馬鹿は首を吊れ(1/4)




 イヴは、目の前に見える大きなタペストリーに、思考の迷蒙を重ねていた。思いつく限りの偶然を挙げて、このタペストリーがこの場にある理由を考える。
 錬金術の寓意図のタペストリー。緻密な糸で織られた内容は、レリーフに描かれているものの模写だと思われた。錬金術なんてもの、イヴにとっては化学の踏み台でしかなく、文献だって数えるほどしか読んだことがない。しかし、世の中には一種のロマンとして錬金術を信仰する者も多く、こういったインテリアとして用いられることがままあった。だから、タペストリーに錬金術の寓意図が描かれていることには問題がない。問題があるのは、何故、このタペストリーがここ“亜終点”にあるか、だった。
 イヴはこのタペストリーを、一度、新聞の記事で見たことがある。どこの新聞社も取り上げていたから、イヴもよく覚えていた。これは元々、エグラドの首相官邸に飾られていたものだった。
 そんなタペストリーが何故こんなところに。
 イヴの思考の根はそこにあった。“亜終点”は地上から掃き出されたガラクタが行き着く場所だ。しかし、首相官邸に飾られてあるようなものを、こうして粗末に捨てることができるだろうか。タペストリーには焼け焦げたような小さな穴が空いていたが、高価そうな威厳は保たれたままだ。記念に残しておくだとかはされてもいいだろうに。
 イヴは、黒塗りの壁に磔されるように掲げられるタペストリーの前で、そうやって二十分は考えてこんでいた。
 そうしていると、別の場所にあるゴミ溜め場で食器類を探していたオズワルドが、ひょこひょこと帰ってくる。
「まさかずっとそうしてたの?」オズワルドはタペストリーに目を遣った。「見惚れるほど綺麗かしら、これ。銃痕だってあるのに」
「よく銃痕だって気がついたな」
「よくなの?」
「お前はこれを見たことがあるか?」
「なーい」
 オズワルドは、拾ってきた黄ばんだカップとティースプーンをカチカチと鳴らし、顔を顰めていた。
 オズワルドは、哀王の指図により、ゴミ溜めから使えそうなものを物色する手伝いをさせられていた。イヴは留守番だったのだが、その時間を全て考えることに充ててしまった。答えも出なかったのになんて時間の無駄遣いをしてしまったんだろうと思いながらも、どうせすることがなかったんだと諦めをつける。
「それで、収穫はあったのか?」
 トランジスタを掻き集めた麻袋を担ぐ哀王と数人の男たちも、ぞろぞろとこちらへ帰ってくる。哀王は袋をその男たちに押しつけて、オズワルドに尋ねた。
「ジャンジャジャーン」
 オズワルドが顔の横までも持ってきたそれを見て、哀王は僅かに目を見開く。
「アンティーク物か」
「アンティーク?」
「どちらも二百年も前の物だ……よく見つけたな」
「よくなの?」
 さっき自分に返したような言葉を哀王にも返したものだから、イヴはおかしくなって笑った。哀王はオズワルドの持つそれを乱暴に取り上げ、とっとと去っていく。イヴがオズワルドに「疲れなかったか?」と話しかけると、オズワルドは「疲れたわ」と返した。だろうな、とイヴは肩を竦めた。
 哀王がオズワルドをよく思っていないのは火を見るよりも明らかだった。イヴには任せないような雑用をオズワルドに押しつける様子は、いっそ清々しいまでだった。そのあいだ、イヴだけは悠々としてられたし、だからタペストリーを見つめることとなったのだ。おとなげない悪意には苦い顔をするしかないが、そんなものを歯牙にもかけないのがオズワルドだった。
「でも、楽しかったわ。見て」そう言って、オズワルドは白い歯を煌めかせた。「お土産よ」
 オズワルドがポケットから出したのは、金属製の栞だった。蝶の羽を象っていて、繊細な模様が欠けずに蔓延っている。ついていたベロアの赤いリボンは少し汚れていたが、使えないほどではない。
「あげる」
 オズワルドはそれをイヴに差し出す。
「俺に?」
「他に誰かいるかしら」
「相手が俺であることじゃなくて、俺にこれをくれることが疑問なんだけど」
「だって、イヴって、本を読むのが好きでしょう」
「俺はお前が梨を好きなことは知っているが、それを与えることはできない」
「梨のジェラートが食べたいな。もうへとへとだもん」
 イヴはなんと返すか迷った。そんなイヴの様子に気づくことなく、近くにあった俯せのアルミバケツに、オズワルドは座りこむ。下着が見えるぞとイヴは言おうか迷ったが、少女相手に不躾ではないかと思い、口を噤んでおいた。
 現在の時刻はどれほどだろうか、とイヴは見上げる。当然のことながら空は見えず、ナトリウムランプの太陽が煌々と輝くだけだった。空の見えない“亜終点”では、時間感覚が訛ってしまう。時計なんかがあればよかったのだが、生憎それらしいものはここにはない。イヴは腕時計も懐中時計も持ち歩かない人間だし、目安になるような腹時計は、二人とも長らくの不健康生活のおかげで、かなり狂ってしまっていた。
 イヴは思い出す。
 数刻前の哀王の誘い――彼と手を組む、という話について。
 哀王は非常に頭のキレる男だった。この“亜終点”をたった二週間でここまでの町に仕上げてしまう手腕も有している。そんな男と手を組めるなら、これまでできなかったことさえもしてしまえるだろう。それこそ、イヴの野望さえも。
 しかし、その誘いに乗ることに引け目を感じてしまう理由に、イヴは気づいていなかった。首を捻る。どうして自分は一も二もなくその誘いに乗らない。あの、彼とは似ても似つかない、ばかな娘の誘いには、あっけなく陥落し、乗っかったというのに。
「――ねえねえ、イヴ」
 オズワルドが首を傾げてイヴに尋ねる。
 考えっ放しだったイヴはそちらへ視線をやることなく、「なんだ」とオズワルドに返す。
「イヴも哀王も、どうして収容所なんかに入れられちゃったのかしらね。そんなに悪いことしてない気がするのに」
 オズワルドの言葉に、イヴはぼんやりと答えた。
「誰かにとっては悪いことだった。それだけの話だ」
「それだけ? それ以上の話だと思うけど。だって、イヴにとっては悪くなかったんでしょ?」
「有罪か無罪かなんて、コインの裏と表みたいなものだからな」
「コインってどっちが表だっけ?」
「はは、どっちだっけなあ」
「知りたがりのイヴでも知らないの?」
「知らない。そこに興味はないから」
「んま、コインみたいに冷たい」
「知らなくていいものは知らないさ。お前だって知ってるのか?」
「うんう」
 オズワルドがなんと言いたかったかはわかったので、イヴはそれを聞き流したが、数秒後におかしくなって、口の端から空気が漏れた。
 オズワルドの“ううん”は、舌足らずに“うんう”と響く。そう聞こえるのはイヴだけで、本人は無自覚なのか、なにも気にせずにバケツを体重で揺らしていた。
 ふと足音が聞こえて、オズワルドは揺するのを止める。彼女が顔を上げれば、哀王が見下ろしていた。
「そのバケツから降りろ」
 ぼんやりとした表情で首を傾げるオズワルド。そのままのっそりと立ち上がった。
「俯せにされてあるバケツだぞ。なにかに被せてあるとは思わないのか?」
 オズワルドは黙ったまま哀王を見上げる。
 哀王は憎らしそうに舌打ちをした。
「カイコだ。今はゲージがないから一時的にそこに保存しておいた。お前は俺たちの資源を殺す気だったのか?」
 オズワルドは少しだけ顔を濁らせて「ごめんなさい」と呟く。




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