鉱山の兄弟(2/5)




「……ここは焼いた黒魔の会の元本拠地です」
「元?」
「いまは倉庫です。見ての通り」
「あたしってなんでここにいるの?」
「それはこっちが聞きたい。なんで貴女はここにいるんですか?」
「なんでだろうね、卑弥呼に聞けばわかるかもしれないよ」オズワルドは首を傾げて見せた。「貴方って卑弥呼の弟くんでしょ?」
 彼は返事をしなかった。表情を変えることも瞳を揺らすことも、なにもしなかった。その面持ちはオズワルドの感じた通りどこか卑弥呼に似ている。あの仏頂面から眉間の皺を抜いて目尻を緩やかにすればちょうどこんな感じになるのではといった具合に。
「兄弟なのに裏切ったって、本当?」
 今度は別のほうへと首を傾げる。縛られているせいか椅子が少し軋んだ。
「ねえ、なんで? それってなんで?」
「面倒なひとですね。そんなに知りたいんですか」
「そんなにってどんなに?」
「なにを言ってるんですか?」
「なにって、どんなにって」
 この不可解な娘をどう割り切ろうか考えたが、結局彼は今までの応酬を無視することにした。
「……貴女はあのひとのこと、知ってるんですよね」
「あのひとってどのひと?」
「いつもここに皺を寄せてるおっかない男のひとですよ」
「ああ、知ってるわ」
 彼が“ここに”のところで眉間を指で軽くなぞると、オズワルドはすぐに理解して口角を上げた。彼はゆっくりと手を下ろす。
「懐かしいな」
「懐かしいの?」
「よく殴られたことを、思い出した」
「んま、酷いのね」
「貴女はまだ殴られてないんですね。一応は女の子だから」
「あたし、もうレディだわ」
「貴女がレディですか?」
「そうよ」
「よかったですね」
「ありがとう」
 そろそろ煩わしく感じてきたのだろう。元からぶっきらぼうでおざなりだった彼の返事がさらに適当になっていた。彼としても今回の件にそう深く関わりもなさそうな少女を、いつまでも軟禁するつもりはなかったのだ。頃合いを見て縄をほどいてやるつもりだったし、命の危険が迫れば解放するよう命じる手筈だった。
 一応はなし崩しにここにいるが、彼がこの場にいる理由は信者たちとは違うものである。彼ができることは、こうやって適当に受け流すことに限りなかった。
 オズワルドは目の前の彼をそう悪い人間でもないのだろうと感じていた。彼はよくも悪くも淡白で、そして驚くほどに無関心だ。オズワルドに対してではない。そんな一抹のものではない。もっと抽象的だが重大な、曖昧なものに対して無関心を貫いていた。そしてきっとそのことを、信者である人間は誰も知らない。
「卑弥呼のことさ」
「兄ですか」
「そう。兄ね。兄のこと好き?」
 数瞬彼は目を瞬かせた。緩慢な動きで口を開く。
「兄弟としては好きです」
「人間としては?」
「大嫌いです」
「どういうところが嫌い?」
「話しかけないでください、気が散る」
「綺麗だね」
「花じゃないです」
「どういうところが嫌い?」
「話しかけてくるところですかね」
「あたしのことじゃなくてね」
「自分のことだってよくわかりましたね」
「あたしのことじゃなくてね」
「どうあっても話をそらさない気ですか」
「もしかして、別に嫌いじゃなかったりして」
 彼は黙りこんだ。すぐに口を開くかと思っていたらそうでもない。この彼がここまで顕著に沈黙を選んだのは初めてのことであり意外なことだった。
 オズワルドは純粋な目で彼を見つめる。彼はもうオズワルドを見ていなかった。明後日のほうへと顔を向けて、それから数秒後に口を開く。
「兄のことをよろしくお願いします。ああ見えて、とても純粋なひとだから」





 卑弥呼の捜索のため何人かが倉庫から出払っている。帰りが遅いと言って様子を見に行こうとした信者の何人かも倉庫の外へと出ていた。けれど彼らは一向に帰ってこず、どういうわけか倉庫内の人数ばかりが減っていく。それは夕暮れの、黄昏時のことだった。
 不審に思った一人の信者が倉庫の外へと出る。深い青紫の空に彩度の強い夕陽の雲が燃えるように広がっている。あちらこちらの建物が影深い黒のシルエットで統一された。あたりは静かなものだった。信者は見回す。特に異常はない。しかし誰かが帰ってくる気配もない。足音は一つとして聞こえなかった。もう少しあたりを見てみようかと倉庫から少し離れたところ、アルミニウムコンテナ群の前に人間の塊を見つけた。それは全員が全員黒いカソックを着ている。信者は弾かれたようにそこへ向かう。間近で見てみるがやはりそうだ。出かけたはずの信者が全員、ここで倒れている。疑問と恐怖が一気に襲ってくる。しかしそれは一瞬で訪れた。
 首に衝撃。へし折れるのではないかという勢いで圧迫する。それは固く冷たい金属だった。けれど凶器の類ではない。ただの無骨な右腕の義手だ。
 信者の首を背後から抱きしめる形で圧迫する。固定するのが目的だろうが自然呼吸は荒くなった。そこで疎かになっていた視界の下のほうからにゅっと人影が伸びてくる。ブルネットとハンカチを持った手が見えたころには口元に違和感。息を吸いこんでしまえば、信者は容易く眠りに落ちた。
「八人目」
 腕を離した卑弥呼が眠りこんだ人間の山についさっき眠らせた信者を放りこむ。イヴは持っていたハンカチをなるべく自分たちから遠ざけるようにして持ちかえた。自分たちの作った信者の山を見つめる。
「かなり人数を削ったな」
「中の様子を見たときには二十人近くいたから、半分くらいにはなったんじゃねえか?」
「それでもまだこっちが不利だ。相当上手くやらないと危険すぎる」
 卑弥呼はハンカチに催眠ガスを小刻みに吹きかけるイヴを見た。それから呆れたように腰に手を当てる。
「よくそんなエグイもの持ってたよな、お前」
「そうだな」
「その催眠ガス、倉庫の中にぶちこんだほうが仕事は楽だったんじゃねえか?」
「無理だな。このガスで全員を眠らせるには倉庫内が広すぎる。こっちのほうが確実だ。信者たちには悪いがな」
 眠らせるのならどっちにしろ同じだろうに、そういう訝しげな顔を卑弥呼はした。それに対して苦笑混じりにイヴは淡々と答える。
「体内に入った瞬間眠ってしまうレベルの催眠の類は抗剤を飲まなければ体に障害を来たしたり最悪死に至らしめる場合があるんだ。この催眠ガスはそれのギリギリと言ったところか。実際には眠るというよりも意識を最高度にまで朦朧とさせ入眠に近づけさせるといった具合だが、にしてもこれは効果が強すぎる。後遺症になるかもしれないし、もしかしたら永遠に目を覚まさないかもしれない」
「さりげなくすげえこと言ったぞ、そんなことしていいのかよ」
「大丈夫だ。おそらくこのガスで後遺症になることも死に至ることもない」
「何故そんなことが言える?」
「オズワルドが立証済みだ。あれは一度催眠ガスで眠ったことがある。特に異常はなかった」
「頭は?」
「元からだ」
 卑弥呼は呆れたようなそんな面持ちで溜息をつく。肩を竦めるような大仰なそれだった。そして少しだけ首を傾げて吐息まじりに呟く。
「イヴって結構残酷だよな」
 イヴは困ったように首を傾げて、それから一度だけゆっくりと振った。





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -