ブリキの心臓 | ナノ

1


 たとえば、お伽話の結末を祝福するなら、陽射しの麗らかな初夏がふさわしいように。
 二人の契りも、季節の巡りのなかで霞んで埋もれてしまうような、ひっそりとした快晴の日がいい。劇的なものはなにもいらない。それこそ、滑稽な形の黄色い花も、火照るような空気も、なにもいらない。元より、彼は形式以上の華を嫌い、彼女にしたところで、灰被る姿がよく似合う。二人の世界とは、弦楽と色彩溢れる歌劇ではなく、ほろほろとした木陰の落ちる庭で読む、擦り切れた絵本の中にあるのだ。王子様とお姫様の出会いのように、静かで、穏やかで、慈しい、麗らかな初夏であるべきだ。

 ジャレッド=シベラフカとブランチェスタ=マッカイアの結婚式は、ジャレッドのギルフォード校卒業から直近の初夏に行われることとなった。

 春先さえも遠いいまから数えれば、まだ数ヶ月も先のことである。しかし、なによりも“毅然としたゆとり”を大事にする貴族は、まず、正式な発表として、各位にその旨を報じるものである。シベラフカ家から、所縁のある家へと、マッカイアの宝飾があしらわれたカードが送られた。
 その朗報を受け取った、ジャレッドの長年の友人・テオドルス=ボーレガードは、いの一番に「おめでとう」という言葉と熱い抱擁を彼に贈った。同じく長年の友人・エイーゼ=シフォンドハーゲンも、お礼状と祝いの言葉を、美しいカードで返送した。在学中といえど、婚姻の早い貴族の子にとっては、十八の歳にもなれば、そういう話も珍しくはなくなる。事実、ジャレッド以外の生徒も婚姻を発表したし、なんならそれを理由に、退学する生徒だっているくらいなのだ。結婚というスキャンダルの最中でも、ジャレッドの周囲は“毅然としたゆとり”に満ちていた。
 一方のブランチェスタの周囲はといえばそうではなかった。中流貴族といえど、ブランチェスタ=マッカイアは、庶民の暮らしの色が濃い、アンデルセンに住んでいる。アンデルセンでは、学舎を卒業するほとんどの者は、そのままどこぞへと就職し、働きだすことになる。そもそも結婚したところで、相手を養っていける金などあるわけもなく、貴族の夫婦が子供を産んだ時分にやっと結婚を果たすというのが常だ。つまり、十八、十九の歳での結婚など、ショットガン・マリッジの場合にしか見られるものではなく、ブランチェスタはアンデルセンで、好奇の目に晒された。煙突掃除中には「お姫様のお前にはもうこんな仕事はさせられないな」とからかわれるし、母方の所縁の者である、コッペリア座の戯曲家・アイザック=フェルメールは、「天は二度も彼女たちを奪ったのだ!」という激情的な脚本――もちろん発表されることなく座員によって棄却されている――を書いたと聞く。あらゆる各位から冷やかしを受けたブランチェスタだが、ごく親しい人間からはきちんとした祝福を受けた。たとえば、アンデルセンの薬剤師・ケッテンクラートや、つい最近異国への売買を始めたお菓子屋・ヤレイ、それから、《オズ》でも世話になっている、ジオラマ=デッドやメイリア=バクギガン、キーナ=ペレトワレが挙げられる。
 《オズ》絡みの人間からは、ジャレッドも祝福を受けた。先述した者たち以外にも、ヘイル家を代表してゼノンズ=ヘイルから。また、いったいどこから聞きつけたのか、《オズ》のトップ――そして、歴史を遡ればお仕えする主君の家系にあたる――ソルノア=ステュアートからも祝辞を贈られた。もっとも、《オズ》絡みで野次を飛ばす、アイジー曰く厄介者の二人もいるわけだが、そんなことは些細なことだ。
 ジャレッド=シベラフカとブランチェスタ=マッカイアの結婚は、毅然としたゆとりを持って、穏やかに、進んでいくものと思われた。
 騎士の家系という清廉な血を持つジャレッドに、宝石商の娘という煌びやかな肩書を持つブランチェスタ。貴族間の印象もよく、お似合いの二人だと、当然の二人だと囁かれていた。
 しかし、事は水面下でゆらゆらと揺れ、揉みおろされていたのだった。

 マリッジブルーである。
 それも、よりにもよって、花嫁のブランチェスタではなく、花婿のジャレッドが。 





「ようこそ。ジャレッド。おかけになって」
 夕暮れの空のように鮮やかな青紫の瞳が細められるのを見て、ジャレッドは、自分がとんでもなく面倒な渦中に身を置かれていることを確信した。
 現在、彼の目の前にいるのは、自身の友人の双子の妹・アイジー=シフォンドハーゲンだ。いや、彼女が彼の目の前にいると言うよりは、彼が彼女の目の前にいると言ったほうが正しい。何故なら、いま二人がいるのは、シフォンドハーゲン邸の大きな庭、薔薇の花が姦しい、モザイクタイルのガゼボの中だからだ。
「……穏やかな日和、このような美しい景観でアフタヌーンティーにお招きいただき、感謝する」
「聞こえなかったの? おかけになって」
 テーブルに肘をつき、座っていたアイジーが、ジャレッドを強く見上げた。形式の挨拶を物ともしない、断固とした意志を感じる。
 立ちっ放しだったジャレッドはやれやれといった感じで椅子に腰かけた。テーブルにアフタヌーンティーのないこの状況に対し、辟易しているのは言わずもがなだ。どうして自分はこんな誘いにのってしまったのだろうと、ジャレッドは過去の自分の決断を悔いた。
「さて。私が貴方をお招きしたのは、他でもない、このことだと、」アイジーは例の招待状を見せた。「わかっているわよね? ジャレッド」
 己の友人の双子の妹であり、また、呪われた者同士でもあるこのアイジーという少女は、ブランチェスタを慕いすぎるきらいがある。彼女と話したなら彼女を好きにならずにはいられないなんてことを、素面で言ってのけられるのがアイジーだ。仲良くなる前からアイジーはブランチェスタに憧れていたし、己がいかに彼女を好きなのか語ることが得意だった。
 兎にも角にも、ブランチェスタという人間が関わると、アイジーは人が変わったように、大胆な行動をとるようになる。今回の要件も、どうせそんなところなのだろうと、ジャレッドは見抜いていた。しかし、股にかける意味で、アイジーはジャレッドの予想を上回ることがある。
「およそ君の行動理由は不可解だが、行動そのものに関しては単純と言えるから」
「口の利きかたには気をつけることね。今日のこのアフタヌーンティーで、貴方の命運が決まるといっても過言ではないわ」
 だったらまずアフタヌーンディーを持ってこい。
 ジャレッドはそう言いたくなったが、呆れるだけに留めた。
「……先ほども言ったとおり、僕は君の行動を理解できても、行動理由に関しては無理解だ。僕がここに呼ばれた真の意図を聞いても?」
「ええ、どうぞ聞いてくださいな」アイジーは三本指を目の前に掲げた。「私の言い分は三つよ……一つ、式場はもう決めたの? 二つ、ドレスはもう決めたの? 三つ、当日の結婚の祝辞を送るのはもちろん私よね? ね? ね? そうでしょう? そうと言って!」
 ジャレッドはアイジーを眺めつつ、どうしたらこんな支離滅裂な娘が生まれるのだろうと思案した。ジャレッドの知るかぎりにおいて――少なくとも出逢った当初は――ここまで厚かましく、馬鹿な人間ではなかったはずだ。世間知らずなところはあれど、貴族の娘としての元来の貞淑さ、威厳、気品を兼ね備えていて、さすがはシフォンドハーゲンだと感服したことさえある。それがどうだ。今となっては、よその結婚式に茶々を入れる気満々の、横暴な娘に成り下がっている。親しき中にも礼儀ありというが、そもそもの礼儀をこの人間は携えているのか。なかなかに辛辣な感想を、ジャレッドは生まれ持っての鉄面皮の下に潜ませた。
 こんな人間でも、己の友人の双子の妹であり、己の伴侶となる相手の大切な友人だ。失言によりその関係を断つほどの苛立ちではない。なにより、アイジーの行動は、ブランチェスタを慮ってのことなのだ。高が友人の結婚式のためにここまで手のこんだことをするなど、いっそ愛着を持てるではないかと、ジャレッドは無理矢理に考えるようにした。
 実際、アイジーはブランチェスタのよき友人なのだ。たとえば、つい数か月前、ブランチェスタと“厄介な二人”が舌戦を繰り広げていたときのことだ。人でなしのほうか碌でなしのほうかは知れないが、その厄介な二人のうちの一人の肘が、テーブルの上にあったランタンに当たった。そして、運悪く、その火がブランチェスタの髪に引火し、燃え上がってしまったのだ。鏡の呪いによりそれを予知していたキーナ=ペレトワレの手で、その火は一瞬にして消されたのだが、ブランチェスタのご自慢の長い三つ編みの一房は、見事に焼き尽くされてしまった。そのときのアイジーは、厄介な二人を怒ることすら忘れ、わんわんと泣きだしたのだ。ブランチェスタも厄介な二人もすっかり委縮し、アイジーが泣きやむまで何故か三人で慰めねばならなかったのだと、ブランチェスタは愉快そうにジャレッドに語った。きっとアイジーが泣いたから、ブランチェスタは泣かずに済んだのだと、少年のように切り揃えられたブランチェスタの髪を見て、ジャレッドは思ったのだった。
 しかし、それとこれとは別の話である。
「式場は、シフォンドハーゲンの聖堂を使うといいわ。ほら、シベラフカ家の聖堂って、うちのと比べれば少し手狭でしょう? アナロイも漆黒だし、たしかに洗練されてはいるけれど、ブランチェスタと貴方の髪の色には合わないと思うの。聖障もシフォンドハーゲンのほうが立派だし、きっと素敵な結婚式になるわ!」
「アイジー」
「それと、ドレスのほうなのだけれど、当然、プリンセスラインのロングトレーンに決まっているわよね? 透明感のあるレース素材がいいと思うの。ホワイトリリーや真珠のような、繊細な白でお願いね。金粉をあしらった月桂冠は必須よ。ブランチェスタの緑の瞳にふさわしい、最高の色合いのものを選びましょう」
「アイジー」
「あと、あと、祝辞よ、ブランチェスタも貴方も私の友達なんだもの、私以外の誰が読むと言うの? 任せてちょうだい。時間があるのだから、いまから考えに考えた、素晴らしい祝辞を読んでみせるわ。とりあえず、来月までに下書きを完成させるから、一度貴方に確認してほしいのだけれど、」
「アイジー、残念だが、僕はそのどれをも受け入れる気はない」
 ジャレッドの言葉に、アイジーの表情は削げ落ちた。ついさきほどまで、頬を染め、手を重ね、野ばらのように夢見ていた少女とは思えない、物言わぬ死体のような形相だった。
 ジャレッドは再び「……受け入れない」と首を振った。アイジーは「どうして」と詰め寄る。
「君、その招待状の中身は見た?」
「まだよ。もったいなくて開けられなかったの」
「招待状は開けろ。招待されなくなるぞ」ジャレッドはため息をつく。「それは、結婚式の招待状じゃない。披露宴を兼ねたパーティーの招待状だ」
「どういうこと」
「君の案を受け入れられない理由に付随する。まずはそちらを返答しても?」アイジーが頷くのを待つことなく、ジャレッドは言う。「まず、第一に、結婚式は聖堂ではなく、庭園で行われる。シフォンドハーゲンではなく、シベラフカのだ。招待客は厳密に検討し、少数に絞る予定だ。手狭だろうと漆黒のアナロイだろうと関係ない。第二に、ドレスはもう決まっている。僕のお母様が式のときに着ていたもので、エンパイアライン、オーロラオーラ刺繍のマリエだ。ヘッドドレスはショートベールのみ。月桂冠は邪魔になる。第三に、これは第一の理由と同じだが、結婚式な招待客は厳密に検討し、少数に絞る予定だ。まだたしかなことはいえないが……招待客リストの中に君の名が存在しないこともありえる」
 これまで我慢強く聞いていたアイジーだったが、最後のジャレッドの発言により、甲高い悲鳴を上げることになった。絹を裂くような悲鳴だった。
 ある程度予想していたジャレッドは、それも致しかたないといった顔色で、アイジーの声が静まるのを見守っていた。
 やっとのことで悲鳴を抑えたアイジーに、ジャレッドは「すまない」と声をかけた。
「本当にすまないと思っているよ。君が、僕たちの、彼女の式に赴かないという選択肢は、端からなかったろうに……もしかすると君にとっての夢でもあったろうに」
 アイジーは「信じられないわ」と首を振った。シルバーブロンドが力なく揺れる。
「よくも私にこんな仕打ちを……いったいどういうことかしら」
「僕たちの意思だ」ジャレッドは答える。「式は静かに執り行う」
 アイジーは「静かにって、どれくらい?」と眉を顰めた。
「とても静かに。なにも、君が憎くての話ではない。正直なところ、エイーゼやテオドルスもいない可能性だってある。だからこそのことだ」
 ジャレッドの言葉に、アイジーは目を見開かせた。


× |
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -