赤毛の悪魔(4/4)




 イヴは数度瞬きをする。考えるまでもなく、まるでずっとそれを考えていたかのような態度で、滔々と言葉を吐いた。
「見知った人間だろうと自分の身が著しく損なわれる場合は誰だって手を差し伸べることを躊躇うだろう。仲間か仲間でないかが大事なんじゃない。それ以前の問題だ」高いところから飛び降りるような気持ちでイヴは静謐に言う。「俺はオズワルドに、馬鹿な勘違いではぐらかされてばかりなんだ」
 おかしな戯言を述べるだけで、彼女の口から“仲間”という単語を聞きだせることはそうなかった。それだけでイヴとオズワルドがどれだけいい加減な関係で寄り添っていたかがわかる。この瞬間に露見したというだけだ。
 結局は二人とも運命なんて信じちゃいなかった。
 今この場にオズワルドさえいてくれれば、あの天性の誑かしい言葉遣いで見事にイヴを絡めとり、呪いを解く王子にでも仕立てあげてみせたことだろう。でも囚われた姫君は他の誰でもないオズワルドだ。赤毛の悪魔に苛まれる、頭のわるい可哀想な娘。
「……じゃあイヴは、あいつを助けるつもりはないのか?」
「わからない」
「ここまできっぱりひでえこと言っておいて、よくもまあそんな言い訳ができるな」
「言い訳の使いかた、間違ってるんじゃないか?」
「うるせえ!」
 まるでオズワルドに言うみたいに叫ぶ卑弥呼にイヴは少しだけ驚いた。卑弥呼はコーヒーのように渋い顔色でゆっくりと口を開く。
「頭のいいお前でも納得できるように言ってやるよ。統計では、他人を助けるための動機で一番多いのは好意から、次点で憐憫からだ。地球の裏側にいる見知らぬ誰かよりも、大事なの肉親や親しい友人に、人は自然と手を差し伸べる。ずっと一緒だったんだろ? あいつに対する愛や憐れみは少しもねえのか?」
「お前の口から愛という単語が飛び出すとは思いもしなかったな」
「茶化すなよ。聖書じゃあ、他人を助けると他人も自分を助けてくれるらしいぜ。同じものが自分にも返ってくるって考えかただ。受けるよりも与えるほうが幸福である、とかなんとか傲慢的な文句もおんなじ聖書に書かれたりしてるのがアホらしいんだが、これもまた他人を助ける理由だろ」
「オズワルドは他人じゃない」
「そりゃそうだろうが」
 呆れたように卑弥呼はうなだれる。どうして自分が、この難解な男を説得しなければならないのか。卑弥呼がイヴの存在を面倒に思うのは初めてのことだった。
 一方のイヴも彼にしては事珍しい感情を卑弥呼に抱いていた。出会ったのは少し前のことなのに、卑弥呼のほうがオズワルドと“仲間”をしているように感じたのだ。
「……俺には、オズワルドと出会う前にも、仲間と呼べる存在がいた」
 卑弥呼のうなだれがやんだ。見上げるようにしてイヴの様子を伺う。
「そいつは俺と似たような境遇と思考を持っていて、オズワルドと同じように俺と共に過ごし、俺のテロリストが企むかのような悪質な計画に一役も二役も買ってくれた。だが、そいつは俺を裏切って、いまヘルヘイム収容所でアンプロワイエをしている。その日から、俺は仲間や同志という存在を人生分だけ諦めた。オズワルドと仲間になったのは運命だと言われたからだ」
 けれど、実際、心には運命などなかった。
 イヴはほんの少しだけ姿勢を崩す。知性を湛えた青い瞳が一度だけ瞬いた。
「知ってるか――虐待をされた子供は大人になると自分の子供に虐待をしてしまう傾向があるらしい」
 どういう意味でそれを言っているのかと卑弥呼が食いしばるように目を見開いたとき、イヴは「ん?」と怪訝そうに眉を顰めた。
「……卑弥呼。それはなんだ」
 イヴは顔を険しくする卑弥呼の肩を指差した。グローブなんかが挟みこまれるコートのエポレットに、小さなメモが入れてあったのだ。コートの色と似た紙で、パッと見ではコートと区別がつかない。
 卑弥呼にも心当たりがないらしく、驚いた表情でそれを肩から取った。おもむろにメモを開く。中身を見た途端「なんだこれ」と眉間に皺を寄せた。
「落書きみてえな絵が描かれてある。なんでこんなもんが俺のコートに?」
「貸してみろ」
 卑弥呼はイヴにメモを渡す。そのメモに描かれた不可思議な形態群を見て、イヴは思わず口を開いた。
「ヒエログリフ」
「は?」
「神聖文字だ」
 イヴの言葉に卑弥呼は目を瞬かせる。殊更驚いた声音で「文字なのか? それが」と漏らした。
「石碑なんかに彫られていた古代の文字で基本的には象形文字で構成されている。文献は特定の大学でしか公開されていないからこれを知る人間は極めて稀だ」
「なんでそんなもんがここに……」
「いや、それよりも」
 イヴにとってはそこに書いてある文字の内容が大事だった。一つ一つを目で追っていく。それを見て卑弥呼は「なんて書いてあるんだ」と呟いた。全て読了したあとイヴは「まだわからない」と返す。
「読めるのか?」
「まあな。だが全文を読んでみたがまるでデタラメだった。文章として成立していない」
「適当に書いたってことかよ」
「いや」イヴは備えつけられていたペンを取り、そこに荒っぽく字を綴っていく。「これを更にアナグラムする」
「アナグラム?」
 卑弥呼が呆気に取られた顔をする脇で、イヴは作業を進めていく。
「そしてそれをグルマノ語に直す。特定の子音を母音に変えて、その綴りを更にアナグラムすると――」
 できあがった文章にイヴは目を見開いた。
 卑弥呼はイヴの手元を覗きこみ、そのエグラド語のセンテンスを容易く口遊む。
「《The Three Muskteers》」
 それはイヴの盗んだ戦艦の名前だった。
 慎重に手探りするように、イヴは卑弥呼に問いかける。
「……ここに来たアンプロワイエは、ジャック一人だけだったか?」
「あ? いや……もう一人いたぞ。なんもしねえで突っ立ってるだけだったけどな……っておいイヴ!」
 イヴはピストル弾のようにその部屋を出る。卑弥呼も狼狽えながらその後を追った。
 今頃あの装甲飛行船はイヴと卑弥呼のいるこの街この地点のちょうど上空を飛んでいる。飛行しているであろう地点の木々は奇妙に揺れていた。合言葉を言って飛行船に乗りこむ。空気はほんのりと篭っていて埃っぽかった。イヴは中へと踏みこんで操舵室を探る。受信点灯ランプが点滅していた。なにかメッセージを受信したらしい。それも今日さっきのことだ。広大な画面に膨大な情報が青白く映し出される。イヴは茫然と立ちつくしたままそれを眺めていた。息切れした卑弥呼がイヴの背に声をかける。
「一体どうしたんだよ、イヴ……」
 イヴはすぐには返事しなかった。数秒後、妙に間延びした口調で、力なく言葉を吐き出していく。
「《The Three Muskteers》にメッセージを送りつけた人間がいる」
「は……メッセージ?」
「メッセージを送るにはパスワードを入力する必要がある。そのパスワードは俺が書き換えたものだ。そしてさっきのメモ。あのヒエログリフから始まる暗号は俺が考えたものだ。俺がまだ収容所に入れられる前に、秘密を掴む計画が外部に漏れないようテキストや伝言を暗号化することにしたんだ。パスワードと暗号法則。この二つを知る者は、世界に俺と一人しかいない」
 イヴは光を受けた青白い唇を動かす。神の啓示を受けた聖人のような顔で。
「かつての俺の仲間だった、“アダム”だ」




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