焼いた黒魔の会(1/4)




「ハブテコブラが囁く愛は?」
「庭の門の上からキスして」
 合言葉が変わった。というよりもむしろ運び屋が変わった。
 定期的に来るマイクからの手紙を受け取ったイヴは不穏な思いを抱いた。マイクからだという手紙を開ける。いつも通りの写真葉書だ。しかしいつも通りよりも文章が長い。文字も荒れていて走り書きと言うのがしっくりくるような悪筆だった。どうやらマイクのほうでも最近アンプロワイエやオールドビルの姿がたびたび確認されるらしい。前の運び屋はアンプロワイエに殺られたのだという。そういった旨が葉書には記されていた。裏返して写真を見る。
 その一瞬でかすかに強張っていた緊張が笑みほぐされた。やはり面白い男だとイヴは改めて思う。写真にはマイクと、そしてその後ろには今にも捕ってかからんとするアンプロワイエが映っていた。しかし当のマイクは気づかずといった様子でアンモナイト化石の岩場を背景に満面の笑みを浮かべている。おそらくエグラド南部にあるジュラシック・コーストに来ているのだろう。ジュラ紀や白亜紀など二億五千万年前に形成された地層が断崖を形成していることで有名な海岸だ。魚竜の骨格なども発見されており、両親を考古学者に持つマイクとしては是非とも訪れたい土地だったのだろう。今までで一番笑顔が輝いていた。写真にはアンプロワイエに襲われそうになっているという危機的ながらのコメディ感が溢れていて、今後の展開が手に取るようにわかるような一枚だった。この写真をわざわざ採用し送りつけてくるあたりマイクは元気にやっているらしい。相変わらず迂闊を冒さない男である。
「顔が緩んでるぞ、ラブレターか?」
 書見台の椅子に腰かけてマイクからの写真葉書を見ていたイヴに、意地悪そうな笑みを浮かべて卑弥呼が話しかけた。
「まさか。ただの泥棒からだ」
「ハート泥棒って寒いオチかよ」
「少し前に、全財産が入ったバッグを強奪されてな」
「思ったよりもビターな話だな」
 卑弥呼の反応にイヴは苦笑する。麗しき雨上がりの彼は誰時のことだった。
 昨日昼間から降り出した雨は真夜中まで降りしきった。卑弥呼の持っていたレーズン入りの堅パン――オズワルドが“死んだハエのビスケット”と言って嫌がりながら食べていた――を晩餐に、綿の飛び出たローソファーを寝台に、ホーンテッド・ライヴラリで一晩を明かすこととなった。ここまで無防備に生活していて大丈夫なのかとイヴは思ったが、卑弥呼曰く“次の十三日の金曜日まではアンプロワイエもオールドビルも絶対に来ない”、占い師の言うことを信じてイヴも気を楽にしたままでいる。慣れない環境に目覚めが早くなってしまうあたりがどうしようもないところなのだが。
「あいつはまだ寝てんのか」
 卑弥呼の言うあいつとはオズワルドのことなのだろう。イヴは察して言葉を返す。
「基本的にオズワルドは起こさない限り昼まで寝るぞ」
「げっ」
「それに今は早朝だ。起きているほうが珍しい。お前はいつもこんな時間に目が覚めるのか?」
「ああ。癖がついちまってるんだろうな。それとイヴ、どうやら今日は外に出ないほうがいい。銃撃戦に巻きこまれそうな顔してるぜ」
 どんな顔だ。イヴは自分の顎や頬に手を当てる。この男の占いは間違いなく本物なのだ。忠告通り外に出ないほうが賢明だろう。行くあてなどないのだし出るつもりもなかったが。
 卑弥呼はどこからともなく鈍色の寸胴鍋を取り出して薪とマッチで火を起こす。少し早めの朝食を準備しているところらしい。ここまで家庭的なことをして潜伏がバレやしないか心配だったが、彼の堂々とした態度を見るに何度も似たようなことをして何度も荒事なく終われたのだろう。昨日立っていたオールドビルの適当さにイヴは拍手を贈りたくなった。
 朝食の気配で目が覚めたのか前髪が寝癖で跳ねたままのオズワルドが珍しく起きてきたのだが、質素な皿に盛られた朝食が塩と空豆のオートミールだと知ったときには落とし穴に嵌った人間がするような表情を浮かべた。無礼千万と卑弥呼は憤慨したが、育ちのいいオズワルドからしてみればオートミールのようなグロテスクな料理は劣悪そのものなのだろう。オズワルドが「ゲロみたい」と呟いたときにはイヴ自身も食欲が減退した。口直しにと昨日残しておいた梨を齧ろうとしたら、齧り口に虫がくっついていて顔を顰めていた。卑弥呼は面倒くさそうにその梨をぶんどってナイフでそこを削り取る。
「上手いのね」
 変色したところごと抉ってもらったオズワルドは上機嫌そうに言った。
「上手いもんか。これぐらいは朝飯前だっつの」
「もう朝食は済ませたあとよ?」
「お前はいい加減黙れ」
 卑弥呼は梨をオズワルドに押しつけた。
 イヴは口を開く。
「早いし正確だな。自炊の賜物か」
「お前までどうしたんだよ」
「俺もナイフを持っているんだがどうにも扱いが下手でな」
「慣れればすぐだぜ」卑弥呼は持っていたナイフを壁に向かって投擲した、重い音を立ててまっすぐと壁に突き刺さる。「俺が教えてやろうか?」
 イヴは携帯しているバタフライナイフを取り出した。午前のスケジュールが決定した瞬間だった。
 基本的にイヴとオズワルドの日常は暇だ。最近はアンプロワイエによる取り締まりが活発化してきていることも外出できない要因の一つだが、なによりの原因は金銭問題にある。失楽園計画から反政府デモや無闇なストが増え、それに比例するように国家は様々なものの物価を上げていった。家庭の主婦が音を上げるよりも先に二人は容易く音を上げたのだ。バスに乗ることも鉄道を用いることも難しくなってしまった。その他にも、国家は多くのはたらきを規制するようになっていた。一番目立ったのは物流の規制だ。そして次にネットワークや交通網の規制、都市部では暴動に備えてか手荷物検査まで行われるようになったと聞く。そんな検査検閲の厳しくなった世間にノコノコ出ていってしまってはものの三十分でオールドビルの厄介になることが目に見えていた。食事も満足に摂れないことからそもそも体を動かすことから憚られて、どこぞの室内で息を潜めるのがほとんどのこの頃だった。だからこうしてスケジュールが埋まったのは久々なことであった。




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