《染井純の混乱》2/3


 佳乃も佳乃で「やばい、二の腕」と喚きだしたので、俺が会社に行っているあいだドレスに見合う体作りに没頭しているのだと思う。もちろん俺は「そんなことをしなくても十分綺麗だ」と言ったのだが「違う、どうせ一ヶ月じゃ変わりっこないって思ってるんでしょ」と返された。アホゥのくせになんでわかったんだ。
 結婚式の招待状を友人らに送ると、早速メールでお祝いが来た。お祝いの半分は料理の口出しだった。なにが伊勢海老だ、なにがキャビアだ。お前たちまで海に幸を感じやがって。勝手に潜ってろ。などとはもちろん返信せずに、検討しておくとだけ言っておいた。伊勢海老にキャビアは俺もそそられたのだ。
 ちなみにこの結婚について、俺の親も佳乃の親も、なにも口出ししてこなかった。反対ゼロだ。身構え気構えていただけに、実に呆気のないものだった。ドラマとか古臭い漫画にあるみたく、真っ赤な拳で頬を殴られ「お前なんぞに娘はやらんぞ!」とのたまわれるものだと思っていたのに。こたつの席で「エクスキューズミー」と冗談風味に切りだしたのがよかったのかもしれない。招待状を出すまで本当に冗談だと思われていたのだ。ちなみに招待状を受け取ったあとの反応も「エクセレント」で終わった。アホゥの親はアホゥなのだ。
 でも、以上からわかるとおり、誰もがこの結婚を喜んでくれていた。
 そして口々に言う。
 やはり人生の幸せは結婚なのだと。
 人生の中で、自分が確実に主人公を演れる場面などそうそうない。全員が全員脇役だ。いやいや自分こそが主役だと胸を晴れる人間などきっといない。学生時代にクラスの中でよく目立っていた彼や彼女も、出世街道まっしぐらなバリバリのキャリアマン・キャリアウーマンも、やはり誰かの引き立て役だという認識はどこかにあると思う。スポットライトの憧れはやまない。誰からも何からも祝福され、みんなが自分たちのためになにかを分け与えてくれる。そういう場面は人生の中で一度か二度だ。そしてそれこそが、結婚だ。
 式での主役は紛うことなく新郎新婦だ。
 それはただ二人だけ純白であるのを許されることからも伺える。
 不可侵であり絶対だ。揺るぎない。二人の結びは約束され、なんの迷いや後ろめたさもなく、幸福の追求を認められる。
 誓いのキスは一番の山場。たくさんの拍手はファンファーレだ。
 誰もが喜んでくれる結婚式。
「うむ」
 いい。まさに至福。
 ワイングラスを逆さまにしたようなボリュームのあるドレスを着る佳乃は、きっと美しい。華やかな化粧に彩られた馴染みのある顔が白のヴェールの奥に見えるのだ。
「ソメイヨシノ」
「え?」
「結婚したら、ほら、染井佳乃になるよ」
 まるで佳乃は俺と結ばれるために生まれてきたような女性だ。
 いつかの日の俺は間違っていなかったのだと確信する。
 浮かれて笑う彼女のドレスは桜をイメージした飾りをつけるらしい。もっと浮かれてポンチになる当日が想像に難くない。
 やっぱりアホゥだ。
 同じくらい浮かれてしまう俺もアホゥだ。
 そんな感じで俺たちは結婚式の準備を着々と進めていた。
 席の配置、流れ、もてなす料理に流す曲。楽しんでもらうための簡単な出し物なんかも、時間に余裕があればやろうかと話していた。
 敏腕凄腕プランナーのお姉さんに頼りきり、俺たちは予算と常識ででき得る限りのことをやってやろうと思った。どうせ最初で最後の結婚式。されど、これからを共にするパートナーとの仲を飾りたてるための式だ。いいスタートを切りたいではないか。
「祝辞は午後二時から。思い出ムービーは三時半からの予定だ」
「藍原くんに頼んであるんだっけ?」
「ああ。あいつ機械とか得意だし」
「どんなの作ってくれてるんだろう。楽しみだなあ」
「だな」俺は資料の紙をめくりながら続ける。「友人代表のスピーチもやらせたかったんだけど、二つ同時じゃ荷が重いからな。スピーチのほうは他のやつに任せたんだ」
 式までもう二週間を切っている。いよいよ、というやつだ。短い隙間時間で進めてきたものだから綻びはあるだろうが、なかなか良好に進んだと言える。
「聞いたよ。純のパパとママ、式にピンクのドレスコート着ていこうとしてたんだって? おもしろーい」
「恥ずかしいの間違いだろ。お前の親にもなるんだぞ」
「あたしはそれでもいいよ。ほら、あの夫婦でやってる芸能人みたいでかわいいし」
「冗談はよせ」
 途端拗ねやがった。
 俺の返答を聞いてすぐにニボシみたいに目を細める佳乃。
じとりとした粘っこい視線は、俺が「やっぱかわいいかも」と頭を撫でてやるまで続いた。
 新妻の意見と最初で最後の特権、また両親の愛情を考慮したうえで、まあピンクの服でもいいかとトチ狂った俺は、その旨を伝えるために実家に電話をかけた。
「もしもし母さん? 俺俺」
『やったわ! ついに来たわ! オレオレ詐欺!』
 やってもないし来てもないし詐欺でもない。
 自分の身分を打ち明けたとき、母さんは三オクターブも声が低くなるほど落胆した。
「息子からの電話を嘆くな」
『ならケータイにかけてくれればよかったのに。なんで家の固定電話にかけてくるのよ』
「最初はケータイにかけたよ。全然出なかった」
『えー……あらヤダ本当だわ』がさごそとなにかを漁った音が聞こえた後、おそらくケータイを確認したであろう母さんが続ける。『しかもなにー。ラインから百個もスタンプ送りつけてきて』
「ああ、それ通知で気づくんじゃない?≠チて佳乃が」
『佳乃ちゃんが? 相変わらずアホゥねえ』
「ばかわいいだろ?」
『あんたも相変わらずアホゥねえ』
 母さんの声は楽しそうだった。なんだか急に恋しくなった。
 今週の休みにでも佳乃と実家に帰ろうかな。
 そう母さんに言うと、母さんは当然のように返してきた。
『そうしなさい。今年はいつ帰ってくるのかって聞こうと思ってたし』
「なにが?」
『薄情ね。結婚に浮かれすぎじゃない? 墓参りを忘れたの?』
「忘れてないって」
 忘れてた。びっくりした。そんな自分にびっくりして、電話口から会話が聞こえていたであろう佳乃もびっくりしていた。お互い顔を見合わせるが言葉に詰まる。
『結婚の報告もしてやりなさい。きっと喜ぶわよ。あんたたち二人なら』
 とりあえず今週の土日ね、と話を終えて、俺たちはその夜普通に寝た。
 そして土曜日、車で実家に帰った俺たちは、母さんが買ってくれた西瓜ゼリーを食べた後、墓参りに出かけた。母さんと父さんはもう済ませてあるらしい。それもそうか。長年の付き合いになるし、とっくに済ませていても不思議じゃない。勝手に疎遠になってしまったのは俺の責任だ。
「このパープリーなお花にしよう?」
 花屋に行き、傲慢なアヤメを手向けの花に選んだ佳乃。俺は口出しも特にせず、お金を払って、綺麗に包んでくれるのを待っていた。隣に並んだ貞淑で純朴そうな花に目もくれないのが彼女らしい。
「たくさん余ってたんで、目立たないんですけどサービスしますね」
 そう言って店員さんはハナズオウの飾り枝を添えた。
 完成した小さな花束を持って、俺たちは目的地に向かう。
 会話という会話もせず、六月の空気を感じながら歩き続けた。夏目がける暑さに冷や汗を流しつつ、俺たちは無事に目的地の墓地に辿りつく。
「あれ? 誰かいる」
 佳乃が呟いた。俺も気づく。誰かいる。
 いくつもの墓石が並ぶ中、目当ての一本のその目の前、少女が一人立っていた。
 少女だ。成熟していない。それは夏物の制服を着ていることからわかる。学生だった。スニーカーでなくローファーを履きこなしているあたり、おそら高校生だろう。髪は胸元で切り揃えられた漆黒。花束を持って、一人きりでぽつんと、墓の前に立っている。
 少女も俺たちに気づいたのかこちらに振り向く。



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