真実の実(1/4)




 理解者だと思っていた人間に裏切られたときのことを、彼は今でも覚えていた。
 自分の周りを見知らぬ人間たちが囲んでいる。みんなどろりとした目をしていて、彼を批難しているようにも軽蔑しているようにも見えた。
 真っ赤な判を押されたパピルス紙を見せつけられるがそんなことをせずとも彼は自分がなにを犯したのかは、ずっと前から、欲望したときから知っていた。
 ただなにも言わずに立ちつくす。
 すぐさまに彼は拘束されて、そして抗うことも出来ないままブラックマリアに乗せられた。手首はきつく錠されて、伸びもしにくい有様だった。郊外を抜けてヘルヘイム収容所に向かうブラックマリアの中は、とても静かで薄暗い。自分のこれからのことなんて考えるだけ無駄で、ただ頓挫させられたような嫌な気分だけはどうしても拭えなかった。
 彼は尋ねた。俺の相棒はどうなっている、と。
 乗り合わせていたアンプロワイエが低く答える。お前の所在と引き換えに無罪放免となった、と。
 彼は目を丸くした。アンプロワイエの一人が事の顛末や行く末を淡々と続ける。これから彼はヘルヘイム収容所で百六十年の懲役に服する。彼の相棒は同じその百六十年を、囚人としてではなく国の犬として生きることを誓ったのだ。
 理解者だと思っていた。
 自分と同じ志を抱いているのだと思っていた。
 その目に浮かぶ感情を疑いもしないで、その深層心理にかまいもしないで、彼は仲間がいるのだと信じていた。けれど、今では、もう誰一人もいない。
 それは寒い。
 それは硬い。
 そしてなによりもそれは痛い。
 仲間はいなかった。同志さえいなかった。
 ただひとり彼が欲した知恵の果実は、ただ腐っていくだけだった。





 真夜中の十二時は、まだ酒場では飲んだくれが陽気に酔っぱらっているだろう時間帯だ。意識の朦朧とした者かすっかり眠りについた者しかいないはずのその時間帯をイヴもオズワルドも狙っていた。
 オズワルドの立てた、失楽園計画。
 そのために、新聞社に乗りこむことになったのだが、これがまず難しい。イヴの目から見ても、国民からの信用度の高い日刊エグラディオ新聞にオズワルドが注目したまではよかった。しかし、そのエグラディオ新聞社に乗りこむのは、きっとどこの新聞社に乗りこむよりも難しい。新聞社に乗りこむなんてどういう状況だと思いながら、イヴはリスクを懸念する。
 ほぼ国営化しているエグラディオ新聞社には、雇われの警備員と清掃員がいる。明日が休刊日なこともあり、大詰めのない記者たちも流石に残業はしていないようだが、警備員と清掃員は別だった。どうやってその目を掻い潜るかが悩みどころだ。彼らに見つかり、危うく通報されでもしたら、脱獄囚のイヴとオズワルドからしてみれば堪ったものではない。
 しかし、オズワルドはイヴの懸念をよそに、新聞社に忍びこむという所業を、簡単に成功させてしまう。
 まずは、居残りから帰宅する者に紛れて、堂々と新聞社の中に侵入する。そして、誰もいないのを確認して、オズワルドはイヴをつれて、女子トイレへと向かった。入り口にある清掃時間表をチェックしたあと、奥のほうの個室にイヴを押しこみ、個室のドアには“故障中”の貼り紙をし、自分も同じ個室へと入りバタンとドアを閉めた。
 その個室はドアの側面側に凹みがあり、空間としてはわりと広いので、二人で入っても窮屈には感じない。イヴとしては、男である自分が女子トイレに入ることに些か抵抗を覚えたのだが、侵入に成功したのだからなにはともあれだ。
「十二時半にトイレ清掃の最終チェックが行われるみたい」
「へえ」
「清掃員以外には貼り紙で通用しても、清掃員からしてみれば見知らぬ貼り紙があっちゃ不審に思われる」
「どうするんだ?」
「驚かしちゃう」
 オズワルドがにんまりと意地悪い顔をしたときは一体なんなんだとイヴは思ったが、それは定刻に差しかかったときにいきなり明かされた。
 最終チェックに来た清掃員は、個室を順繰りに回っていく。ゴミを捨てるだけの用だったらしく、二人のいる個室に行きつくのにそう時間はかからなかった。オズワルドの言ったとおり、見知らぬ貼り紙を不審がっていた。誰それに確認してみようか、修理会社に依頼しようか、はたまた自分で確認しようかと頭を抱えている。
 しかし、そのとき、今まで息を潜めていたオズワルドが急に声をあげる。それもただの声ではない。所謂、嬌声というものだった。
 年頃の少女が出すと思えない羞恥の声をあげる彼女に、イヴは真顔で当惑した。オズワルドはそんな彼に目配せをして、喘ぎながらドアへと顎で促す。どうやら清掃員に聞こえるように情事中のふりをしろと言っているらしい。いろいろ言いたいことはあったがそれを全部飲みこんでイヴもそれに乗っかった。
 かなり恥ずかしい言葉をべらべらと並べたイヴだったが、なにより恥ずかしがったのは清掃員のほうだろう。なんの言葉も発することなく大慌てでトイレを立ち去った。
 足音が完全に聞こえなくなったとき、オズワルドはぴたりと嬌声を収める。興醒めのような沈黙。個室のドアを開けて、オズワルドは周囲を確認した。清掃員が電気を消し忘れているため、まだトイレの中は明るいままだが、廊下は閉鎖的に薄暗い。イヴは窓の外も確認する。人の気配はなかった。と思ったら、数秒後、先ほどの清掃員らしき影が、ぶつぶつ文句を言いながら帰路に着く姿が見えた。
 二人は難を逃れたのだ。
 力強くウインクをしたオズワルドに、イヴは苦笑しながらも、小さな拍手を贈った。




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