01


 冬はどうも布団から離れがたくなっていけない。その温もりは果てしなく俺を誘惑してくるし、振りきって布団から出ようものなら薄ら寒い空気が俺を攻め立てる。前からも後ろからも攻撃されてちゃキリがない。おまけに眠気が更なる妨害となって、俺に布団からの脱出を強く拒む。
 ……もーいーや。
 寝起き特有のふわふわとしたお幸せな考えが過ぎった瞬間。そうはさせまいと冷や水が如き存在感が布団の中へ潜り込む俺に愛の鉄拳を食らわせた。
「起きなさい正義! 今日はみんな大好き終業式でしょ!」
 修学旅行みたいな陽気さでなにを言ってるんだか。まあ一般学生からしたら早く帰れるという利点からプラスなイメージを抱く者も少なくはないだろうけれど。
 颯爽と俺の部屋に現れた母さん(十五年ほど前から永遠の三十歳を名乗っているようだ。つまり十三歳で俺を産んだ計算になる。法律がどうのだとかのツッコミどころ以前に父のロリコン疑惑が不当ににょきにょき)が、がばっと俺から布団及び毛布の類をひんむいてきた。それでも目覚めないと判断したのか、緩い蹴りが腹に入りあちこちへゲリラして最終的にまた腹に収まった。
 とりあえず。
 ぐべっ。
「ちょ……母さん、虐待寸前」
「おはよう、正義、いい朝ね!」
「話をいきなり変えるな……っていうかこんな起こされ方していい朝って言える奴なかなかいないし……」
「ちなみに今日母さん星座占いで一位だったの。ラッキーアイテムは赤いブラジャーだって。でも母さん持ってないのよ。正義、ある?」
「何故息子の俺に聞く?」
「ちなみにアンタは最下位だったわ。今日は厄日でしょう。ラッキーアイテムはなんだったかしら、きっと無いわね!」
「普通最下位の奴のラッキーアイテムを確認するだろ、きっと無いってなんだよ……なんて母親なんだ」
「本当よ! 結婚した男の気が知れないわね!」
「すんなり肯定した揚げ句自分の旦那までおとしめるのか」
「私と正直くんの息子なんて高が知れてるわ」
「ついには息子まで!」
「早く起きなさい」
 遅刻するわよ、と。急にくるりと踵を返して部屋を出ていく。パタパタと忙しない足音のあと、ガチャンとリビングのドアが荒っぽく閉められる音が床越しに震撼した。がさつな母親である。布団を乱暴に剥ぎ取られたおかげで、あと俺に残された行為は起き上がるだけとなった。仕方ない。このふっかふっかの敷布団から「幽体離脱〜」することにしよう。
 よっこいせ。
「……そうか。終業式か」
 パジャマにしているトレーナーの袖で、俺は目をゴシゴシ擦る。このトレーナーは父のお下がりなのでかなりブカブカだった。ブカブカ、というか。ヨレヨレ。息子に使い回させるくらいなら捨ててほしい。胸にプリントされたリーゼントMUSASHI≠ニいう訳のわからないポップなロゴが仄かな笑いと屈辱感を誘う。誘わなくていい。
「……しちじじゅっぷん……」
 遅刻だと急かすような時間ではないが、委員長の俺としては決して余裕のある時間ではなかった。俺は欠伸を一つしたあとその場で立ち上がる。布団を引っ張って、部屋の脇に退けようとしたとき。
「あ」
 気づけば二学期ももう終わり。
 三学期になったら、俺はこの早朝起床からも解放されるわけなんだよな。
 委員長じゃなくなるわけだし。
「……口虚の面倒だって、見なくて済むわけだし」
 ぺいっ、と俺は布団を払った。
 部屋を出た廊下の外気は、想像以上に寒かった。肩や肘をさわさわと摩りながらリビングへ向かう。暖房を付けている揚げ句家事のためにガスも使うのでかなりあったかいことになっていた。いっそ明日からリビングで寝てやろうか。
「おはよう正義」
 台所で弁当箱にご飯を詰めながら、さっきもかけたであろう朝の挨拶を、母はした。
 俺は眉を寄せる。
「それ。さっきも言った……」
「私はね」
 意図を察した俺はちょっと俯きがちに答える。
「おはよう」
「うん。おそよう」
 厭味か。
「インスタントコーヒーが丁度切れてて一人分しかなかったから、アンタは今日牛乳よ!」
「なんで息子に譲ることを知らないんだ」
「大丈夫、ホットにしてあげてるから」
「俺ホット駄目なんだけど。一体何が大丈夫なんだ」
「そう。私はホットの方が好きなのに。ホットが駄目だなんてアンタ一体誰の子なの?」
「母さんと父さんの子だよ」
「なら大丈夫ね」
 大丈夫違うわ。
 押し売りよろしくのジャアイアニズム満載理論を展開され、俺はどうにも腑に落ちない心境だった。
 この母の横暴さである。
 別ベクトルな口虚っぽい感じ。
 ちらりとカウンターに目を移すと、水を張った安っぽいマグカップの中に、こじんまりとした金木犀の花が浮かんでいた。甘ったるい匂いがぷんと舞って、アロマ好きの母にはリラックス効果でもあるに違いない。にしてもいつの間にあったんだろう。母親に聞くと「一年前くらい」と返した。気だるげな返答に、もうどうでもよくなった。
 俺はむっすりと溜息をついてダイニングテーブルの椅子に腰掛ける。つきっぱなしのテレビでは、汗がカルピスで出来てそうなくらい爽やかなお兄さんが白い歯を煌めかせてニュースを伝えていた。パンダのメスに赤ちゃんが生まれただの、最近話題の人気歌手の熱愛だの。そして中でも異色を放ち一際空気を変えたのが、隕石落下事件についてだった。
 あの隕石落下事件から、もうすぐで五年。奇妙で奇怪な謎を残したままの事件は、各局もそれぞれ重きを置いて、取り上げていることの目立つ最近だった。
「あーまたあの事件の話ね」
 牛乳とトーストを持ってきた母が俺に言う。トーストにはリクエストもなしに苺ジャムが塗りたくられている。ピーナッツバターが良かったのに。しかも自分のやつだけピーナッツバター塗ってる。俺のにも塗れよ。そっちのが手間省けるだろ。一々ナイフ拭くの面倒臭くなかったのかよ。謎過ぎる母親だった。
 父親の方は俺が起きるのよりも早く出勤するので、毎朝食卓には皿が二人分しか並べられない。俺と母さんのだけだ。でもダイニングテーブルの中央に置かれたフルーツバスケットから、バナナとオレンジだけが如実に減っているあたり、父親の朝食代わりなのだと伺える。どうでもいいけどなんでフルーツバスケットにとうもろこしが入ってるんだろうか。
「もうすぐ五年なのね」
 呟きとも問いかけともとれない微妙な抑揚で母は言う。俺は、はむっと、トーストを啄んだ。
「まあ、あれよね、ほら」自分のトーストとコーヒーを持ってきて。「暗いのって嫌いよ」ものすごい私的なコメントをした。
 詩的とも取れるが、不謹慎との指摘を他者にされかねないギリギリな発言だった。
 限りなくアウトに近い。
 セウトだ。
「母さん……あのさ」
「隕石だの結石だの、今更ぐだぐだ言ったところで何も始まらないし終わらないわ」
「結石は父さんだろ……じゃなくって。よくそんな不謹慎なこと言えるよな」
「どっちがかしらね」
 母さんはコーヒーを一口飲んで、テレビに視線を移した。いかにも高学歴です、みたいな顔つきをした色白のお姉さんが、未だ事件について色々と喋っている。
「五年も経って。未だに根掘り葉掘り調べたり囃したり騒ぎ立てたりして。どっちが不謹慎なのか」
 俺は、その一言に、息を呑む。
 口虚絵空は、親を亡くした。
 家も無くした。
 未来を失くした。
 ――口虚さん、ご両親が亡くなったんじゃないの。
 ――死んでないってば。
 口虚は、傷ついている。
 自分の親は見えないだけでまだ生きていると、そんな哀れな嘘をついてまで認めたくないくらい、傷ついている。
 こんな風に世間が囃し立てて、今頃口虚はどうしているんだろうか。
 らしくない。
 らしくないけど。
 今頃泣いてやしないかって。
 空言抜きで思ったんだ。



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