赤毛の悪魔(3/4)




 イヴはふと立ち上がって玄関付近へと近づく。卑弥呼は不思議そうにその行動を見つめていた。
「どうした」
「ここに入ってくるときに見慣れないものを見つけた」
 自分が跨いだ紙片を取りあげて卑弥呼のほうへと持ち寄る。バースデーカードサイズの紙にはストロークの剛毅な黒い文字で少量の文が綴られていた。
「“亜終点”は破棄――」
「この茨のマークは?」
 卑弥呼は紙切れの下のほうにある紋章のようなマークを指差した。
「おそらく哀王だ。運び屋でも使って、ドアのポストからメッセージを突っこんだんだろう」
「破棄ってのは、オールドビルかアンプロワイエにでも見つかったってことか?」
「十中八九そうだろうな。手紙を送るくらいだから哀王もジャンヌも無事なはずだ。今頃、隠匿の撤退ルートで逃げおおせたりしてるんじゃないか?」
 とはいえ、“亜終点”は確かに破棄された。あの空間は最早国の手に渡ってしまっている。そしてイヴと卑弥呼の居座るこのホテルもあのジャック・ルビーに調べあげられた。たとえ赤毛の悪魔が二人に興味がなかろうと他のアンプロワイエたちは別だ。気まぐれにぽつんと呟いたここの住所がきっかけで、いつ二人が捕まるのか、わかったものじゃない。
「ここも危険か……すぐにでも別の場所へ移動したほうがいい。荷物をまとめよう」
「オズワルドはどうやって助け出す?」
 卑弥呼のその言葉にイヴは目を見開かせた。青い目が彼らしくないほど真ん丸になる。その表情を見て卑弥呼は気まずそうに「なんだよ」とぼやいた。
「お前は、オズワルドを助けるのか?」
「なんだよ。しょうがないだろ。俺だって嫌だけどな。けどこうなちまったんだからどうしようもないだろ」
 ぶっきらぼうにそう言う卑弥呼をイヴはじっと見つめていた。卑弥呼はイヴの本心に初心なほど気づかない。
 イヴは立ちつくす。妙な表情で黙っていた。
 オズワルドを助ける――それは今現在のイヴにとって、あまり前向きではないことだった。
 オズワルドは仲間だ。だがしかし、彼の脳はこうも慎重に麻痺している。
 アンプロワイエに連れ去られた少女を助ける自分を思い描けずにいる。仲間という繋がりがあるというのにイヴはオズワルドにおいての薄情を隠せないでいたのだ。
 二人が出会ったのは数か月前だ。偶然と運命から仲間になった。一緒に生きていこうと囁いた。けれど、そう――二人が出会ったのは数か月前なのだ。
 自己犠牲を尊ぶには、あまりに現実的でない繋がり。
「……いままでは、ここまで直接的な危機感を抱いたことはなかった」
 イヴはぼんやりと、しかしクリアなトーンで呟く。
「首を吊れと脅されたときも、あいつを逃がそうと俺にはなんの被害もなかった。気に入った男の勇猛を理解できず、俺はそいつと共に行くことを諦めた。不幸な少女を母国に帰そうとしたときだって、直接的な危険がなにもないから事に及んだ。そのあと連れ去られた二人を見つけ出したのも自分が許せなかったから。二人分の罪悪感を背負うのは真っ平だったんだ。またあいつが連れ去られたときだって、相手は高々一般人で大した脅威ではなかったおかげだ。リスクは面白味を生むギミックにしかならない程度。直接的な危機感を抱いたことは、なかった」
 卑弥呼は眉を曇らせる。怪訝そうに歪んだそれは、イヴに小さな疎外感を生んだ。
「だが今回はそうじゃない」イヴは残酷なほど強く言った。「オズワルドを助けようものなら俺はいくつもの脅威に身を晒すことになる。俺だけじゃない、お前もだ。収容所のどこにいるかも、助け出せるかもわからない状況で、がむしゃらを気取るのはハイリスクだ。いや、そうじゃない。そういう話じゃなくて……価値や意味を感じない。感情が揺さぶられない。大した感慨を抱けない。億劫なんだ。どういうことだろう」
「……イヴ?」
 イヴは卑弥呼の目を見ていった。屈辱的な気分だった。

「俺は、オズワルドを救うことを、躊躇っている」

 卑弥呼は呆然としていた。それはイヴも同じだった。数秒後時が取り戻したように進みだし、卑弥呼は動揺を隠せない口元でゆっくりと呟く。
「それは、本気で言ってんのか?」
「ああ」
「本心からの言葉か?」
「そのようらしい」
 イヴの返事に卑弥呼は首をかぶり振る。
「仲間なんだろ?」
「ああ」
「なら助けろよ」
「危険性が高い」
「しょうがねえだろ」
「なにがしょうがないんだ?」ぎくっとする卑弥呼に続けるように言う。「お前がしょうがないと顔を顰めるほど、これはどうしようもない件なのか……?」
 イヴは自分の顔の片方を覆い隠すように手を当てる。薄情な物言いに卑弥呼は狼狽えた。
「オズワルドが憎いわけではない。捕まったのが自業自得だとも、そのまま囚われていればいいとも思っていない」
「そりゃあそうだろ」
「けれど、どういうわけかな、卑弥呼。俺は確信している。今のオズワルドが、俺を待っているとは思えない」
「……………」
「どれだけ苦しい思いをしようと、きっとオズワルドは俺の名前すら呼ばない。思い出すことさえないのかもしれない。俺の助けを待つことなんてないんだ。俺だけは知っている。何故なら、俺がいま“そう”だからだ。あれを助けに行くことを嫌がっているからだ」
 冷静に語るイヴのことを、卑弥呼はただ見つめていた。
「たしかに俺たちは一緒にいた。だがもしかしたら、仲間では、なかったのかもしれない」
「……破綻してるぞ。色々」
 イヴは顔を濁らせた。今まで卑弥呼が見たなかで一番困り果てたどうしようもないイヴだった。
「言ったろう。別に憎いわけではない。一緒に行動した仲だ。できることならオズワルドは救われてほしい。だが、救われてほしい、それだけだ。それを俺がやるのはあまりにも無謀で気を削がれる。何故だ。俺はこんなに薄情な男だったのか」
「自分のことだろ。自分に聞け」
「自問自答はしない主義なんだ」
 答えが導き出せないから?
 君に聞いたほうが早いから。
 そんな会話をオズワルドとしたことを、イヴはほのかに思い出した。真っ黒なのに誰よりも綺麗な目がまっすぐと自分を見つめている様子がひどく懐かしく感じられる。もう彼女のことを思い出として処理しようとしているのだろうか。イヴは疑問に硬直するしかなかった。
「俺たちは本当に仲間だったか? 誓いを立てたわけでもないのに、それを証明するものはなにもないのに。俺はどういう感情を持ってあいつを助けなければならないんだ」
 卑弥呼は嫌悪するように眉を顰めた。しかしその目はどこか苦しそうだ。なくなった右腕を揺らしながら卑弥呼は告げる。
「仲間か仲間じゃねえかがそんなに大事なかよ? 見知った人間を助けることのなにがいけねえんだ」
 そんなことを当たり前のように言う卑弥呼はとんだお人よしなのだろう。思えばこの不器用な彼は誰よりも“しょうがない”男だった。





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