《栄名歩子の油断》1/3


「紹介しますね。あたしの友人代表スピーチを任せようと思っている紫木咲(むらさき・さき)さんです」
 冗談じゃねえぞこのクソビッチ、とは流石に言えなかった。
 若干二十二歳という若さで結婚と名のつく乙女の人生のゴールテープをスキップしながら切りやがろうとしている脳みそお花畑な小娘に私は「ほ、本当に彼女で?」とひかえめな確認をとった。
 時は曇り空の日曜日。女しかいない打ち合わせ用のテーブルで、私は呆気にとられている。今回担当する花嫁・林森佳乃が連れてきたのは、まだ大学生にもなっていないような、これまたうら若き少女だったのだ。化粧っ気のなさから中学生かと疑ったが、笑顔の花嫁の横で申し訳なさそうにこちらを伺う大人びた姿勢は、おそらく高校生のそれだ。高校生。されど高校生。もちろん誰がスピーチを読んでもいいのだけど、どうせ同級生の友人に頼むんだろう、と思っていた私にとってはけっこうショッキングなニュースだ。常識的に考えてありえない。
「はい。この子に任せます。でもスピーチの原稿とか指導が欲しいみたいなので、どうかよろしくお願いしますね」
 どうやら決定事項らしい。表情から私の戸惑いを察してくれない小娘は新たな仕事まで押しつけてくる始末。
 わがままだらけでようござんすね。
 まあ仕事だからきっちりやらせていただきますけど。
「わかりました。当日の司会は私が担当しますので、スピーチの打ち合わせもさせていただきますね」
「ああ、よかったあ、断られたらどうしようかと」
 了承の流れの後に常識保険と責任労災をかけてくるあたりが姑息すぎ。
 心中で睥睨している私に、紹介された紫木咲という少女はひかえめに申し出る。
「すみません。私が無理を言ったんです。あまりにも急な話に関わらず、柔軟に対応していただいてありがとうございます……えっと――」
 しっかりした子だなあ、と耳を傾けていた私の胸元をじっと見つめる少女。
 きっと胸元に下ろした髪の房が邪魔になっていたのだろう。染めたことがないのが自慢の私の髪は暫く切っていないおかげで結わえたとしても相当な長さになってしまっている。明日からは後ろに流しておくか。私は髪を上げて、左胸のネームプレートを見せつけた。
「このたび染井夫妻のブライダルコーディネートを担当する、栄名歩子(さかえな・あゆこ)です」
 ウエディングプランナー。
 この仕事は、自分の喜びよりも、無関係な男女二人の喜びを優先する仕事だ。
 結婚式という人生でそう幾度とない華やかな舞台を、少しでもよりよいものに仕上げ、円滑に進められるようサポートする。幸せを支える仕事。なんて素敵なんだろうと無邪気に目を輝かせた私は、高校卒業後、ブライダル系の専門学校に入った。
 招待状の手配、披露宴のセッティング、衣装にヘアメイク、当日のアテンド。想像していたよりもずっとハードな仕事ではあったが、それでも結ばれていく男女を見守るということに喜びを感じていた。就職してからの数年はやりがいに満ちていたし、最初に担当した結婚式なんてもらい泣きしてしまったほどだ。
 けれど他人の幸福で満たされる聖人のような生活は数年で終わる。仕事に没頭、いや、仕事に現を抜かしていたらいつの間にか自分の婚期を逃し、色恋にも見放され、友人の結婚式までサポートする羽目を見たころには、仕事に嫌気しかささなくなってしまった。
 どこへ行ったの、キラキラおめめちゃん。
 きっと疲れてしまったのね。世の中にはわがままな花嫁が多いから。
 徹夜で自分の肌を荒くしてまで新婦の美しさをサポートするような拷問、一体誰が思いついたんだろう。こんな性格の悪いシステムなんて社会主義だって糾弾されればいいのに。仕事をがんばっている私の周りからどんどん収穫されていくイケメンやら高収入やらの優良物件の残りかすは、クチャクチャ音を立てなきゃごはんも食べられないような破滅寸前のオンボロ物件。同僚の女子会で愚痴の種として名前を挙げられる男性スタッフもみんなそんな感じ。まるでダメ。足りないのはきっと出会い? ううん、むしろ心の余裕だと思う。まずはこの悪循環をなんとかしないとどうにもできない。お掃除のできない奥様ねって笑われたら大変ですから。旦那様いねえけどな。
 今回私を担当してくれる拷問監督官の林森佳乃は、私よりも八つは年下の小娘だった。
 若い子はスキップもお上手。水溜りの滴や砂埃の迷惑を周囲に振り撒きながら、一人綺麗な白のドレスを着て、ごめんあそばせとゴールテープに向かって歩いていく。一方の私は年々地団駄ばかりが上手になる。なにが歩子だ。全然歩けてないじゃないか。
 二十代前半という若さで結婚できるなんてそりゃあすごいですわよ。
 だって美しいもの。
 ぴっちぴちの若さでドレスなんて着たら、誰だって華やかになる。
 だから結婚を急いでいるんだろう。新郎の染井純以上に、林森佳乃は。
 一見して脳足りん、どう見てもアホゥな林森佳乃は、女の勘を以て言わせてもらうなら相当な悪女だ。どうせ新郎はお馬鹿な女の子カワイイとか気持ち悪いことを考えているだろうけど、騙されることなかれ、ああいう女はアホゥなふりをしてとんでもないことをしでかすのだ。中学校のきゃぴきゃぴした女子グループの生態と一緒。図鑑からそのまま飛びだしてきたって感じ。自然に帰れや。
 結局その日の打ち合わせもまばらに終わらせ、林森佳乃と紫木咲ちゃんは帰っていった。
 二人が帰っても私はもちろん帰れない。
 招待客を増やしたいといういきなりの要求、料理の品の準備、予算内でできる最大限の結婚式を、というのが染井夫妻の要望だ。それがウエディングプランナーの仕事ではあるけど、こんな時間が続くと式自体をぶち壊してやりたくなる。たとえば新郎新婦入場時のBGMをベートーベンの『運命』に変えてやるとか。ジャジャジャジャーンでチャペルを歩め。たとえばブーケをラフレシアでこしらえてやるとか。その異臭と見目にトスを避けられろ。イチオシはテーブルの下に爆弾を仕掛けてあいつらの脳みそを吹っ飛ばすという案。ほとんどテロだけど考えるだけでストレス発散にはなる。
 うちの会社は小さいうえに人手が足りず、スタッフ一人一人が複数の仕事を担当しているなんてザラだった。私も式をプロデュースしながら当日は司会まですることになっている。過労に過労がたまり、鬱を引き起こし、けれど仕事は続く。そんな苦境に耐えるためには少しの妄想が最高のデザートだ。次の女子会の題材は事故を装って結婚式を台無しにする方法≠ナ決まり。早速連絡を回さなければ。
「あ、いたいた。栄名さん、ちょっと話があるんだけど」
 自販機でコーヒーを買っていたとき、廊下の端のほうから声をかけられる。
 本人の鼻腔の奥でしか響かないような聞きとりづらい男の声。上司相手にこんなことを思うのも悪いけど、売れないオペラ歌手みたい。
「なんですか」
「なんですかじゃないって。式場のレイアウトがまた変更されただろ。しかも大きく。あんまり準備に無理が出る要望は、やんわり拒否するようにって言ったのに」
 彼はまるで新米社員に言い聞かせるように私に言い、そして自分は背後から拒否していたのにという態度で私に接する。
 私だっていろいろ試みてはいるのだ。
 この仕事に就いてから何年になると思っている。
 けれど、残念ながら相手の情熱はそれを上回ってくるのだ。私の中でとうに鼻持ちならない女として脳内記録されている花嫁・林森佳乃はもちろんのこと、特に染井夫妻の夫のほう、染井純は、私を凄腕のプランナーだと思っているふしがある。嬉しくないこともないが迷惑だ。こういうとばっちりをじわじわ食らうことになる。
「はあ。すみません」
「まあ設置のやつらに俺がなんとか言っておいたから、大丈夫だと思うけどな」
 だったら何故私を責めたの。
 庇ってやる俺って超かっこいいだろ、って顔、超うざいんですけど。
「栄名は真面目だから、すぐ相手の要望を叶えようって無理しちゃうんだよな。ストレス溜まってない? また夜食べに行こうか。愚痴りたいこともあるだろうし」
 彼氏面すんなバリトン野郎。
 私は「いえ、上司にご迷惑をかけるわけにはいかないので」とやんわり断った。
 残念でした。真面目な私に要望を拒否されるなんて。
 彼とは前に一度だけ食事に誘われて、まあ上司と部下の円滑な関係を築くためにはとそれに乗ったわけだが、正直めんどうなことこの上なかった。
 彼は穴場だというマイナーな中華料理屋に私を連れて行った。誰も気づかないような店が案外おいしいんだと自信満々に言ってみせたそこの麻婆豆腐は、豆腐に対しての麻婆が多すぎてイマイチだった。さっきはさも自分が愚痴に付き合ってやったかのような発言をしてくれたが、付き合ってやったのは私のほうだ。彼は自分がどれだけすごい仕事をしているのかを矮小に語り、私にその同意を求めてきたのだ。金の斧と銀の斧はもらえなさそうなひと。聞くところによると独身だし、大した出世もしていない。目をかけられているって発言も思いこみが激しさから来るものだろう。さりげなく私の肩を掴んできたときは思わずハエ叩きで成敗してやりたくなった。幸せすら掴めなさそうな頼りない手で私に触れないでほしいんだけど。
「そんなことないさ」彼は演技っぽく肩を竦める。「遠慮しなくてもいいのに」
「じゃあ、他のひとも呼んでいいですか? 多分みんなで行ったほうが楽しいし」
「ううん……それはまた今度。俺は静かなほうが好きだし」
 わかりますわ。静かで自分の話を聞いてくれる女が好きなんですのよね?
「私も、一人で静かにすごしてる時間が好きですよ」
 彼は私の匂わせた本音に気づかないふりをして「そっか」と言った。余裕そう。私が他人の結婚を僻んでいるのを知っているのだろうか。そう思うと鳥肌が立った。だから私も所詮クチャクチャ音を立てながらでしか水餃子を食べられない男だと心中で見下す。
 もしかしたら彼は私に変なアプローチをしているのかもしれない。年齢もキャリアも一回り上の男性。俺についてこないかってアプローチ。勝手に言ってろ。
 彼と別れた後、私は即座に同僚女子が集うSNSのグループにメッセージを送る。
『今晩どう?』



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