メイデーのお導き(2/5)




 ご飯込みで面倒を見てくれるレベルのホテルになると、金銭面で苦しくなる。しかし、いまのままでいくと餓死してしまう、生命面で苦しいのはもっと駄目だ。
「もう一回タレコミ使おうよ」
「さすがに相手だって馬鹿じゃないんだ。そろそろ危ない。この顔で動ける日をあまり減らしたくないな」
「じゃあ皿洗い」
「洗う皿すらないんじゃないか? こんな世の中だし」
「もうやだー」
「同感だ」
 パジャマのまま手足をパタパタさせていたオズワルドだったが、なにかを思い出したようにぴたりと止まる。
「ねえねえ、イヴ」
「なんだ」
「ナマコは?」
「ナマコ?」イヴはオズワルドを見る。「食べたいのか」
「人間は食べられないよ?」
「人間を食べる民族も存在する。それにナマコはどう間違っても人間には見えない」
「この国にはあたしたちみたいなひとが、まだまだたっくさんいるんでしょ? そんなひとたちを、あの日から、一人も見つけてないわ」
「仲間だな」
 イヴはようやっと、オズワルドの言いたいことを理解できた。彼女の虫に食い散らかされたかのような言葉を瞬時に理解するのは難しいと感じていたイヴだが、なぞなぞを吹っかけられているようで楽しいとも思っていた。
 そんなイヴの心中を察することもなく、オズワルドは「一人も見つけてない」と愚痴るように呟く。イヴは「そういえばそうだったな」と流すように言う。それにオズワルドはむっとした表情を作った。
「どうせならナマコ探しをしようよ」オズワルドは椅子に跨って身を乗り出す。「それならあたし、お腹のすかないいい子になれるかも」
 オズワルドは無邪気そのものの真ん丸な目で、イヴを見上げる。イヴはその目をじっと見返しながら「ふむ」と頷いた。
 仲間探しとなるとこの場から動くことになる。運動するだけ空腹は促進されるだろうに、オズワルドの目は疑いがなかった。
 しばらく考え、オズワルドと概ね同じ意見を弾きだしたイヴは、「そうだな」と返す。オズワルドはうさぎのような反応をしたあと、服を着替えに行った。空腹に耐えるだけだった今日の予定が決まった瞬間だった。
 ホテルは借りたままでもいいだろう。今借りているホテルはそれなりに安いため、なるべく手放したくない。次に泊まろうとしたときに満室だったら泣く羽目になるからだ。
「ちなみにオズワルド、どうやって仲間になりそうなやつを見つけるかは考えてあるのか?」
「ないわ!」
 廊下から元気のいい声が聞こえてくる。それから少しして、とたとたと足音が聞こえ、廊下に繋がるドアから上半身だけ覗くように、オズワルドが現れた。もうセーターに着替えていた。
「イヴは?」
「“亜終点”に行くのが一番だと思う。あそこならダストシュートから脱出した人間が集まるだろうし、まず最初に確認すべき場所だ」
「名案ね」
 凭れていた壁から背を離したイヴがオズワルドに歩み寄ろうとすると、「待って」と片手をまっすぐに突き出された。イヴは一度静止すると「まだスカート穿いてないのよ」と言われ、苦笑を浮かべるしかなかった。オズワルドは足音を鳴らして引っこむ。イヴは肩を竦めたあと、また壁に凭れる体勢へと戻った。二人がホテルを出たのは五分後のことだった。
 前回の失敗を活かし、今回のホテルは偽名で借りていた。従業員が不干渉型のホテルではあったが、一度偽名義で名を呼ばれたとき、二人は即座に反応できず、怪しまれてしまった。イヴは数瞬後に対処できたが、オズワルドのほうはずっと「それってだあれ」と宣っていたので、結局は怪しまれたままだ。おかげさまで、ホテルから出る際、支配人らしき男からじっとりとした視線を頂戴した二人だったが、堂々としていればごまかせるだろうと、そしらぬ顔ですたすたと去って行く。逃亡生活に度胸はつきものであると、イヴは理解していた。
 郊外を出ると、スチームの抜ける音やエンジンの脈動が、腸に響くようになる。二気筒のリズミカルな重低音が滑らかに地を這い、金光りする車の轍の上では淡いベールが尾を引いている。グライダー工場の灰色の煙は、雲に混ざって溶けだしていた。豪華な革張りの椅子があるコーヒーショップでは、大仰なハットを被った紳士が朝を楽しんでいる。
 その日常的な景色から少し離れ、人通りの少ない路地へ入ると、“亜終点”に繋がる下水道のマンホールが見えた。
 周りに人の気配がないのを確認してから、二人はその中へ潜っていった。
 二人が“亜終点”に赴くのは二週間ぶりのことだった。二週間前にそこにいたときはまったくの初対面で、イヴはダストシュートの仕掛けを確認しようとしていたし、オズワルドは石油まみれでゴミ箱にぐったりと凭れていた。
 イヴは思った。国中のいらないものだけを寄せ集めたような、あの無機質な空間は、いま、死を覚悟し、落ちてきた者にって、どのように映っているのだろう。天国か、地獄か。いや、そもそも、そんな人間がこの二週間のうちにあそこに辿り着いたのかも知れないところだと、イヴは考え直す。年間ダストシュート利用者数などイヴは知らないし、突きとめた真実にすらそれらしいものはなかった。
 だが、イヴが先陣を切り、それに続くようにしてオズワルドが飛び降り、そしてまた幾人かがあの終点へと辿り着いたのだとしたら。自分たちと似たような境遇の人間が、また現れたのだとしたら。
 そう、イヴが少なからず思いを馳せて梯子を降りていると、信じられない光景が眼前に広がった。
 それはオズワルドとて同じのようで、小さく口を開く。
「……ここはどこ?」
「“わたしはだれ”?」
「貴方はイヴ」
「ここは“亜終点”だな」
「別人みたいね」
「別の場所みたいってことか?」
 “亜終点”とは元々、ダストシュートの斜線の二番目にある穴から落ちてきたゴミを貯めておく、タンクのような役割をしているところだ。生ゴミから粗大ゴミまで。ありとあらゆる無用の長物が、まるで城のような棟をいくつも作り出す、生活感や整理感の欠片もない、本当にひどいところだった。
 しかし、いざ二週間ぶりに訪れた“亜終点”は別世界に様変わり果てていた。
 まず最初に驚くのは、人がいることだ。それも、たくさん。小さな町、とでも言えばいいか、少なくとも五十人ほどは“亜終点”で往来していた。
 次に驚くべきことは“往来できること”だ。獣道のようだったはずの足の踏み場が、区画整理でもされたかのような規則正しい道になっていた。ただ鉄屑を集めただけのはずの山は、今やオブジェのような立派な雰囲気を醸し出し、照明のプラチナの光を受け、欲深そうに煌めいている。どころか、金属板やガラス板で組み立てられた壁の一群は、どう見ても露店や小屋の素朴なそれだ。オイルのシミのついた大きな布をテント代わりにし、即席の屋根を作っている。道に突き出した今にも潰れそうな台の上には、色のおかしな果物、日焼けた書物、その他にも簡素な洋服やネジや歯車などが、それこそ品物のように並べられている。これでは本当に小さな町だ。
 スヴァジルファリは実在したのかと歓喜の声さえ上げたくなる。どれだけ目を擦ってもなにもかわらない。これは間違いなく現実だ。イヴの目は驚愕により瞠目していた。
 ここを離れてからたった二週間。その二週間で“亜終点”は小さなスラム街化していたのだ。





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