《染井純の混乱》1/3


 俺の結婚式がハイジャックされている。
 いや、この言い回しは適切ではないはずだ。ハイジャックというよりは、ブライドジャック、そう、ブライドジャックだ。俺こと染井純(そめい・じゅん)の第一回、そしておそらく最終回の記念すべき結婚式が、不法に強奪もしくは占拠された。それも、花嫁である林森佳乃(はやしもり・よしの)の、結婚式スピーチ友人代表の一人の女によって。
 どうしてこうなった。
 考えれば考えるほど迷宮入りとなる。
 俺たちは普通に結婚式を挙げようとしただけだ。それがなんで、スピーチを頼んだはずの相手に乗っ取られなきゃならんのだ。
 もちろん最初はなにかの冗談かと思った。
 悪趣味極まりないとはいえ、ぶっ飛んだジョークセンスの持ち主ならばギリギリ考えつきそうな範疇のものだ。むしろそうあって欲しかった。
 だがそんなのはただの願望で、現実問題、式場は薄氷に覆われたかのように静寂を極めている。誰かなんかしゃべれ。
 呼吸するにも気を遣うほど音のない空間は息苦しい。
 全ての主導権はジャッカーが握っているように感じる。
 なんせ壇上に立った一発目で血も凍るような発言をぶっ放してくれたのだ。来賓の混乱を糸のように束ね、存在感と発言力を一気に高めたその手法は、もはや場慣れしているとしか思えなかった。
 俺は釘付けになったままの目で現状を見つめる。無垢さの残るシルエットをしたパーティードレスを着たジャッカー。彼女は力強く前を見据えたまま、なのだと思う。頭につけた髪飾りの黒レースが白い頬骨にかかり、表情の読み取りを阻害している。どんな顔をしているのかは正直よくわからない。一体なにを思い、なにを考え、今日この暴挙に出たのか。わからない。最初に呟いたあの一言だけでは。
 わからないことはそれだけではない。打開のしかたがわからない。
 俺の心臓は変な薬品でも注入されたかのようにもんどりうっている。冷や汗を掻きすぎて、もう暑いんだか寒いんだかよくわからない体温。冷たくなった指先は驚愕と焦りでぴくりとも動かせない。俺の人生史上最悪の一瞬だと言える。
 隣に座る佳乃も顔を青ざめさせている。まさか自分の選んだ友人代表がこんなことをしでかしてみせるとは夢にも思わなかったのだろう。俺も同じだ。
 いや、正直に言うと、なんでこいつにスピーチなんか頼むんだよ、と思わなくもなかった。佳乃が彼女を友人代表に決めたのは本当に突然だったのだ。あの瞬間を思い出しても、俺自身なにが起こったのかわからなかったくらいだ、ちょうど今のように。やめておいたほうがいいんじゃないかと心中で必死に唱えたし顔にも出ていたはずだ。だが最終的には心から納得し、笑顔で了承した。だから俺も同じだ。
 それなりに信用していたのだ。信用というか、下に見ていた。たとえなにが起こっても、彼女は俺たちの脅威になるわけがないと、高をくくっていた。今やただのジャッカーと成り果てた彼女の性格は二人ともよく知っている。控えめで温厚で、けれどしっかり者で、そして俺たちを信頼している。間違ってもこんなことをするような人間ではない。なかったはずだった。
 誰かこの最低な状況をどうにかしてくれ。誰でもいい。来賓の皆様、俺を今まで育ててくれた父さん母さん、司会者のひと、頼むから。
 そうだ。ウエディングプランナーのお姉さんはどうだ……だめだ、ドアの近くで固まっている。
 藍原なら……無理だ、ジャッカーの姿に呆然としている。
 どいつもこいつも、俺と佳乃の結婚式を救ってやろうとは思わないのか。というか、今の状況をどうにかしてやろうとは思わないのか。明らかにおかしいだろ。こんな結婚式の流れはないだろ。ドラマじゃないんだから。お前らがどうしてもって言うから招待客への食事には力を入れてやったというのに。食うだけ食って座りつくすんじゃない。ご馳走に相当するだけの働きはしろ。しまいには泣くぞ。
 世紀末かってくらいのピンチ。
 その一挙手一投足により、俺たちの運命が決まる。
 せめてもの救いは、ジャッカーである彼女がヒステリーを起こしていないことだ。いや、こんな暴挙に出るあたりでもうすでにヒステリーなのかもしれないが、むやみやたらにものをのたまわれるよりは随分とマシに思える。考えてもみろ。ワタシヲコロシテアナタモシヌワなんて冤罪もいいとこを言われた日には。おっと、逆だった、夫だけに。
 陽気に惨状から逃げてみたがもちろん生産性は皆無だ。冗談はこの状況だけにしておこう。妄想で人間は救われない。物事を頭の中で整理する行為のほうがよっぽど有意義だ。
 ここで確認しておきたいのは、俺は彼女に対してなにか後ろ暗いことをした事実はないということだ。むしろその逆こそがふさわしい。昔っからやんちゃをしてきた俺ではあるが、ただいま現在進行形で結婚式をジャックしている彼女に対しては、極めて紳士的な対応を心がけたつもりだった。それは佳乃も同じだ。佳乃は彼女を可愛がっていた。そして彼女も佳乃に懐いているように見えた。のに。
 なのに、彼女は、俺たちの結婚式で、その壇上で、スタンドマイクを前に、リモコンのような黒い塊を握る右腕を高く伸ばし、威風堂々と言ってみせるのだ。
「動くな。この式場に、爆弾を仕掛けました」


● ○ ●



 俺と佳乃は、とてつもない激動の大恋愛を繰り広げ、その末に結婚を決めた。
 長い道のりだった。
そもそも彼女と晴れて恋人になるまでが壮大だった。彼女の笑顔に支えられながら乱暴に階段を登り、鎖を解き放ち、血潮を流したと言っても過言ではない。正式に愛の口づけを交わしたのはいつの日だったか。おそらく雨の日だったと思う。だから彼女はこんなことを言いだしたのだ。
「あの日みたいに、ジューンブライドにしよう? でなきゃシュノーケリングマリッジ」
 俺の花嫁となる林森佳乃はとんだアホゥだった。
 そのアホゥがかわいくて好きになったのだが、こういうときにアホゥになられても困る。
 大学を卒業した俺たちは同棲を経て、自分たちの大恋愛を周囲に見せつけるステージが欲しくて、二十二歳の若さで結婚することを決めた。俺もアホゥだったのだ。が、如何せん社会人一年目。大々的に挙げるだけの金はない。幸いなことに俺は大学在学中にお金を貯め、彼女も生涯のお年玉をこつこつ貯金していたおかげで最悪の事態は免れそうだが、女の子が夢見る純白のチャペルに三度のお色直し、どうやって切るんだというほどの高さを誇るウエディングケーキは用意できないだろう。そこそこの結婚式をそこそこの人数でそこそこに挙げれるくらいだ。それが嫌だと言うから、あと半年はお金を貯めようとさっき話したばかりなのに、ジューンブライドにシュノーケリングマリッジだと?
「明日で六月だけど?」
「じゃあシュノーケリングマリッジ」
「いくらだ」
「いくらじゃないよ。お魚さんだよ。もう、純ったらアホゥね」
 アホゥはお前だ。
 考えなしの彼女に、そしてそれをかわいいと思ってしまう俺に、俺はため息をつく。
 思えば出会いの高校生時代から、佳乃にはアホゥの気があった。悪く言えば鈍感、よく言えば天然、そのくせ小悪魔的な要素を持ち合わせてくるのだから俺のハートは見事に撃ち抜かれた。惚気てしまった。そうじゃない、今はその話じゃない。
 彼女のアホゥさは天井知らず。ケータイ小説しか読まないせいか、本を貸せば左から読もうとする。食欲の秋だもんね、なんて言いながら亀田の柿の種を植木鉢に植えさえもする。一番驚いたのはつい最近、ご飯を炊くのを忘れてしまった彼女はこともあろうにオーガニックコットンを茶碗によそって晩餐のテーブルに出してきたのだ。
「バレないかなあって」
「バレるわ」
 こういう後先考えないところが彼女にはあり、今回の件でも運悪くそれが発動している。
 ケータイで調べてみたのだが、水中結婚式自体にはさほど費用はかからないらしい。だがそれは、二人だけの場合のみ。つまりスモールウエディングだ。
 彼女が要求するのは招待客全員が海に潜ることだった。みんなに祝福されたいという気持ちはもちろんわかる。だがその気持ちとリクエストを込みにしたときの重みは筆舌に尽くしがたい。そのわがままは流石に叶えられない。深海底の圧力の前に破産で俺が潰れる。
 ならば残るはジューンブライド。六月の花嫁だ。こちらはそう金のかかる話でもないが、金の足りない話なのだ。今の持ち金で式を挙げなければいけなくなる。一ヶ月以内に。そんなことは可能なのか。
「では、式は六月の三十日、ということでよろしいですね?」
 可能らしい。
 拍手喝采だ。
 なんとかして俺たちでも手の届きそうな小さな式場を見つけ、ブライダルプランも招待客もほどほどに抑え、俺たちを担当してくれるウエディングプランナーのお姉さんに無理を言い、ジューンブライドに漕ぎつけた。彼女が優秀なのか、はたまたそんなものなのか、それとも神のお導きか。
 人間為せば成る。高校時代の大恋愛を思い出した。
 俺はそれを忘れていたのだ。この結婚が、それをまた思い出させてくれたのだ。
「結婚万歳」
 シャバドゥビとスキャットすること数日。
 嬉しさに忙しさが追いついてきた。
 結婚式を挙げるのにはなかなか時間と労力がかかるらしい。仕事の片手間なのだからなおさらだ。



■/>>



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -