鉱山の兄弟(1/5)




 その鉱山には兄弟がいた。意地っ張りだがお人よしの兄と、しっかり者で心優しい弟。いつ死ぬかわからない鉱山の炭坑で、彼らはお互いだけを信じて生きてきた。ろくな食事もできず、毛布一枚で寒い冬をすごさなければならないときは決まって二人で寄り添って乗り切り、困ったときは助け合いながら生きる、実に絆の強い兄弟だった。
 兄には稀に見るような特技があり、それは子供特有のちゃちな占いだった。毎朝毎朝穴の開いた靴を放り投げ、今日は嫌なことがあるから前向きにいよう、今日は小銭を拾うから注意していよう、そんなふうに一日を占い、小さな楽しみを噛み締めて生きていた。
 その日の占いは過去最低だった。今日だけは絶対に炭坑に入るなと、そういう占いだった。丁度兄は別な仕事で炭坑部隊から外されたのだが、弟は炭坑部隊の、それも先頭を任されてしまった。兄は“しょうがないから”と言って弟の代わりに炭坑の先頭を引き受け、弟は兄の後ろに着いて炭坑へ潜ることとなった。しょうがないことなんてなにひとつないのに、お人よしの兄は弟を守るため、自らが危険な先頭になることを決めたのだ。
 兄の持つ鳥籠のカナリアが急に静かになった。反響していたトパーズ色の囀りが不気味なぐらいにぴたりとやむ。炭坑にいる全員に緊張が走った。毒ガスが漏れている証拠だ。ここで引き返さなければ命が危ない。坑夫たちは引き返そうとする。けれど少し遅かった。炭坑の奥で爆発音が響く。地震のように揺れ、岩場が崩れる。誰かのカンテラが手からすり抜けるようにして地面に落ちた。死にかけたダイヤモンドのような鈍い煌めきを持ちながら砕ける。嫌な予感がした。兄は鳥籠を持っていないほうの腕で弟を庇うように抱き寄せる。それは一瞬の出来事だった。充満したガスに火が引火し、雷のような迅さで爆発した。
 死者多数。運よく兄弟は一命を取りとめたが、弟を庇った兄の腕は潰れるようにもげ飛んだ。兄が庇ってくれたおかげで弟は掠り傷ですんだがちっとも嬉しくなかった。弟は泣きながら兄に謝る。しかし兄は“しょうがないだろ”と言うだけだった。気にするな、しょうがないだろ。その言葉だけで、兄は全てをすませようとする。なにがしょうがないだろう。本来なら兄は爆発に巻きこまれることすらなかっただろうに。本当は痛くて、痛くて、しょうがないはずなのに。
 それは感謝で、それは不満で、それは疑問で、それは懺悔で。意地っ張りで強がりでお人よし――だから弟は、そんな兄のことを、





 オズワルドが連れてこられたのは人通りの少ない倉庫だった。運河を超えたところにある石像倉庫群のうちの一つで、倉庫のなかでは一番大きく立派な佇まいをしていた。車から降ろされ、椅子に胴体と足首を縛られ、倉庫の中の角に置かれたとき、そこでようやく初めて今まで抱えていた大きな疑惑が晴れたのだ。
「こいつは我らが神ではない!」
 おそらく信者のなかでも身分の高い、準司祭と呼ばれる人間のうちの一人だろう。痩せこけた顔に白髪混じりの栗毛を持つ齢を経た女の声だった。信者たちはざわめきながら口々に好き勝手なことを言い、準司祭たちは呆れて声を低くする。
「あの建物の中にいたのはこの娘だけだったのか?」
「は、はい、確かそのはずで……」
「そのはずで!? もっとよく探せ! 我らが神はこのような頭のわるそうな小娘ではない!」
 いよいよ怒声も混じってきたなか、捕まえたオズワルドの処遇をどうするかの会話も混ざってきた。関係もないならこのまま解放すればいい、いや、我らが神となにか関係があるのかもしれない、そんな姦しい言葉が雑音のように倉庫内に反響するなかで、ようやっとオズワルドは、退屈そうに口を開く。
「ねえ、お腹すいた」
 その言葉に会話がぴたりと止まる。誰もが訝しげな目でオズワルドを見つめていた。
「車に乗せたときからそう言って聞かないんです」
「腹が減った、梨を食わせろと」
「気が散る。布で口を塞いでおけ」
「どうせならパンとか食べれるもので塞いでほしいな」
 オズワルドの言葉も無視して信者の一人がオズワルドの背後に回りこみ、口を塞ごうとする。
 しかしそのとき「待て」という声が聞こえた。
 今まで騒いでいた信者たちの声とは少し違うように感じられる。どこが、とは言えないが、響きがやけに静謐だった。唇の動きがそれほど大きくないからなのかもしれない。けれど聞き漏らさないのはその声が妙に張っているからなのだろう。
 オズワルドを囲んでいた群衆の隙間から一人の男が出てくる。
 まだ若い、イヴと同世代くらいの男だった。
 見た目も他の信者たちとは違う。黒いカソックも赤銅色のエンブレムもない。白いシャツにボウタイ、豚革のベストを着ており、ロングブーツは金具の多いもので歩くたびに音がした。深い色の髪と同じ色のコートを着ているため、パッと見は信者たちの着る黒いカソックとそう変わらないように思える。けれど信者たちのなかで一番地位があるのは間違いないだろう。先ほどまで偉そうに叫んでいた連中の口が途端に恭しくなった。
「司祭……」
「そうやら我らが神と間違えてこの娘を連れてきたようです」
「いんじゃないですか? 別に」丁寧な言葉を使うわりには敬いのかけらもない、ぶっきらぼうなトーンだった。「この子はなにも悪くないんだからあんまり手荒な真似はしちゃあだめでしょう。精々縛る程度で。あとは貴方たちに任せます」
 彼がそう言うと、信者たちはぞろぞろとその場を去っていく。もうオズワルドには興味をなくしたようだった。そして準司祭たちは強気の口調で「もう一度ホーンテッド・ライヴラリの中を探しに行くのだ!」と叫んでいた。オズワルドと彼の周りには人がいなくなる。彼はオズワルドに近づいて、礼儀もなにもない不躾な眼差しで見下ろす。オズワルドは白い歯を見せて言った。
「ごきげんよう」けれど彼は顔をぷいっと横へ遣るだけだった、オズワルドは眉を下げる。「あー、無視した。酷いわ」
 彼は視線だけをオズワルドに戻す。あまり表情の変化を出さない人間なのか、顔の筋肉は弛緩することも緊張することもなかった。
「貴女は自分がいまどういう状況に置かれているのかわかってるんですか?」
「わかってる。目の前のひとに無視されたのよ」
「わかってない」
「わかってない。ここがどこなのかとか、貴方が誰なのかとか」
 彼の顔はやっとオズワルドを正面とした。髪と違って色素の薄い目が淡々とオズワルドを見つめている。オズワルドは不思議だと思った。その髪と目のコントラストが、とある誰かに似ていると感じたのだ。




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