角を吊り上げた。
 現在サングラスをつけていないため、その全貌は、ただのあどけない微笑みのようにも見える。彼女があの真っ黒いサングラスしている理由は案外そこにあるのかもしれない。このひと、年齢の割に顔に威厳がないのだ。正直、このひとの性格でサングラスをしていても、悪趣味なファッションにしか思えないけど。
「加入者にお布施、、、をしてもらい、その分を徳として換算します。最低加入年数は十年。十年分が、来世で幸せになれるだけの徳の最低ラインだと言われているからです。徳を個別に分布すること自体はさほど難しくもありません。寺請制度だか檀家制度だか、昔は寺院が戸籍を管理していたこともありますし。死後はその徳を持って、来世に行けるというわけです」
「ふむふむ」
「以上です」
 彼女はパチパチパチと気の抜けた拍手を僕に送った。
「て、あほか」
 そしてノリツッコミ。
 彼女も意外と芸が広い。
「以上ってリンゴくん、あーた、そのお布施を徳に換算するための具体的な方法とか、どうやって輪廻を弄ってるのかとか、そういうメカニズムを何一つ聞いてないんですけど」
「そんな目で見ないでくださいよ、これ以上は業務課の範疇じゃないんです。大概のお客様はこれで納得してくれますし」
「日ノ本大帝国民カモかよ!」彼女は続ける。「一応聞いておくけど、そこらへんのメカニズムはリンゴくんも知らないってこと?」
「うんと、厳密には、マニュアルには載っちゃいるんですけど、理解できないって感じですね。仔細の理解は強制でもありませんし」
 でもよー、と彼女は唸る。
「そのあたりをちゃんと理解してなきゃ、いちゃもんはつけれても格好がつかんだろ」
「大丈夫です。そのあたりの策はばっちり用意してあります」僕はにっこりと笑う。「貴女には開発課に行ってもらいたいんですよ」
 彼女は顔を顰めて「開発課ぁ?」と唸った。
 保険制度を支えるメカニズムは、全て、開発課の成した、オカルトと人類の技術の融合体である。一般的に、会社の花形は営業課―――うちの場合は、営業もやる業務課と思われているようだが、実際、一番根幹に関わっているのは開発課だった。
「とは言え、僕もその開発課がなにをしているのかと聞かれれば、正確に答えることはできないんですけどね。保険制度施行に至らしめた叡智の継続場としか認識できていなくて」
「風通しが悪いなあ、生命誓盟保険部。仕事になんの?」
「結束してなくても意外と困りませんし……立場が上がれば上がるほど、その垣根を越えて情報を集められるって感じですかね。一部例外もいますが」
「それで? なにゆえあたしをその開発課に差し向けようと言うのだね?」
「正確には、開発課の生命誓盟保険緻密講習会です。開発課では、保険制度のメカニズムについて知りたいという方のために、定期的に講習会が行われているんですよ。今日がちょうどその日で、午前の部は十時から、ネット予約は昨日まで。でも、本部に寝泊まりができる局員だけが実質可能なことなんですが……口頭予約なら今日の八時まで有効だそうです」
 彼女はゆらりと僕の腕時計を見遣った。時計の針は七時五十分を指している。
「デザートを食べたあとに行くとちょうどいいかしら」
「さっさと行ってきてください」
 なにゆえデザートなんてものを期待しているんだこのひとは。
 抜け目のない卑しさだな。
 彼女は顔を渋らせて「なんであたしが行かなきゃならんのだ」とのたまう。
「しょうがないじゃないですか。僕には仕事があるんです」
「あたしには二度寝があるんだぞ」
「僕のために起きててください。さっき言ったじゃないですか、僕を助けてくれるって」
「なんか、面倒になってきたんだよなあ……」
 空になった皿と湯呑を避けて、机に突っ伏す彼女。胡坐を崩し、ぶらぶらと片足を揺らしながら、まるで駄々っ子のように首を振っている。
「もう、早くしてください。予約の時間が終わっちゃいますよ」
「ええー、でもなー」
 やはりやる気のなさそうな声。
 しょうがない、と僕は奥の手を使う。
「……レミーマルタンって知ってます?」
 彼女が顔を上げた。
 ああ、そうだとも、知っていると踏んでの問いかけだ。
「バニラやヘーゼルナッツの香りのするブランデーで、軽やかな味わいがするんです。水割りソーダ割りなんでもありですけど、ストレートで飲むといいんですよ、これが。ただ、美しいボトルと透ける琥珀色が、僕には上品すぎて、開けるに開けられないんです」
 彼女の欲望が、二度寝から、僕から与えられることを予感させるブランデーに移り変わっていることが、手に取るようにわかる。僕はそこにつけこむように囁くのだ。
「きっと僕を助けてくれる女性となら、開けられると思うんですけど」
「リンゴくん」彼女は僕の手を両手で取って訴える。「君にはあたしがついている。世界のなにもかもから君を守ることこそできないが、君を支え続けることはできるだろう。これがどういうことだか君にはわかるか? そう! あたしは君を助けるということだ!」
 卑しさが溢れかえってるな……。
 それを促したのが僕とはいえ、なんだか空しくなってくる……。
 僕が「じゃあ、お願いします」と言うと、彼女は「きゃるんっ」と面妖なしなを作り、そのまま予約へと向かっていった。多分、予約を終えたあと、彼女は二度寝を試みるんだろうな。あの家の惨状ではしばらく帰れない。念のため報告と許可を取っておいたように、仮眠室のあのカプセルベッドは彼女の寝床に確定された。
 僕はデスクに戻る。昨晩から夜通し仕事をしていたおかげで、今日の業務には余裕があった。この分だと、今日は夢の定時上がりが可能になる。いや、それどころか、定時前に、自分のノルマを達成できる可能性のほうが高い。いつもよりも嬉々とした気分でキーボードをタッタカタッタカ叩き続けた。
 そんなとき、業務課に一人の客人が来訪してきた。
「やあやあ。どうも、諸君、がんばっているようだね」
 僕は最初、その人物が何者かわからなかった。
 馴れ馴れしいわりには見たことのない顔だ。それなりのよわいの男性で、焦げ茶色のダブルブレストスーツを着ていた。丸っこい体型としなやかな眉が特徴で、愛嬌と威厳に溢れている。靴がぴかぴかと光っていることから、身分や素性に不審感は抱かなかった。ただ、どこかお気楽そうな声色は、このゾンビまみれの職場には不釣り合いに思えた。
「これは……野良のら局長。今日はどういったご用件で?」
 不束課長の返答に、僕や同僚は目を合わせて驚いた。
 局長。行政務機関の一個の局を束ねる人間だ。それにその名は、保険局を束ねる局長の名でもあった。つまり、この人間は、僕らの上司の上司の、そのまたうんと先の上司にあたるのだ。
 なんでそんな人間がこんなところに?
 自然と伸ばしてしまった背筋を持て余し気味に、僕は挨拶すべきかと翔井を見る。ブルーベリーのサプリメントを手の平に落としていた彼女は、首を振ることで、かまわないという返答を寄越した。ここの対応は課長に任せておけばいいだろう。
「なに、これといった要件はないさ。私は現場の状況をきちんと把握できていないからね、ただ様子を見に来ただけだ」
「ご覧の通りです。現在、仕事が立てこんでおりまして、大したおもてなしもできませんが」
「私が勝手に押しかけただけだ。気遣いはいらんよ」局長は課長のところまで近づくと、細長い箱を渡した。「最近気に入っている無花果いちじくの紅茶だ。よかったら、みんなで飲んでくれたまえ」
「ありがとうございます」
 課長は「古淵は」と一度、亜豆花ちゃんを探したが、放課後にバイトとして入っている彼女が午前中にいるはずもなく、近くにいた適当な人間をつかまえて、給仕場に持っていくよう伝えた。それからは、課長と局長の身内話で、僕たちのような下っ端の人間にはわからないような名前がたくさん出てきた。唯一把握できたのが生命誓盟保険部の部長の名前だけだ。普段は身近に感じていた課長が、まるで雲の上の人間になったかのような感覚に陥る。




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