ツァドキエルの目覚め(4/6)




「……今の爆発は?」
「小さなブレビーだと思ってくれればいい」
「ブレビー?」
「爆発を引き起こすことはそう難しいことじゃない。火薬がなくても簡易なグレネードくらいなら作れる。液体窒素の瓶に蓋をする、冷えた液体に高温の物質と接触させる。要するに気体の量を瞬間的に跳ね上げればそれだけで熱膨張してくれるお手軽な現象なんだ。大した威力がなくても容器であるガラスの破片は約秒速7キロの鋭さで飛翔する。それだけでもかなりの殺傷力だ」
「アルミ板を持ってこいって言ったのもこのためか」卑弥呼はすっかり熱くなったアルミ板を蹴るように倒す。「だろ?」
 銅を燃やせば炎は青くなる。けれど《不純白》はその炎の片鱗も見せなかった。何故なら、その刃自身が既に高温であるからだ。おまけにスチームで投擲の威力をあげているのである。刃の熱量は相当なものだっただろう。少しの時間を稼げば融合は造作もないことだったのだ。
 気絶したハンバートを見遣って、イヴはしみじみと口を開く。
「でも、まさかこんなに上手くいくとは思ってなかった」
「思ってなかったのにやったのかよ」
「ああ」
「お前だけは敵に回したくねえな」
「それは、ずっと俺の仲間でいたいってことか?」
「強引だな」
「そうかな」
 イヴは柔らかく苦笑して肩を竦めて見せた。凭れていた背を離して廊下に目を遣る。
「行くぞ」
 気絶したハンバートを跨いで二人は部屋を出る。
 見取り図の記憶を頼りにオズワルドの部屋を探す。目標は囚人の収監エリア。拷問部屋エリアと隣接するその区画はとにかく異臭がひどい。鞭打ちをされたまま手当もされない囚人たちが雑巾のように檻の中で捨てられている。窓もなく、鋼鉄のドアで完全に閉鎖された無機質な空間。久しぶりにその空気を味わった。窒息しそうな日々を思い出し、卑弥呼は肩を落とす。
「暫くぶりだな」
「初めてここに来たときとなんら変わりない。相変わらず辛気臭い場所だ」
「イヴの部屋はどのあたりだった? 俺はそこ」
「俺は階が違ったなあ」
 暢気な会話を交えながらドアの窓から部屋の中を覗く。オズワルドらしき人影は確認できなかった。監視員も出払っているため見つかる危険性はないが、いつ戻って来るかわからないスリルにイヴは瞳孔を痙攣させる。身にまとった緊張は脱げなかった。
「いなさそうだぜ?」
「やっぱり例の部屋か」
 ジャック・ルビーがオズワルドを囲っていたと思われる大部屋を目指す。
 普通囚人はベッドがようやっと入るような狭い部屋に収容されるのだが、その点ではオズワルドは破格の扱いを受けていた。キングサイズのベッドにトイレとシャワー完備。部屋一面が赤一色であることを除けばかなり快適な一室を用意されていた。勿論それを、オズワルドは喜びはしなかったけれど。
 目的の部屋に近づくにつれ、イヴの歩調は鈍くなる。このままその部屋に到達してよいものか考えあぐねていたのだ。オズワルドを救いたいという気持ちを失ったわけではない。ただ、再会したオズワルドがどんな姿でいるのか――目の当たりするのを厭がったのだ。
 歩き続けるとその場所に到達する。収監エリアの端の部屋。拷問エリアの一番近くだ。
 真っ黒い鋼鉄のドアは悪魔の扉のようだ。天井に等間隔に配置された不気味な色の電灯がその影をいっそう強くする。その部屋の扉まで残り数歩。そこではじめて、そのドアに文字が刻まれていることを知った。
「……ここか」卑弥呼は歯を擦り合わせる。「俺の勘じゃ、ここにあいつはいねえよ。他を当たろうぜ、イヴ」
 卑弥呼の呼びかけにイヴは答えなかった。ただじっと扉を見て立ちつくしている。そんなイヴに「おい」と声をかける卑弥呼。肩を揺すろうが、イヴはその場に立ちつくしたままだった。不審に思って卑弥呼はイヴの視線の先を見る。ただの無骨な鋼鉄のドアだった。けれどやっと、そこに文字が刻まれていることに気づく。その文字をなぞるように口を開いた。
「絶対に――」
「“絶対に希望はないぞ、”」
 しかしそれに被せるようにイヴは呟いた。なにもない閑散とした廊下に、イヴの声だけが響いていた。


「“絶対に希望はないぞ、希いの筋もゆるされぬ。学問と我慢がやっと許してもらえるだけで……刑罰だけが確実で”」


 卑弥呼は呆然とした。脳みそをどこかへと持っていかれたのだ。悍ましさによる静寂は訪れる。二人は数秒間なにも言えないでいた。
 数秒後、ほぼ無意識でイヴはドアレバーに手をかける。
「永遠」
 ぽつりとした呟きを卑弥呼の耳は捉えた。
「永遠という詩に出てくるセンテンスだ。明日はもうない、熱き血潮のやわ肌よ。そなたの熱は、それは義務。オズワルドの口から一度聞いたことがある。希望はないと。絶対にないと」
 まるでカタレプシー。骨の髄まで、その血の一滴まで完全に圧政されている。無邪気に見えて、彼女が楽観を捨てているのは、きっとこれが原因だ。
 希望という希望を根こそぎ奪われたのだ。
 健気に抱けばその瞬間に、赤毛の悪魔は雑草を摘むよりも容易く、光の筋を引き千切って見せたのだろう。悪魔に対する恐怖しか抱かせてもらえない二年間は、どれほど凄惨なものだったか。鞭での拷問に腎臓を壊され死んだ人間よりも、鉄条網に皮膚を剥がされ凍死した人間よりも、ずっとずっと哀れだった。
 イヴは扉を開ける。中は真っ暗だった。廊下の電灯による光が真っ暗な空間の床に真珠色のマーメイドドレスを広げる。部屋の奥には赤い布で覆われた大きな塊があった。卑弥呼は「ありゃなんだ」と呟く。
「十中八九、拷問具だろうな」
「部屋の中まで?」
「ジャックはオズワルドを怯えさせるのがよほど好きだったらしい。部屋の中に置いておくことで恐怖心を煽ったんじゃないか?」
「趣味悪ぃ」
「今更だな。かつてオズワルドがここにいた時代は、壁も床も天井もベッドも、なにもかもが真っ赤だったらしいぞ」
「調和もなにもねえな」
 卑弥呼は吐き捨てるように言った。
 イヴも吐き捨てたい思いでいっぱいだった。
 開けていた扉を閉ざす。重く震えるような音が鳴ったかと思うと小さく埃を舞い上げて、扉は壁と平坦になった。





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