真実の実(2/4)




 それからも、オズワルドの働きはなかなかのものだった。最終確認をするために回る警備員をやりすごすため、あえて個室のドアを開けて無人であることを見せつける。そのあいだ、二人は壁の凹みへと身を寄せることになるのだが、開いたドアは設計都合上、凹みに対する蓋のような役割を果たしてくれた。これでは警備員の目からも逃れられる。案の定、警備員の懐中電灯はトイレを彷徨ったあと、なんの不信感もなく立ち去っていった。
 それから暫くして、オズワルドは動き出す。あの警備員から逃れれば、あとは無人空間での仕事だった。その足取りは軽く、なんの反響音をも怯えぬ態度だった。
 オズワルドは壁に掛けられた館内図には一瞥もくれなかった。イヴは一目見て、現在地と目的地、それに順ずる道くらいは頭に入れたが、オズワルドはそうではない。だというのに、イヴは先を歩くオズワルドの足に、迷いはなかった。
「お前、やけにここに詳しいな」
「あたしって詳しいの?」
「あのトイレだって凹みがあるから選んだんだろうし、今だって足取りが小慣れてる」
「あたしのお父さんの会社だからかな」
「へえ、お前の父親はここに勤めてるのか」
 もしかしたら、何度か父親の仕事場を見にいったことがあるのかもしれない。やけにオズワルドがここの地理に詳しいのはこれが理由だろう。イヴは納得した。
 オズワルドはある部屋の前で足を止める。扉を開けようとするが、ガチャンと音を立ててノブが震えるだけで開かない。鍵がかかっているのだ。
 そりゃあそうだろうな、とイヴは肩を落とす。
 オズワルドは隣の観葉植物プランターの前でしゃがみこみ、それをズリズリと回転させる。プランターを少し傾け、水溜め場に沈んであるものを拾いあけだ。鮫皮のストラップがついた鍵だった。オズワルドはそれを鍵穴に差しこんで回す。心地好い金属音を立てて、容易に回転した。鍵穴から鍵を抜き取ってから、またノブに手をかける。今度は当然のように扉が開いた。
 新聞社らしい匂いが立ちこめている。大きな部屋だった。薄暗くてよく見えないが、デスクは整理されている。必要なものは揃っているし、ネタは彼の頭の中にある。準備万端の状態で、彼はいまここにいる。ようやく実感が湧いてきた。オズワルドは彼に向かって言った。
「時間はそんなにないよ。朝の四時までに印刷を完了させなきゃいけない」
「記事作りに時間をかけたくないな。植字やゲラ刷りに横着してたらキリがない」
 イヴも活版印刷に詳しいわけではないがある程度の知識はある。正規的な新聞を作るにはどう考えても四時間じゃ足りない。
「枚数を絞ろう。大事なのは部数だ。オズワルド、ここのデータベースも開けるか?」
「んま、イヴってばあたしのこともう下っ端扱いするのね」
「頼む」
「頼むの?」
「頼む」
「頼まれたらしょうがないね」
 オズワルドはぱたぱたと動きだす。イヴはその背中を見送った。さあて、と身を乗り出して口角を上げる。
 集団失楽園は、すぐそこだった。





 朝六時の空は予想通り快晴だった。一年を通して降水量の多いエグラドに、こんなにも穏やかに日が輝いているのは珍しいことだった。風はほぼ吹いていないが、時折肌を擦るそれは生温い。徹夜明けの眼には痛いくらい眩しい青と白に紛れて、風船の群れが流れている。コーヒーを飲みたくなるほど気分はよかった。
 イヴはオズワルドに専用のゴーグルを渡す。促されるままに彼女はそれを装着した。その瞬間に歓喜と驚嘆の声をあげる。それを見届けたあと、彼も同じくゴーグルを装着した。空と建物しかなかった視界に、一瞬でそれは飛びこんでくる。
 《The Three Muskteers》――エグラドの誇る、しかし表向きには一切知られていない、光学迷彩で可視化を防いでいる、無色透明の脅威と世界から恐れられる飛行戦艦だ。
 無人で動く全自動モードでエグラド上空をランダムに飛び、なにも知らない国民を警護しながら、他国の干渉を不可能にしている。スピードがないのが不便だが、それを超越する武器が積まれてあり、特殊なゴーグルを装着することでしか視覚認知できない。エグラドを守るには十二分の代物だった。
 その巨大な姿を見たとき、イヴも感嘆したものだ。そして、同時に、この国にあってはいけないものだと決断した。こんなものがあるから、いまの歪んだ状況が促進されるのだ。これは眠り姫に与える睡眠剤のようなものなのだ。
 だから、その睡眠剤を、彼は取り上げることにした。いつか彼らが、国民が目覚めたときに、現状に浸らないように。自立できるように。そして、絶えず寝かしつけてきた女王政府に楯突くために。
 彼は、《The Three Muskteers》のコントロール権を、誰もが知らぬ間に盗んだのだ。
 もうその戦艦は攻撃体制を解いていて、誰にも見えないことをいいことに、ただ飛ぶだけのハリボテと化している。いまの《The Three Muskteers》は彼の意のままに動くただの船だ。暢気に空を漕ぎだす、櫂のない空船。
「すごい」
「すごいか」
「すごいよ。まるでクジラみたい」
「空飛ぶクジラか」
「なんでこの中で寝泊まりしないの? 宿泊代だって浮くし、広くて快適そうだけど」
「装甲飛行船なだけあって宿泊できるだけの設備は整ってる」
「ほら」
「一応は」
「あら?」
「年代物だからな。ベッドにはキノコ、トイレにはカビ、シャワーにはナメクジがつまってて、冷蔵庫の中身は腐ってよくわからない生物が徘徊している。咬まれかけた」
「咬まれ?」
「操舵室以外は基本的に封鎖しておいた。あれを開放して一からきれいにするには、最低でも一ヶ月はかかるだろうな」
「咬まれ?」
 イヴは後ろに準備した積荷を確認した。それは数千部しかないほどの“号外新聞”だった。あまりたくさん刷ることはできなかったが、これでも十分と言える数だ。





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