二日目[13/13]
きょろきょろと見回している私のスマートフォンに、桐詠同様、ついさきほど連絡先を交換した相手からコールがかかる――弧八田彼の面だ。
「焦らなくていい。表参道のほうだ、僕が追っている」
ハッと視線を向けると、比較的人口密度の低い表参道のほうに、ふとん太鼓はいた。そしてそれを追従する彼の姿。近くを張っていたので柔軟に対処してくれたのだろう。
私は受話器から離して声を張り上げる。
「此の面! 表参道!」
聞こえている、と言わんばかりに、弧八田彼の面と逆の方向を張ってくれていた此の面がヒラヒラと手を振った。野獣的なスピードで現場へと向かう。
私は二人の助けになるように追い風を送る。
さらに速度の上がった二人はほぼ同時に、表参道の鳥居のあたりでふとん太鼓を待ちかまえることに成功した。
二人の速さと私の風を受けた風車が、合唱するように高速で回っていく。
「僕、彼の面と違って、こっちの力はあんまり使ったことないんだけどなあ」
「まさしく、神の宝の持ち腐れだな」
二人の周りに青と赤の狐火が灯る。その炎は互いに融合し、大きな紫の炎になった。
向かってくるふとん太鼓と恐れもせずに対峙する。
この双子の兄弟は、その方法こそ相違えど、真正の氏子らしく、ひたむきに祭りを楽しんでいた。特に此の面は、うじうじといじけていた私の手を取り、こんなに素晴らしい体験をさせてくれた。彼の望むような極上の成敗劇の一員に、私はちゃんとなれているのだろうか。なれていたら、いいな。
二人とも、半分ずつの同じ顔で、楽しそうに笑っていた。
紫の炎は二人に指揮され、ふとん太鼓を襲う。二人分の火力とは凄まじいもので、これまであまり効果を見せなかった炎の攻撃が、初めて有効だと感じた。ふとんを焦がし、担ぎ棒を黒く染め上げ、燃やしつくそうと激烈に輝く。一歩間違えれば火事になるだろう激しさだったが、二人は炎を抑えなかった。
逃げ惑うようにふとん太鼓は引き返す。
それを二人は逃がさない。その足でふとん太鼓を追い、炎の攻撃を浴びせる。
ふとん太鼓が暴れて建物や人に接触しそうになったときには、私が風を送って軌道を反らす。弱まった火を再度灯すように二人は追従する。灼熱地獄だ。
命や知能こそないだろうが、ふとん太鼓もただプログラミングされた玩具ではない。纏わりつく炎を消すために水を求めるはず。此の面のその読みは正しかった。桐詠は歌を詠み、陰ながらサポートすることで、動きやすいように道を開けていた。その道を辿るようにして、ふとん太鼓は轟々と燃えながら、神池に現れる。そして、自ら沈みこむように、水面に突撃した。
そして、その上空では、私が待ちかまえていた。
「すず!」
立ち昇る飛沫。勢いで割れた水の中で、弧八田兄弟はふとん太鼓を押さえつける。怪力の二人がかりでやっと為せる技だった。
いましかない――ずっと前から決められていたかのように、私の体は動いてくれた。手を翳し、目を閉じる――私は、祭り全体の空気を掻き混ぜるイメージで、一心に風を集める。叩きつけるように、ふとん太鼓へとその風を送った。
それは凄まじい圧力となる。
鋭いドリルのように。
貫く槍のように。
神池の水は完全に割れ、一面が干からびたように潤いを失くす。紫の炎と融合して蒸気のヴェールがたなびく。提灯と月明かりに乱反射した薄暗い虹が、まるで太い縄のように、ふとん太鼓を大きく覆っていた。
私の風は重みを持って、ふとん太鼓を磔にした。
けれど――足りない。
もっと強く、鋭く。
「はああああああ「ああああああああああ「ああああああああああ「あああああ「ああああああ「ああああああああああ「ああああああああ!!」
交わす剣のように震えて、私の声はビブラートした。
反響するように風は威力を増し、ふとん太鼓を抉っていく。
いつのまにか、弧八田兄弟はいなくなっていた。風の被害に遭わないよう、逃げてくれたのかもしれない。けれど、その分、ふとん太鼓は解放されている。
ふとん太鼓の抵抗を感じた。私の風を押し戻すように力をこめている。させない。私はありったけの風を掻き集め、それを全てふとん太鼓へとぶつけた。暴風は水や木の葉や砂埃を舞い上げて、災害のようにそこらじゅうを渦巻く。
メキッ。
ふとん太鼓が崩れていく音がした。
私は力を緩めずに更なる圧をかけ続ける。
「あああああああ「ああああああああ「ああああああああ「ああああああああ「あああああああ「ああああああああ「ああああああああ!!」
メキ、メキメキ。
剥がれたり、潰れたり、ひしゃげてしまったりする音。
もう一押しだということは嫌でもわかる。
永遠にも感じられた刹那世界。麻酔を打たれたかのような精神世界。私の世界には、私とふとん太鼓しかいなかった。それ以外のことは、自身の熱量により、焦がされていた。焼き切れていた。灰になって、吹き飛ばされていた。ただ一直線に、倒すことだけを考えていた。それくらい楽しいの。それくらい強く、夢中なの!
「ああああ「ああああああ「あああ「あああああ「あああああああ――――っっ!!」
終わりは呆気なかった。
太くしなやかな骨が折れるように、けたたましく響く破壊音。
鳴り響いた瞬間にふとん太鼓は粉々になり、蛍のような光となって霧散する。行き場を失くした私の風はぶわりと波紋を生み、境内に広がりながら消えていった。私はへたりと地べたにしゃがみこむ。足元の、水を失くしたクリスタル液晶パネルが光りだした。
『成敗が完遂されました』
その機械的な声が響いた瞬間、大きな花火が夜空に上がった。
ギャラリーがわっと賑わい、花火以上の音の波を生む。手を打ち鳴らし、口笛を吹き、まさしくお祭り騒ぎだった。ふとん太鼓が残した光の粒を見つめながら、私は呆然とその様子を眺めていた。
そう、呆然とだ。視界にははっきりくっきりと映っているのに、私の脳みそは、いったい自分がなにを成し遂げてしまったのか、理解できないままでいた。
実況が熱っぽい声で高らかに語る。
『み……皆さま! ご覧ください! ふとん太鼓の成敗が、無事、完了いたしました! 勇ましい成敗劇でしたね! 彼女こそが第六十回神夏祭の覇者――今年の神化主です!』
戦いの末に罅割れたクリスタル液晶パネルに、少女の顔が映る。混乱し、それでも興奮に見開かれた目をした女の子。
私だ。正真正銘、御風すずだ。
倒してししまったのだ。ふとん太鼓を。
この、私が。
「やったじゃないか、すず!」
此の面が駆け寄ってきた。ぐいっと顔を覗きこんで、浮かれた声音で言う。
「見事だよ……素晴らしい力だ、思わず鳥肌が立った。纏代周枳尊も満足しているに違いない。六十年に相応しい成敗劇だったね」
「え、え……わた、私なの? 私がやったことなの?」
「当たり前だろう!」此の面は一オクターブも声を跳ね上げて叫んだ。「疑いようもない事実だ、どれだけすごいことをしたのかわかってないのかい?」
此の面の賛美は止まらなかった。それどころか、ギャラリーをさらに煽るような動作までする。いくらなんでもやめてほしい。私は助けを求めるつもりで弧八田彼の面を見たのだが、彼も彼で「おめでとう」と私を称えた。
私は身を震わせた。彼みたいなすごいひとに、ありがとうと言われるなんて。
「ど、どうして?」思わず私は尋ねてしまった。「貴方のおかげでもあることなんだよ?」
「そう言ってもらえて光栄だが、とどめを刺したのは間違いなく君だし、まとめ役になったのも君だろ?」
送られる拍手に動揺する。
そんな……嬉しいけど、嬉しいけど、とんでもないことになってしまった。
いや、やっぱ嬉しい!
「やった――」
「すずっ!」
ハッとなって、叫びかけた言葉を飲みこんだ。
突然鳴った、切羽詰ったようなその声に振り向くと、案の定、神池の石の柵から桐詠が下りてきているところだった。走ってきてくれたのだろう、彼女の息は上がっている。
私たちは互いに駆け寄って、肩を抱きしめ合った。
「ふとん太鼓を倒したのね!」
桐詠は上擦った声で言った。
そうなの、とは、返せなくなった。桐詠にだけは、返せなかった。
私は「あの、その」と言い訳を考えるけれど、桐詠はそれを居心地の悪さから来る嗚咽とでも勘違いしたようだ。ぽんぽんと私の腕を撫でた後、堂々とした表情に戻る。
「ふん。今年もいとし子の座をもらうつもりでいたけど……まあいいわ。今年は譲ってあげる。まあ、ほら、お互いに、よくがんばったじゃない? 私たち。あの、なんていうか、ほら、あんたと手を組むのも、けっこう、楽しかったしね」
「でもね、あのね、待って、聞いてよ……その、ごめん」
交錯してぶつ切りになった言葉で、私は桐詠に訴えた。
桐詠は訝しげに首を傾げる。それから、少し拗ねたように、「冗談よ。譲るもなにも、全てはあんたの手柄だった!」と喚く。
私はそのことにショックを受けた。
なによりも、誰よりも、桐詠にそのことを言わせてしまったのが心苦しかった。
私なんて、最後の最後にちょっと出張っただけ。とどのつまりはいいとこどりだ。四人で力を合わせて、被害を最小限に抑えて、やっとこさ成敗できたのに、運よく私だけが取り上げられてしまった。すごく嫌な子。
さようならをしたはずの醜い自分が、またひょっこりと顔を出し、私自身を罵った。
「すず、あんた、また自分にはもったいないとか、思ってない?」
「……それは、思ってない」
「それは=H」
「もったいないとは、思ってない。そうじゃなくて……楽しかったの! 楽しかったから、みんなでふとん太鼓を倒して、楽しかったから、私のものじゃないから……なのに」
なのに、みんな、それを私に差しだすなんて。それがあまりにも心苦しい。
「……勘違いしないでよ、すず」
桐詠は強く言った。
え。しませんよ。してないですけど。
揺れる私を、桐詠はきらめく眼差しで貫いて、教えこむように言葉を続ける。
「いい? お情けだなんて、二度と思わないことね。どんなに優しくったって、栄光や名誉は譲ったりしないわ。誰も差しださない。私は知っている。認めないかぎり」
「…………」
「ここまで言っても……あんたは勘違いをするつもり?」
桐詠はきれいな目でそう言った。
もう、どう勘違いしてほしくないのか、わからない私ではなかった。
桐詠の不遜な誇り高さは、私にはない輝きだ。私は、私にはないものに憧れる。だからこそ一番知っている。それを得られる機会を手放すようなこと、できるわけがない。絶対にしない。認めないかぎり。認められないかぎり。
「……うん」私の声は、ほんのりと震えていた。「私、やったの」
私は認められた――初めて、私自身が、そう認めてあげられた。
桐詠は「ほら、見てよ、すず」と小さく手を仰ぐ。
「やっぱり清少納言の言うとおりだ」桐詠は舞い上がる光を見て微笑んだ。「夏は夜。月の頃はさらなり。闇もなほ、蛍のおほく飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし」
歌うように紡ぎながら、桐詠は去っていく。その凛然とした後ろ姿を眺めていると、肩にぽんと手を置かれる感覚。反応するよりも先に、弧八田彼の面が「お疲れ」と言って去っていった。私はそれすらも音もなく見送る。
ゆっくりと、実感が私に追いついてきた。
光が滲むほど目が熱い。
泣きたいわけじゃない。
ただ、心が震えてどうしようもない。
これほどまでに高揚したことが未だかつてあっただろうか。
カランコロンと下駄の鳴る音が背後から忍び寄る。その足音の主はもう私を囃したてなどしなかった。ただ一言、しみじみとした声で。そっと寄り添うように、此の面は通りすぎざまに言うのだ。
「楽しかったねえ」
それは、彼らしい言葉だった。この祭りに来て、もう何度、彼からその言葉を聞いただろうか。彼の中ではそれが全て、きっとそれ以外なにもない。それぐらい夢中だったのだ。彼も、そして私も。
「うん」
私は噛み締めるように目を瞑った。
瞼の裏までもが眩しくて、それが痺れるほど心地好い。
「すごく、すごく、楽しかった」
終わってしまうのが寂しいくらい、楽しかったよ。