《トレイン・ナノセルフ》1/7


精霊《大いなる無力》――あらゆる能力を無効化する特徴を持つ。
レアリティ ☆☆☆三ツ星
威力    ☆☆☆+αエラー

「わあ、ナルくんってすごいんだね」
 いつもよりも早めの時間帯に登校した朝のこと。
 まふゆと俺は監査室へと赴き、渡された初期カルテを眺めていた。
 監査の結果が出たから取りに来てほしいと、昨晩学校から電話がかかってきたのだ。速いスクールバスに乗るため、まふゆはいつもよりも二十分ほど早起きをした。普段の時間帯に出るスクールバスでも十分に間に合うだろうに律儀な人間だ。
 監査室で見せられたカルテに感嘆しているまふゆに、室長は食い気味に反応した。
「すごいなんてものじゃないわ! ハイパーすごいから! すごさにすごさ重ねちゃってるから! ものすごいレアよこの子、三ツ星なんて菜野さんの学年じゃあ翼切飛馬くらいのものだもん! やったじゃない! 威力数値に関しては天変地異ね! 大きすぎて算出不能になるなんて前代未聞だわ! とんでもない当たりくじ引いちゃったんじゃないのこれ!?」
 テンションの高い室長は眼鏡の奥の目を見開かせ、両手をポケットに突っこんだ白衣をバサバサと揺らした。
 そんな室長をまふゆはぽかんと見つめていたが、やがて俺に言葉を投げる。
「ナルくんみたいなすごいひとが私なんかのところに降りてきていいの?」
「なんかとか言うなよ」
「だって、月とスッポンっていうか、スッポンに月だよ。私、全然才能ないし……インストールにも時間かかっちゃったし」
「いや、多分それって菜野さんが悪いからじゃないと思う」室長はカルテを叩いて言った。「これ見たらわかるでしょ? 《大いなる無力》の力は強い。そもそもおかしかったのよ、インストールに一ヶ月もかかるなんて。04に入学できたんならみんな降霊能力はあるはずだもん。つまり呼びだした菜野さんじゃなくて、精霊のほうに問題ありってこと。並の降霊じゃ呼び出せないくらい、彼の力は偉大だった」
 まふゆはぱっと顔を輝かせて「ナルくんすごいっ!」と拍手した。こうもまふゆが喜ぶとは思わなかった。俺を気に入ってくれたようで嬉しい。
「しかもよ」室長は笑みを浮かべて言った。「精霊としての彼の特徴がすごいわ……セツリの特性を無効化できるってことだもん! びっくりした。かなり戦闘で有利になると思う。そもそも、祓が甲殻に精霊を宿して戦うのは、人類の力では埋めきれない、セツリとのハンデをなくすため。神秘には神秘をって考え。そのハンデを根本から埋めてくれるんだから、そりゃすごいに決まってるわ」
「ハンデって、セツリの特性三つのうちの能力≠フ部分ですよね?」
「よく覚えてたわね。テストもバッチリよ、きっと」室長はまふゆを褒めた。「そう。セツリには生殖、能力、本能の三つの特性がある。発生・出現方法を生殖=A各々が持つ特徴を能力=A以上と関係なく無差別に行われる行動を本能≠ニ称しているわ。ま、原義と違ったりもするからイメージの齟齬が起こるだろうけど、それは人類の概念では適当な言葉が見つからなかったからね。まっ、それでよ。《大いなる無力》が無効化するのは、この、能力、の部分。わかりやすく見せてあげる」
 室長は部屋の奥に引っこむと、一つの水槽のようなケースを取って戻ってきた。
 中に入っているものを見て、まふゆも俺も驚愕する。
 室長は先回りするように「本物よ」と言った。
 うさぎサイズほどのセツリが、そこにいたのだ。
 真っ白の骨のような塊。フォルムは四本足の蜘蛛のようだ。表情筋のなさそうな単調な顔がのっぺりと貼りついた蜘蛛。外気より体温が低いのかケースには結露が浮かび、また氷が走るように曇っていた。
「この子の特性は生殖、能力、本能の順に、《多産・凍雨・消滅》のセツリ。生まれたばかりであること、また消滅しやすいことから、そう危険な種でもないわ。安心して」
「どうしてこんなものが……?」
「連携実践で用意される本物のセツリはみんな養殖だからね。この凍雨のセツリも半年後には菜野さんと相対することになるんじゃないかな」
 まふゆはじっとケースに入ったセツリを眺めた。
 口と思われる穴から吐きだされる吐息には氷が混じり、音を立てて底に落ちている。
「菜野さん。抜剣してみて」
 躊躇うように数回瞬きをするまふゆだったが、スリープ状態から起動させ、甲殻を纏う。言われたとおりに鞘から剣を抜くと、ケースの中のセツリが氷を吐かなくなった。
「わっ、すごい」
「刀身が鞘から出ているあいだあらゆる特徴を無効化する……まさしく《大いなる無力》!」室長は熱く拳を握った。「素晴らしいわ! この特徴だけでも即戦力よ! これまで近づくことさえ困難だった灼熱のセツリを相手にできる!」
 温暖化解消の貢献に繋がるわよーと室長は雄叫びを上げた。
 相当大きな声だったので、どうやら外にまで漏れていたらしい。廊下に意識を遣れば通行人のざわざわとした呟きが聞きとれる。これまでの会話を立ち聞きしていた者も少なくはなかった。講師から生徒まで、いろんな人間がまふゆを噂していた。
「あの十億分の一の劣等生が三ツ星引いたってよ」「嘘でしょ……その精霊そんなにすごいの?」「そりゃそうだよ」「だからインストールに一ヶ月もかかったんだろ」「威力でエラーが出るってどんだけだよ」「えっ、なにそれ。やばくない……?」
 周りの、まふゆを見る目が変わった。
 称賛よりも焦りの濃い、驚愕の色。
 そりゃそうだ。これまで彼らがまふゆを冷遇していたのは、まともに精霊を降ろせなかったことに原因がある。しかし、いまやその限りではない。取るに足らないと侮っていた菜野まふゆが強大な力を引き当てた。それも、己の力よりもずっと強大な力。
 ここにいる生徒は皆総じて自尊心が強い。昨日まで馬鹿にしていた生徒が自分よりも格上だと知れば、屈辱で居た堪れなくなってもおかしくない。教室に入ればまず誰もがまふゆを眺める。そのくせすぐに、居心地の悪そうな表情で下を向く。自分たちの上に立ったまふゆが糾弾してくるのを恐れているのだ。
 いい気味だ。
 いい気分だ。
 しめしめ! もう誰もまふゆを馬鹿になんてできない! まふゆが劣等感に囚われることも、人目を避けることも、俯かなければならないこともない!
 菜野まふゆは誇りを取り戻せる――!
 待ちに待った午後の実技の授業。ジャージに着替えたまふゆは主訓練ゾーンで二の腕のストレッチを行っていた。強張りながらも、口元がほんのりに緩んでいるのがわかる。嬉しそうなまふゆを見ているのはやはり気分がよかった。いつもならすぐにでもギャラリーに向かわなければならなかったが、もうその必要はない。眺めるだけの生活とはおさらばなのだ。
「っはぁあ……緊張するなあ」
「心配しなくていい。お前はいつも通りに剣を振るえ」
「でも、本物のセツリと戦うのは初めてなんだよ……?」
「そんなのあいつらだって一緒だろ」
 まふゆは、こちらへと歩いてくるチームメイトたちに気づく。
 ジャージを着こんだ三人も甲殻をスタンバイさせてある状態にあった。己の精霊と会話しながら集合する。籠中仔揺はまふゆ同様、軽いストレッチをしている。実花島英繰はスポーツドリンクのキャップを開けているところだった。
 チームメイトに迷惑をかけずに済むのだ、もう申し訳なさに遠慮しなくていい――四人で固まったあと、まふゆは声をかけようとした。が、それよりも早く、翼切飛馬は口を開いた。
「おい、ポンコツ。いままでみてえに俺様の足を引っぱるんじゃねえぞ」
 その凄みのある声にまふゆは戦いてしまった。言おうとした言葉も忘れて、ふらっと視線を下げる。やはり翼切許し難し――腹の立った俺は、まふゆの代わりに声を出す。
「たしかにこれまではお前らに迷惑ばかりかけていた。だが、もう俺がいる。むしろお前のほうこそ足を引っぱらないようにするんだな」
「ああん?」翼切は顔を顰めた。「この俺様に言ってんのか?」
「お前だって連携実践は初めてなんだろ? 慣れないことで粋がって、恥を掻くのはどっちだろうな。ただの強がりじゃないことに期待しといてやるよ」
 カチンときた翼切はさらに顔を歪めさせたが、吹き飛ばすように快活な笑い声があたりに響いた。
「ぎゃっははははは! 面白いことを言うねえ《大いなる無力》! 可哀想に、うちのプリンセスがおかんむりだよぉ? だけど君が思うようなことは一つもないよ。なんてったって、プリンセスにはこのボク、《まどえる子羊こひつじ》がついてるんだからさあ!」
 それは翼切の甲殻に宿った精霊の声だった。少年とも少女ともつかない声。
 蠱惑的な紫を光らせて、甘噛みするような牙を見せる。
「刀身が鞘から出ているあいだ相対するセツリの前後左右上下の感覚を逆にするのがボクの特徴。狂わされたセツリはなすすべもないさ! セツリを相手にするほうがプリンセスは強い! 残念でーしたぁ! ぎゃっははははは!」
「そういうこった」
 翼切は鼻で笑った。鼻で笑うと表現するより鼻で蹴飛ばすと言ったほうがしっくりくるような腹立たしい表情だった。まふゆにずいっと顔を近づけ、ぶちまけるように吐く。
「いいか? こうして戦うってことは当たり前のことなんだからな。浮かれて調子乗ってんじゃねえぞ」
 籠中に「翼切くん」と諌められたが、やつの態度が軟化するようなことはなかった。
 カンスト組の中でも翼切飛馬はひときわプライドが高い。連携実践に参加できなかった時間は心底苦痛であっただろうし、その原因であるまふゆを恨んでもいるのだろう。
 チームの中でまふゆの顔を上げさせるのはまだ先になりそうだ。



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