ブリキの心臓 | ナノ

2


「おら、早く、時間がなくなっちまうだろ、じゃないや、なくなるでしょう?」ブランチェスタは人差し指を口元にやり、にんまりと笑う。「実は、シベラフカと賭けてるの。ミスタ・バッカス=シュセーが酔いつぶれるまでに、一人でも多くの人と踊ったほうが勝ち。負けたほうは勝ったほうのリードに合わせてダンスする」
 なにそれ。アイジーが噴き出すよりも先に、テオは元気よく「こりゃ傑作だ!」とブランチェスタの手を引いた。そして愉快な声音で「なら、とっとと終わらせて次のパートナー探しを手伝ってやろう! あのスカしたジャレッドにレディの嗜みを教育してやれるなんて、蜂の居眠りを見るよりも貴重だぞ!」とブランチェスタの腰を抱く。
 アイジーはふうと息をついて肩を落とす。真ん中のほうで勢いよくターンする二人を見ながら、これは先行きが楽しみだと口角を上げた。
 貴族嫌いのブランチェスタも、いつの間にかテオとは打ち解けている。これは喜ばしいことだった。未だに貴族の女友達の出来ないブランチェスタだが、このテオとはかなり親しくできているということは、元々、気性の合う二人なのかもしれない。下手をするとジャレッドよりも婚約者っぽく見える。ある意味では由々しき事態なのかもしれない、と首を傾げながらも、嫌な気分にはならなかった。
 アイジーはきょろきょろと、二つの影を探す。
 出来ればこのまま無視して今晩の優雅を終えたいのだが、生憎のところそうもいかない。
 猫のお腹のようにしっとりとした布のカーテンに手を掠めながら、アイジーはホールの端から端をぐるりと一周していく。煙のような布の触れ合いを愉しみながら、アイジーは花咲く一面を見渡した。金色の光の粒を受けるように赤の絨毯が視界を刺激する。ブランチェスタの緑のドレスがやけに映えるなと思った間際、弄んでいたカーテンの隙間からにゅっと腕が伸びて、アイジーの体をかっさらう。
 それは一瞬にも満たない出来事だった。
「やあ、シフォンドハーゲン」
「今宵もご機嫌麗しゅう」
 カーテンの裏側、夜風の冷たいバルコニーにアイジーを誘ったのは、探していた二人組のシェルハイマーとハルカッタだった。いつもより急かすような声音で早口にそう告げる二人に、アイジーは緊張の色を読み解く。
 二人の手を乱暴に払いながら、アイジーはきっと顔を険しくさせて言い返す。
「麗しゅうじゃないわよ二人とも、打ち合わせと違うじゃない! 私と一緒に有力貴族に挨拶回りをするっていう無理な計画を最初に企んだのは貴方たちなのよ!?」
「シッ、声が大きい、見つかっちゃうだろ!」
 ハルカッタはアイジーにずんとすり寄って言った。
 自分よりも随分と背丈のある彼の影にアイジーはびくっと肩を震わせたが、すぐにいつもの強気な態度を手繰り寄せて唇を開く。
「なあに、見つかっちゃダメなことでもあるっていうの? もしかして二人とも、今になって怖くなったとか言うんじゃないでしょうね?」
「違うよ」シェルハイマーが呆れたように肩を竦めて言った。「ただニヴィールのやつが変なプライドを持ち出してきたのさ。馬鹿みたいだろ?」
「変なプライド?」
 アイジーがなによそれと聞き返すよりも先に、ハルカッタは荒ぶるような動作で震えながらに言い放つ。
「ボーレガード家の奴らが着てる服! あれ母国の民族衣装なんだよ! なんて不覚だ! ボーレガードが着てるのにハルカッタが着てないなんて、こんな恥ずかしいことったらない! おかげでうちの可哀想なお父様もすっかり萎縮しちまってる!」
「そんなどうでもいいことでかくれんぼなんてしてたの?」
「どうでもいいことあるか、このお嬢様が!」
 自分たち以外誰もいないこの隔離された空間は、パーティーの音色を忘れるかのように冷たく靄に響いている。空気を震わせた彼の一言を宥めるように、アイジーは彼の肩を摩った。
 確かに今ハルカッタが着ているのは、シェルハイマーやジャレッドなんかが着ているのと同じ、よくあるパーティー用のジャケットだ。刺繍と装飾の上品なそれは普段の彼らのふるまいを払拭するかのように輝いている。こうして見れば、やはり二人も貴族の子なのだなと思った。いつにない姿を見せる彼らに新鮮さを感じながら、アイジーは小声でひっそりと告げる。
「別にテオたちに悪気があったわけじゃないんだから。むしろ逆よ。少しでも貴方たち側に立とうとしてくれたのよ」
「俺のほうが似合う、本当だぞ」
「そりゃそうでしょうよ色男さん。わかったら茶番を終わりにしましょう。早く帰ってエイーゼの看病をしなくちゃならないんだから」
「お前の兄貴か? 死にそうなのか?」
「碌でもないこと言わないでちょうだい! ただの風邪よ!」
「それで、噂のリラ=エーレブルー嬢はどこにいるの? 彼女もこの仲良しごっこのメンバーなんだろう?」
「彼女も欠席。理由はよくわからないわ。なんでも妖精の魔法を探しに行くんですって」
「キチガイか?」
「馬鹿言わないで。ユーモアがあるだけよ」
 アイジーはカーテンの裾をするりと上げて二人に出るように促した。開ききったバルコニーは夜風が寒くて風邪をひきそうだ。とっとと華々とした熱気に包まれたかったアイジーは、半ば強引に二人の手を引く。
 つっかえながらも二人はホールに躍り出て、名残惜しそうにカーテンの紐を撫でていた。アイジーは一息つく。
「そういえばテオから聞いたんだけど、異国では呪いのことを“不治の病”だとか“神のご加護”だとか言うらしいわ」
 先ほど聞いたばかりの知識をひけらかすように、アイジーは二人に言った。シェルハイマーは「へぇ」と軽く頷く。
「不思議よね。私たちにとっては忌々しい呪いなのに、他の誰かにとっては贈り物だったりするんだわ」
「信仰が違えば受け止め方も違う。当たり前だろ」
 テオと全く同じ物言いをするハルカッタにアイジーはぎょっと驚いた。
 これはテオとハルカッタが似ている、というよりも、テオがハルカッタに似せている、のだろう。妙な表現だがこれが一番しっくりくる。テオとハルカッタは相性こそ悪くないだろうが、それほど似ているとも思えない。根本は一緒かもしれないが、どちらかと言えば同族嫌悪しそうな節があるだろう。それが何故こうも同じ意見になるかと言えば、テオが“ボーレガード”であるということに一因するに違いない。ボーレガードは大貿易商だ。今日のように異国の文化をひどく日常としているし、ついさっきのテオの言い分を聞く限りには、彼は今異国の文化の勉強をしていそうだ。偶然ハルカッタの母国の思想に触れ、それを受け売りしていたとしても不思議はない。
「俺の母国では“悪魔”なんて概念もないらしいぞ。俺はここで生まれたから詳しくは知らないけど。ここでいう“悪魔”はあっちじゃ“悪霊”だった。他にも動物が神様の化身とか言われてたり夜に足音を立てて歩くと犬の唸り声に殺されるっていう迷信があったり、思想も全然違うみたいだ」
「面白いわね……」
「面白いか? 俺は、まるで“私たちの母国はこんなに素敵なんですよ”ってお父様に無理強いされてるみたいで、なんか嫌いだな」
 その言い方にシェルハイマーはくすくすと笑った。社交パーティーだからか、いつものように下品な笑い方はしなかった。
「ほかにどんなのがあるの?」
「どんなのって……えーと、そうだな。世界は地図みたいな紙っぺらな形をしていて、それを二頭の象が支えてる、とか言われてたり……まあ昔話だけどな。あとは夜明けのことを“月のあくび”って言ったり……ああ、そうそう、死を“不感の心臓”と言ったりする」
「――不感の心臓?」
 アイジーは聞きなれない単語に首を傾げた。
「そう、“不感の心臓”。なにも感じない、感じることの出来ない、動かなくなっただけの、冷たい心臓。金属のように無機質で、空っぽで、可哀想な、そんな死を譬えてる」
 ほう、とアイジーは咀嚼するように押し黙った。
 二人はこの話の流れに興味をなくしたのか、見違える姿で躍るブランチェスタの優雅さに目を見開かせている。
 アイジーは視線をどことなげに彷徨わせて、傾げた首をもたげていた。
(どうしたんだい、アイジー)
 ジャバウォックはスンと隣に立って黒い髪を靡かせる。すっかり彼の存在が当たり前になった今日この頃。アイジーは彼の姿に驚かないようになった。
「別に、大したことじゃないわ。詩的な表現をするなと、そう思っただけ」
(それほど詩的でもないと思うな)
「否定的な人ね」
 アイジーはくすりと笑って言った。
 パーティーはまだまだ続いていく。
 ふと、バタリとどこかで重たい音が聞こえた。どうやら誰かが倒れたらしい。赤い顔をしたその男性は、廻らない呂律の舌の根から、仄赤い液体を顎まで垂らしている。それはピーチウォッカだった。どこかで同い年ぐらいの少年が悲鳴のような声をあげる。倒れた彼の息子らしかった。その脇では、ブランチェスタとジャレッドがこそこそと話しこんでいる。ブランチェスタが悔しそうに体を跳ねさせた。ジャレッドは意地悪そうな顔をしていた。どうやらテオの助力を得たブランチェスタに、女神が微笑むことはなかったらしい。
「次の曲は『サンドリヨン』みたいね」
 最愛の兄がいないのだから、自分が踊るはずがない。
 アイジーは続くダンスの誘いを断りながら、煩わしい友達ごっこを再開することにした。





喩えれば鳥葬



| ×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -