二日目[3/13]

 私たちは近くの屋台の陰に隠れて様子を伺う。
「ははーん」目の前の光景を見て、此の面は探偵ぶった声を漏らす。「ふとん太鼓が暴れてるみたいだね。負傷者まで出てる。救護班を呼んだほうがいいかな」
「ど、どうやって呼ぶの?」
「アプリを起動して。コールってところをタップしたあと手水舎ちょうずやレスキュー隊を選択するんだ。それだけで位置情報を確認して来てくれるはずだから」
 聞けば聞くほど、使いこなせばこなすほど、便利なアプリだった。
「さて僕たちはどうしようか」巾着にスマートフォンを戻しているとき、此の面が言った。「あの様子だと、ふとん太鼓がこちらに突っこんでくるのも時間の問題だ」
「それって危険だよね」
「うん。とっても。けれど、僕たちの足であれから逃げおおせるのも至難の業だろう」
「えっ、えっ、じゃあ、どうするの」
「うーん。どうしようか」
「なんでそんなに暢気なの……!」
 此の面は笑っていたけれど、私は笑えなかった。
 祭りを楽しむ気質はいいが、状況を考えてほしい。昨日の暴挙を見ても明らかだ。ふとん太鼓に突撃されればただじゃすまない。現在進行形でピンチなのにどうしてそんなに気楽でいられるのか。さすがに私は疑った。
 各地では相変わらずバグが発生していた。提灯の灯りは発狂したように多彩色を反射し、宇宙を切り裂く光の剣よろしくあっちこっちを貫いた。電子の金魚は悪さをやめない。屋台のりんご飴を突っついては、悪魔のように貪っていく。
 ふとん太鼓が鋭く突っ切っていくのを、一人の少女の歌が諌める。
「あららかに な食らひ給ひそ 我が君よ はづきに惑ひ しのばれずとも」
 コムズカシくて私には理解できないけど、その雅さだけは感じられる。艶っぽい雰囲気のある、見事な歌だった。
 短冊を放った桐詠はふとん太鼓を睨みつける。
 ふとん太鼓は見えない縄にでも縛られたかのように、その動きを抑制されていた。
 その場にいた誰もが、賞賛の声を漏らす。
「いやー、お見事」此の面もパチパチと拍手を送った。「さすが天下の、いや、天上の天ノ川桐詠ともなると、ふとん太鼓のあしらいかたが違うね。素晴らしい御業みわざだった」
 場を収めた桐詠が此の面に視線を遣る。少しだけ顔を歪め、薄く口を開いた。
「貴方どっち」
「此の面のほう」
「そう。去年落ちこぼれたほうね。わかった」
 私はムッとした。
 此の面は気にしてないようだけど、その言いかたはないんじゃないか。
 しかし、桐詠は悪びれることもなく、此の面に向かって続ける。
「去年の雪辱を果たしたいのかもしれないけど、そうはさせない。今年は私がもらうわ。昨日は貴方の双子に後れを取ってしまったけど……もうしくじったりしないから」
「安心しなよ。僕は神化主に興味はない。ああ、でも」此の面はまるで搭乗員のお姉さんのような動作で隣にいる私に手を向ける。「彼女は今年のダークホースだよ。かの有名な牽牛織女の娘とだって、対等に渡り合えるんじゃないのかな」
 桐詠は私に視線を向けた。
 そんな煽るようなことを言って、此の面はどういうつもりなのだ。ギャラリーの目も私のほうへ向いて、いてもたってもいられなくなる。さすがにもう逃げだしたりはしないけど、妙な圧迫感にくらくらした。
 桐詠は私との距離を詰める。
「貴女ね。今年の御物を見つけだした子は」
 覇気のある顔をぐっと近づけてきた。きらきらの涙袋。なんてかわいらしい子なんだろう。天ノ川桐詠は星のお姫様。薄暗いもの全てを屠るような姿に圧倒された。
「冴えない子」
 桐詠の呟きに、カッと顔が熱くなった。どうにか言い返したくて、でも、その言葉を私が演算するよりも先に、桐詠はそっけなく目を反らす。
「ちゃらっぽこの言葉なんて真に受けないわよ」桐詠は此の面を顎で指して言った。「負けないから。もう一度神化主になって、私の力を証明してみせる」
「そう。願わくば、極上の成敗劇になることを。だけど、いいのかい? 僕らに現を抜かしていて……ふとん太鼓は耐え性のないじゃじゃ馬だ」
 目を離していた隙に、ふとん太鼓は桐詠の呪縛をほどいていた。そのことに桐詠は目を見開かせるが、次の歌を詠むため即座に筆を走らせる。
「いはばしる 垂水たるみのいきほひ 老ひにけり りて呉れよ のよき世をば」
 もう一度、桐詠は足元に屈服させるように動きを鎮めるが、ふとん太鼓は勢いを猛らせる。身勝手に暴れた房の飾りが、四方八方の屋台骨を殴りつけた。客寄せの発光体にもバグが生じ、熱暴走を始める。狼煙のろしのように細い煙が上がった。ボヤ騒ぎ――いや、火事だ。
「うわっ」
 桐詠もこの事態は予想外だったようだ。焦ったように周りを見渡している。
「なんなの! 今年のウイルスは! 凶暴どころの話じゃないじゃん、もう!」
 焦ると筆が進まなくなるのか、桐詠は歌を詠めないでいた。
 けれど、ふとん太鼓は止まらない。相手取っていた桐詠が怯んでいるのを察したのか、いまこそ反逆の時と謳うように暴れだす。近くの木々に体当たりし、驚くほどの音を立てて幹を折った。その下には、十数人ほどの観客たち。
 まずい。あんなの倒れてきたら死んじゃう。
「だめっ!」
 私は咄嗟に手を翳した。
 すると、稲妻のように鋭い追い風――私の背後から吹き荒れた風は、倒れてくる幹を吹き飛ばし、神池に押しやった。
 叩くような音のあと、波飛沫が立ち上がり、水無月の雨のように大きく降り注ぐ。ボヤの火も消えた。この乱暴な事運びは全て数瞬の出来事だった。
 一連の出来事に呆然とする私に、此の面は「これは驚いた!」と歓喜する。
「見事だよ、すず! 君は特級の風使いだ!」
「えっ、えぇええ、そう?」
「そうさ! さすがは僕が見込んだ君だ!」
「あんなのまぐれでしょ!」桐詠は甲高く吐いた。「それに、ふとん太鼓は成敗できていないわ! まだ気は抜けないんだからね!」
 突っかかるような言いかただったが事実だった。
 私はなにも、全てを計算して風を呼び起こしたわけじゃないし、ふとん太鼓を成敗したわけでもない。あくまで被害を防いだだけだ。わかっている。
 わかっているけれど、でも。
 私は興奮により、浴衣の袖の陰でぎゅっと拳を握りしめていた。
「……う、わあ」
 その拳を、ゆっくりと、花開かせた。みなぎる、冴えわたる。軽く手を振りかざしただけで、風がそよぐのがわかった。私の吐息はつむじ風となり、提灯を揺らした。すごい。私にこんなことができるなんて。
「来る!」
 此の面が強く叫ぶ。
 地上すれすれを滑空するふとん太鼓が、バグを散らしながら追撃してきた。
 私は咄嗟に両手を重ねて翳した。もちろんこんな柔な腕では防御にもならないことはわかっていたけれど、私の予想――期待通りに、大きな風は吹き巻いた。
 私の起こしたドリルのような風圧と、ふとん太鼓は正面衝突。
 力任せの攻防戦となった。
 まだ距離はあるし拮抗しているようにも見えるが、徐々に押されていくのがわかる。私の今の風圧では、ふとん太鼓に勝てない。もっと、もっとと、風の威力を上げるも、ふとん太鼓の勢いはそれを凌いだ。
 結果、根気負けした私の風は霧散するように解けて、押さえこんでいたふとん太鼓の加速を解放する。
「すず! 危ない!」
 自分目がけて突進してくるふとん太鼓に戦慄を覚えた。
 私は瞬間的に霧散した風を自分へと集め、下から上へと吹き上げる。
 上昇気流。
 私は紙一重でふとん太鼓による蹂躙を回避し、上空の世界へと逃げた。
 視界も世界もガラッと変えてしまうほどの大跳躍。私は大袈裟でもなんでもなく、風に乗っていた。飛んでいると言ってもいい。羅列する提灯も屋台もふとん太鼓も、なにもかもが自分の足元にあった。
 バクバクと鼓動がうるさくなる。暴れる袂や髪を野放しに、美しい祭りの夜景を見ながら、私は両手をぎゅっと胸の前で握った。


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