赤毛の悪魔(1/4)




 哀王の睨んだ通り、空白の場所である“亜終点”にアンプロワイエの調査のメスが入った。逃げたい者は逃げ、血の気の多い猛者は祭り事のように爆竹の火花を散らし陽動し、各々大した被害もなく哀王株式会社はクリーンに倒産した。“亜終点”は完全に破棄。数ヶ月の栄華は水泡に帰したわけだが、その統率者までがこの世から存在を消したわけではない。秘密裏に確保していたルートで哀王とジャンヌは隠密に逃げおおせていた。
 地下にある亜終点から更に地下へと潜る。日頃から掘り進めていた古生代の地盤は果てしない直線路だ。熱水泉もないこのあたりはとにかく温度湿度が肌馴染みによく、思ったよりも順調なスピードで“亜終点”から離れることができた。
 未だ続く暗い道を歩きながら、ジャンヌはぽつりと呟きを落とす。
「あっちは大丈夫ですかねえ」
「ダメだろう、早く新しい隠れ城を探すしかないな」
「“亜終点”じゃなくてあの知りたがりくんとお嬢ちゃんのこと」ジャンヌは前を歩く哀王に呆れた声で言った。「今やどこもかしこもアンプロワイエだらけなんじゃないんですか? “亜終点”もアンプロワイエに征服されたし、こっちに来でもしたら大変だ。俺らみたいにルートを確保しているわけでもないんだから苦労するだろうな」
「問題ない。運び屋を遣わせた。“亜終点”を破棄したことはイヴにも伝わっているはずだ」
「だとしても、俺の見立てではあの二人、いやいまは三人か……あの三人がやってける確率は四割を切ってる。心配なわけじゃないが、旦那はあの知りたがりくんを気に入ってたんじゃないんですか?」
 哀王は視線を遣らずに、けれど意識を後ろの男に向けた。
 この男は哀王が知るなかでも、かなり“使い勝手のいい”人間だった。
 イヴも哀王もジャンヌも、一般的に見て秀でた頭脳の持ち主である。けれどその性質は二者二様で、突出したアビリティは異なった。
 イヴの優秀さは所謂“データベース”だ。辞書や教科書の類に似ていて、知識の海を抱えこみそれを咀嚼して吐き出していくタイプ。知と知による結果の知から来る賢さであり、思考は人文科学に寄っている節がある。一方のジャンヌは自然科学に寄っており、またアルゴリズムに強い。広い知識の海には縁がないが、イヴとは違い特定の知識を形作る腕を持っている。一番効率の良いアウトプットだ。既存のものだけが真実であるとするその考えかたは哲学の荒唐無稽さや混沌から秩序を形成する感性を見限りがちになる。主観的判断と客観的合理。イヴとジャンヌに性質の差はあるが、どちらもよく育った能力だった。
「どういう計算をしたかは知らないが、イヴなら上手くやるだろう。卑弥呼もいることだし、そう困りはしないはずだ」
 また、哀王は、イヴとジャンヌの中間位置にある思考を持つ。知識も技術もある。ただあの二人ほどは突出力に欠けていたが、その分を閃きで補っていた。閃きは卑弥呼の勘とにて非なるものだが、非ながら似るものである。そういうことから哀王と卑弥呼は馬があったし、卑弥呼の勘に哀王も一目置いていた。
「懸念すべくはお嬢ちゃんかねえ。旦那、あの子は、あの《ジャック・ルビー》とやらのお気に入りらしいですよ」
「……回線から傍受したのか?」
「暇つぶしに《セベク》ってアンプロワイエを張ってましてね、そしたら色めき立ったキチガイがそう吹きこんでたんですよ」
「妙な無駄遣いはするな」
「はいはい。それで旦那はジャック・ルビーってやつを知ってます?」
 まあな、と哀王は呟いた。情報として、真っ赤な青年のアンプロワイエのことを知っていたのだ。
「高等尋問官のエースで精鋭、戸籍があやふやなところから見るにおそらく孤児の出だ。《神紅》と呼ばれるラム・アルムを所持する。それだけだ。少し前に調べた程度だからな」
「会ったことは?」
「お前はあるのか?」
「一度だけ」ジャンヌはそっけなく口角を吊り上げた。「俺の担当だった《ピエール》のご縁で。ありゃ人間のような悪魔だ」
 悪魔のような人間、とは言わなかった。その灰汁の強さは人間の枠にはおさめがたいのかもしれない。
「あんなのに目をつけられるなんてお嬢ちゃんも運が悪い。あの男はサディスティックな快楽主義者。自分の担当する囚人をコレクションぐらいにしか思ってない。自分好みの顔が恐怖で歪むのが気持ちよくてしょうがないんだ。俺はあの赤毛の悪魔の担当じゃなくてよかったですよ」
 そこで初めて哀王は振り返る。手に持ったカンテラの光が若い男に影を落とした。イノセントな顔立ちが浮かびあがる。哀王は問いかけるわけでもなくその言葉を落とした。
「お前も拷問をされたのか」
「旦那はされなかったんですか?」
 明確な返答は返さなかった。ジャンヌはくつくつと喉を鳴らすように笑っている。哀王は向き直って歩き出した。ジャンヌもそれについていく。
「自白を求める場合じゃないと拷問官はお呼ばれに適わないからな」
「そういえばあれ知ってます? 女アンプロワイエ。飯を配当しにくるアンプロワイエの一人がすごい美人だってんで噂になってたでしょう?」
「配当するやつの顔など見たことがない」
「もったいねえ。一部じゃカルトな人気があったんですよ」
「アンプロワイエだぞ」
「その通りで」ジャンヌは肩を竦めて答えた。「でもあのなかじゃそういう噂が暇つぶしや希望の類になったんじゃないですか。死ぬために“ダストシュート”に乗りこんだ俺の言うような言葉じゃないが」
 哀王はヘルヘイム収容所にいた時間を思い出していた。もうその記憶も随分薄れているが、ただただ退屈で窮屈だったことだけは覚えている。屈辱と不満に満ちた毎日はそれだけでうんざりだった。それこそ、ジャンヌの言うように、くだらないことが希望に代わるくらいには。
「希望はいいものだよ、多分最高のものだ。いいものは決して滅びない。昔に見た映画の台詞です。隣の部屋のやつはずっと言ってたなあ。明日こそあの女アンプロワイエを見れたらとかなんとか。旦那はあそこでなにしてました?」
「牢屋がオートマティカリー・ロッカブル・ドアだったからな、開錠方法を思いつく限り試していた」
「こりゃあ前向きだ」
「当たり前だ。俺はあんなところに収容されるべきでない人間なんだ。抜け出そうとしてなにが悪い」
「なーんにも」
 ジャンヌは声を上げずに笑った。哀王は確認するように土と岩の壁をノックする。
「行くぞ。このままだとアガルタの民になってしまう」
「なんですかそれ」
「お前とはこういう会話はできないな」
「なんですかそれ」
 哀王は口角を吊り上げて、また一歩と進んでいった。
「そういえばな。お前はさっき懸念すべくはあの娘だと言ったが、それは違うかもしれない。俺も昔はお前と同じことを思ってたんだ。だが、どうやらあの二人のことは、時間が経ってみないとわからないらしい。案外、厄介なのは二人ともなのかもしれないぞ」






 イヴの眠りは浅かった。やんわりと目を開けてから覚醒したように起き上がる。目の前に座っていたジャック・ルビーの姿はない。時計を見る。眠らされてから一時間半後といったところだ。ほっと吐息する。直前で催眠薬を盛られていることに気づいたから夜を明かさずに起きれた。痛いところはない。五体満足だ。暴行を加えられてはいないようだった。ひとまずは安心だ。
 こぼした紅茶はきれいに拭われている。目の前には完食されたスパゲッティの皿があった。眠らされたときはまだ半分以上残っていたはずだから、イヴが寝てからも暢気に食べ続けたということになる。ふざけた男だった。テーブルには、およその金銭も置いてあった。料金はあっち持ちのようだ。
 イヴはすぐさま椅子を立ち、カフェから走り去った。




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