信者やだ | ナノ

疑心暗鬼夜行

「臓器って、法律で売ることを禁止されてるらしいんです……つまり、正規な方法では俺の臓器って売れないらしいんですよ……どうしよう、囃子崎さん」
 深刻な顔をして相談室まで来た諦くんがそう言った。
 僕はお茶とお菓子の準備をしている。いくら給仕の補充が忘れられやすいとはいえ、極端に切れている玉露に苦い顔をしつつ、八宝茶を淹れる。独特のフルーティーな香りが鼻先をくすぐった。
「うーん。でも、しかたないですよ。法律には明るくないのでわかりませんが、その話を聞いて納得はできました。国が臓器売買を推奨していたら怖いじゃないですか。その手の詐欺とかも横行しそうですし」
「でも、だけど、そしたら俺はどうやってお金を作ればいいのかわからない」
 僕は彼の前に八宝茶とビターチョコを出した。
 俯きがちな彼の目には簡単に留まったであろう、カップの中の色彩。茶葉やティーパックとはまた違う、焙煎させた木の実や葉を見て、彼は不思議そうに「なんか、すごいですね、これ」と呟いた。
「漢方茶の一種みたいですよ。上司に健康志向の強い人間がいましてね、持ってきてくれたんですよ。見た目も綺麗で優雅だし、リラックス効果もあるみたいです」
「……なにが入ってるんですか?」
「この花のやつは菊、このあたりは干し葡萄、棗……こっちの溶けてるのは氷砂糖ですね。他にもいっぱいあるんですけど、忘れてしまいました。飲むだけじゃなくって、食べられるんですよ。ちょっと苦手だなって思ったら、残してくださってかまわないので」
 おずおずとした様子の諦くんに僕は苦笑しながら説明する。僕も初めて見たときは気後れしたし、真新しすぎて驚いてしまうのもわかる。
 彼は一口啜り、数秒玩味したあと、もう一度口をつけた。お気に召したようだ。
「それで、諦くんの目下の悩みは金策、ということですよね」
「はい」彼の前髪の奥からどんよりと萎えた両目が覗く。「相続しなかったおかげで借金を背負わずには済んだんですけど、家もなんにもないから、完全に無一文で。や……施設に入っちゃったから借金はあるのか……返すのはだいぶ先でもいいみたいですけど、でも、俺、学校にも行ってないから、まともな就職なんてできないしな」
 はじめて会ったときも思ったけれど、本当に壮絶な人生である。
 遺産を相続して仕事もせずに暢気に暮らしている人間とは大違いだ。
「他にも裏バイトとか、肉体労働ならどうだろうって、土方つちかたの手伝いの募集を見に行ったんですけど……年齢とか、学歴とか、体格とかの関係で、取り合ってもらえませんでした」
「う、ううん……裏バイトに引っかからなくてよかったです」
 にしても、そうか。土方の仕事は体力勝負なところがある。門前払いを食らうのは当然だろう。諦くんは身長こそ高いが、肉づきは悪く、痩身で、首なんて、いっそ女性的なまでに細かった。十七歳でこの体格なら、土木工事の仕事においては頼りなく見えてしまうだろう。
「囃子崎さんなら、一度に大金を儲けたいとき、どうしますか?」
「えっ、僕ですか? ううん……宝くじを買うとか?」
「あんなの当たるわけないじゃないですか」少し責めるように彼は言う。「隕石に当たって死亡する確率のほうが高いんですよ? しっかりしてくださいよ、もう」
「すみません……」
 すまないがしかし、なんで年下の男の子にここまで怒られなくちゃいけないんだろう……。
 諦くんは少しだけ頬を膨らまして「もういいです」と言った。子供っぽいしぐさを見せたと思ったら、彼はすぐに立ち上がる。もう帰るようだ。愛想を尽かしたようにさっさと部屋を出ようとする猫背に、僕はもう一度「お力になれずすみません」と言う。すると、彼は小さく振り向いて、どこか惑うように尋ねてきた。
「また来てもいいですよね」
 いつものことだ。去り際に、彼はいつも僕に尋ねる。ずいぶんと機嫌を損ねてしまったので、もう来る気も失せただろうと思ったけれど、そんなことはないらしい。
 僕がいつものように微笑むと、彼はほっとしたように肩を落とし、「お金を稼ぐ方法を見つけておきます」と返して出て行った。とある午後三時五十分のことだった。
「ふう」
 僕は、早急に部屋の片づけをし、早急に職場のデスクに戻る。
―――ごめん! 遅れた! それで、四時締め切りの書類は?」「お前のPCに送っておいた。あとはお前が埋めるだけで終わる!」「囃子崎くん、前に言ったグレー加入希望者の国籍チェックは?」「えっ、不束課長に渡したけど」「ポストイットのメモ見た? パスポートのコピーが提出されるまで待たなきゃいけないはずなんだけど!」「は!?」「ちょ、別の資料についてるぞ!」「じゃあ、これの締め切りって今日かよ! 騙されたわ!」「なんで反対側のデスクにまで飛んでるんだ!」「デスクの整理ちゃんとしてないから!」「なんで被害が拡大してんのよ!」「だああああもう嫌だ!」「馬鹿! しっかりしろ! 来世があるんだ、死ぬまでやれ!」
 こちらもいつものように、死屍累々。
 いっそハイになったゾンビたちが、悲鳴を上げながら職場を動き回っている。
 僕はロスタイム分を取り戻そうと、必死になってキーボードを叩く。締め切りまで残り十分を切った仕事を片づけなければいけない。これさえ乗りきれば今日はまだ余裕のあるほうなのだ。さっさと終わらせて外出の用事の準備をしたい。
 三十分前に飲んだ錠剤の精力剤とエナジードリンクがちょうど効き始めてきたころだった。暴力的なまでの活力と生気を僕にくれる。おかげで疲労感を感じることなく仕事を仕上げることができ、四時すぎのゾンビ入りの危機を逃れることにも成功した。
 翡翠色の受話器を置いた亜豆花ちゃんが、ゆったりとした態度でお茶を淹れてくれている。
 僕は荷物を確認したあと、携帯端末で鉄道の乗換案内を確認していた。
「……今回はタクシーで行ったほうがいいかな」
「おい、お前も休憩しろ、囃子崎」
「あ……課長」振り向いた僕は軽く頭を下げる。「お疲れさまです」
「今日の峠は越えただろ。お前も仮眠室に行ったらどうだ?」
「いえ、僕は結構です。課長こそ寝たほうがいいんじゃないですか? 顔色最悪ですよ」
「二日酔いがまだ残っててな」
 課長はがしがしと頭を掻いて言った。そのしぐさ自体は課長の容貌に似つかわしいが、発言を鑑みると板につかなさすぎる。
「珍しいですね。課長が二日酔いなんて」
「昨日の夜、上に呼ばれた……帰ってきてみりゃ仕事の山だ。おかげで今夜は寝れねえよ」
「管理職は大変ですね。冥福をお祈りします」
「草葉の陰からありがとよ。ちなみに、翔井かけるいもだぜ。昨日道連れにしてやったからな」
「うちの主任になんてことしてくれてんですか……」
 思い返せば今日一日顔色が最悪だった上司の背中を見て、心底哀れに思った。
 だから、今日、これほど業務に滞りが出ていたのか。いつもは優秀なこの上司が回してくれていたため、他の班ほど仕事が荒れることはなかった。しかし、前夜に相当飲まされていたのなら納得がいく。さしもの上司も二日酔いと不眠不休の二重苦には勝てまい。
「ま、あいつの出世の足がかりくらいにはなったろ」
「飲みに行ったお相手、そんなにすごいひとたちなんですか?」
「行政務機関各局長クラス、ってえとわかるか?」
 僕は目ん玉を引ん剥いた。
 局長といえば行政務機関の一個を束ねる幹部だ。とんでもないどえらいさんで、普通なら口を聞くこともできないような殿上人である。僕が帝国政府のお役人さんだとしたら、彼らは帝国政府そのものだとでも言えよう。
「そりゃ過言だろうが。お前だって局の人間なんだぞ」
「上司の数より部下の数のほうが多い人間はみんなどえらいひとですよ……ていうか、よくそんなひとたちの相手をして酔えるだけ飲めましたね」
「酒はよかったからな。それに、俺ら下っ端はお偉方と席が離れてた。聞いてるだけなら楽なもんさ。内輪の話をされて半分も理解できんかったが。たまに話を振られるからそのとき答えりゃいい。どうせ近況報告だ」
 そういうふうに語る課長は逞しいと思う。小並感のある意見を言わせてもらうなら、上層部の会話はドロドロしていそうなのだ。行政務機関内でも小規模ながら敵対関係が築かれていると聞くし、昨晩だって、穏やかな飲み会では終わらなかったはずだ。
「保険局に凶暴なワニガメが侵入しそうになったって言ったときは驚いてたぜ。珍事として話題に上げたが、初耳だったらしい。他の局長方が大笑いしてな……そこから危険生物の話題でもちきりだ。保険局長のプライドを傷つけたなら申し訳ないが、ウケはよかったぞ」
 おやまあ。意外と穏やかだった。というか、ある意味このひとの手腕なのかもしれない。ネタの選択が残念すぎるけど。なにも、その話を挙げなくてもいいだろうに。
「たしかあれはお前が収拾したんだっけか」
「ええ、まあ……回収したって感じですけどね」
「あんなのがペットたあ、金持ちの考えることはわからねえな」
 話題に上がったワニガメ―――鶏そぼ郎くんのことを思い出し、そしてそれよりも印象強く想起される彼女に、僕の眉は自然と顰められた。
「僕にだってわかりませんでしたよ」
 僕はそう返し、数日前のことを思い出していた。






「艶子さま。貴女の疑うこの保険制度について、確かめてみませんか?」
 あの日、あの相談室で、神妙な顔をして言った僕に、間さえ置かずに彼女は言った。
「断りゅ」
「…………」
「噛んじゃった。てへぺろりん」
 いま思い出してもフレッシュにむかつくな……。
 なんであのひとはあんなに飄々としていられるんだ。
 けれど、当時の僕はそれ以上に、彼女に断られたことが信じられなかった。おかげで「えっ?」と呆けてしまい、会話としては後手に回る羽目になった。
 彼女はカステラを食べながら謙虚に言うのだ。
「別に確かめなくてもねえ。あたしはそんなのどうでもいいし」
「貴女が言いだしたことじゃないですか」
「言うだけタダじゃん。行動が伴うとお高くとまってくんのよ」
 よくわからない暴論のようなものを吐いて、彼女は自分の姿勢を明示した。
 生命誓盟保険については信用ならない。
 けれど、その真偽を確かめたいとはこれっぽっちも思わない。
 自分が関わらなければそれでいい。




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