《萩生めぐみ》1/5


「今日一日最低な気分でした。密かに日本にしかけられてた地雷の数々がドンドドンと爆発していったり、カラフルな光の尾を引いた隕石が激突して地球がぱかっと真っ二つに割れちゃったり、温暖化が急激に進行してたった半日で海の嵩が増して世界の国々が遺跡かなにかみたいにコロッと沈んじゃったり、そんなあっけない終わりが来ればいいのにって、そんなふうに思って過ごした本当に空しい一日だったんです」
 やばい、頭のおかしい人がいるって、もうそう思うしかなかったね。
 海のようなエメラルドグリーンのライトに照らし出される彼女の顔は、喜びとか楽しさなんかがごそっと抜けた人間のそれだ。無表情とも言えないのは明らかな哀$Fが造形で言うところの影の役割を果たしているからなのかもしれない
 麗しき三月の夜。風の吹かない無音めいた静かな今日。
 俺は暇を持て余していた。
 ある一定の時期に入ると途端に暇になる最近だ、一日のスケジュールなんて限られてくる。ある人間は勉学に勤しみ、ある人間は怠惰に従事し、ある人間は勤労に身を捧げ、ある人間は娯楽に浸る。俺はどちらかといえば娯楽に浸るほうの人間だった。連日連夜遊び呆けていたのだ。小学校の同級生がもうすぐ結婚するというのでそのお祝いの品を友人と買いに行ったり、全米が泣いたと噂の映画を見に行ってあまりのつまらなさにてやんでい!≠ニ叫んだり、恋人が水族館に行こうと誘ってきたものだから近くの水族館へ下見に足を運んだりと、とにかくてんやわんやで揉みに揉まれていた。下見のほうは大成功を果たし、恋人と来たときの予定もバッチリ組み立てることができたわけだが、体力的に限界だった。これは実際の体力よりも、精神のほうにガタがきたのかもしれない。所謂、自分のための時間、を欲していたのだ。
 そうなれば今夜の予定は決まりだ。それはまるで映画のように頭の中でぽんと浮かび上がる。俺の取り柄は決断の早さだ。久々の自由気ままな休日を楽しめばいい。行きつけの店にでも足を運んで飲み明かすことに決定だぜ。
 鼻唄を響かせるとまではいかないにしろ俺はそれなりに軽い足取りでこの店に入ってきたと思う。カウンターに座ってなにを頼むか、予算はどれほどかと考えていたくらいだ。少なくとも気分は浮き立っていたはずだった。
 しかし今の気分は滞りなくメランコリー。不愉快と不快の不幸せな出会い。胃もたれを起こしそうな音状の吐瀉物が俺の脳みそや胸骨の奥を脅かしていく。それは侵略的な感覚だった。
 あらかじめ言っておくが俺にはなんの落ち度もない。酔っぱらって誰かに絡みにいったわけでも店側に無理難題を要求したわけでもない。客としての模範を守り、ごく一般の普通客としてアルコールを堪能していただけなのだ。それがなんの悪縁あってこんな意味のわからない目に遭わなければならないのか、それこそ意味がわからない。
 俺の今晩の平穏はとある一人の女の客により颯爽と奪われてしまった。
 酒でもジュースでもなんでも飲める、バーというにはカジュアルすぎるこの店に現れたその女は入店開口一番に最初のクソ重い台詞をぶっ放した。俺以外にカウンターに座る客はいなかったものの、カウンターの奥にいるバーテンのオッサンは眉を濁らせている。この店は出入りのドアがカウンターに近い。つまりあの一連の台詞はカウンター近くにいた俺とバーテンしか聞いていないことになる。そのどちらに言葉を吐いたのかは判断に苦しむが、少なくとも返答を求めている様子はない。それだけが救いで、しかしそれ以上に厄介だった。
 こういうタイプの人間は返答を求めているわけでも慰めをかけてもらいたいわけでもない、ただ可哀想な自分≠ノ浸りたいだけの独りよがりであることがほとんどだ。どちらかといえばかまってもらうことよりも何者も踏みこめない不幸自慢をしたということのほうに重きを置く、ネガティブポエマーのようなものなのだ。俺たちの返答を要求しないが満足するまで止まることもない。
 この調子だとまだまだ続くに違いないぞ。
 俺は自分のグラスの水滴を憎んでいたことも忘却して次に発せられるであろう痛々しい爆弾に備える体勢をとる。うっかり被爆して火傷をしては大変だ。なるべく息を殺し、もう何席か奥のほうに移れないかとさりげない所作で試みる。
「もうこれ以上生きていたくなくて、どんどん頭が真っ暗になっていって、あたしもう死んでしまおうと思うんです」
 はい、きました。いただきました。
 私もう死にたい。
 生で聞いたのは初めてです。一生の宝物にします。今日という日を記念日にします。きっと永遠に忘れません。
 俺は嫌悪感に睥睨して唇の裏を噛んだ。バーテンは一体どうすればいいのやらと店内に目を彷徨わせている。どうもするな。無視をしろ。満足すればすぐに帰る。今はとにかく耐えるんだ。きっと聞こえないであろう電話を脳内で送り、俺はふいっと顔を逸らす。目に飛びこんできたのは極彩色の絵画で、皮肉にもあの女に似ているような気がした。これ以上こんな気味の悪い気分にはなりたくなくて、俺はどことも言えぬ空間に視線を移す。
「もう生きていくのが辛くて、なにもかもが嫌で、でも死んでしまうには惜しい人生でした」
 ここで俺はおよっと目を見開く。死にたい死にたいと宣っていくものだと思っていたら、なかなか骨のあることを言い出してきた。しかしそれならなぜ最初にそれを言わないのか、いや、そもそもどうしてこんなところでそんなことをしているのかと、天の邪鬼というよりは身勝手な嫌悪感が、またにょきにょきと顔を見せはじめる。どう転がっても、俺は女にいい印象を抱けないらしい。己の奸悪を蔑みながらもどこか誇らしげに感じる自分がいた。
「だから、ちょっとくらい、最後くらいいいかなって、あたし思うんです」
 雲行きが怪しくなってきた。見直したと思ったらすぐにこれである。
 俺はグラスのアルコールを一気に飲み干す。甘い電気のような味が咥内に充満し、透明度の高い真四角の氷がカラランと涼しげな音を立てた。
 これ以上は付き合ってられなくて早く帰れ≠ニいう思いが早口言葉で駆け巡る。それはどうやらバーテンも同じのようで声をかけるか躊躇うように分厚い手が浮いたまま行き場をなくしていた。頑張れ頑張れと人任せに、俺は女の早々の退場を夢見る。キリンのように首を長くしていたかもしれない。視界が妙に俯瞰気味だったのは気のせいではないだろう。
 女は今まで通りの飄々とした声音で危なすぎる発言を発砲する。
「だから、今日まであたしを虐めてきた人たちに、うんと復讐してやろうと思うんです」
 俺の心臓は容易くぶち抜かれ、無様なくらいの風穴を開けられた。
 これは思った以上に危ないやつだ。
 もう嫌悪感を押し殺すことができなかった。ずっと不快に思っていたが今ほどじゃない。もうこんなやつ、つまみ出すかたたき出すかして消え失せてほしい。多分こいつの脳内は、俺たちとは相容れないほどの殺伐としたロマンが広がっていて、鬱蒼とした血みどろの夜空が渺茫できるに違いない。生理的に無理だ。怖気が止まらない。怖気よりも、寒気が止まらない。精神衛生上よくない種族だった。



■/>>



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -