ブリキの心臓 | ナノ

1


「は? エイが風邪?」
「そうなのよ」
 アイジーは頬に手を当てて、困ったように返事をした。
 ボーレガード家の開いたパーティーは驚くほどの盛況となった。見たこともない弦楽器で奏でられる独特のリズムは、すぐに人々を高揚させた。あちこちを彩っているカーテンの芳醇香りは異国で有名な布のそれだ。貿易商なこともあってか、異国のものや文化を取り入れた形式が多く、身に触れることが稀なものばかりだが、それぞれが見事に調和を取っている。グラスと一緒に配られてきた、アルコールのきついビターチョコボンボンだけは、アイジーの口には合わなかったが、それでも、今の高揚を冷めさせるような弊害にはならなかった。
 しかし、完璧な夜と言えない理由がひとつ、根強くアイジーの心に低迷していた。それが、エイーゼの不在だった。
「エイーゼも貴方に会いたがってたみたいだけれど、本当に体調が悪そうなの。朝に薬も飲んだようなのに、やっぱりだめだったって」
 エイーゼはここのところ体調を崩しがちで、それでもそれなりには平気そうだったのだが、今日は流石に疲れも出ているらしく、休む他なかったのだ。おかげでアイジーは一人集団に取り囲まれ押しつぶされそうになった。それを助けたのがこのテオだったのだが、やはり彼もエイーゼのいないこの場に不服そうな顔をする。
「まあ元々体の弱いやつだったしな。ったく、つまんねーの……あー本当に残念だぜー。エイにもこの格好見せてやりたかったのに」
 テオは不機嫌に眉を寄せて溜息をついた。
 今彼が着ているのはどこかの民族衣装だった。被っている帽子もその類だろうか不思議な形をしていて、まるで逆さまにしたバケツのよう。くすんだ真紅の色のそれからは、アイボリーの長い布が垂れており、肩をだらんと覆っている。髪の毛は編みこまれて帽子の中にすっぽりと収まり、晒された首元はジャケットのスタンドカラ―により隠れていた。ジャケットと言っていいのか、アイジーが今までに見たことのないような型である。襟元から胸元の留め具にかけて、金色の繊細な刺繍が幾何学のように施されていて、引き絞った腕のカフス釦のデザインによく映えている。雪玉のような愛らしい丸が繋がった黒のケミカルレースが、裾や服の合わせ目など様々な個所に見られ、それも物珍しく目を引いた。ジャケットと同色のズボンは膝から下にかけて極端に絞られており、独特な形をした靴の大きさと相俟り、非常にバランスがいい。
 よく見てみると、テオ以外にもそんな格好をした人間がいる。それは彼の父親のレオナルドと兄のセオドルドだった。アイジーはしみじみとした表情で二、三度頷く。
「ボーレガード家の人間は仮装してるのね」
「仮装じゃねえよ、あほか。いや、やっぱり仮装かも。そう、仮装だ」
「どっちなの」
「雰囲気作りってやつだよ。パーティーの方じゃないぜ? なんていうかほら……社交というか、外交的な意味での?」
「はい?」
 よくわからない言い訳にアイジーは首を傾げた。
「セオドルド曰くだ」テオは人差し指をぴんと立てて言う。「俺たちの国の、いや、俺たちの国の貴族の考え方は、世界的に見ればとてつもなく古臭いらしい」
「古臭い?」
「そう。前々からお前も疑問に思っていた、貴族と庶民の険悪だよ。庶民の名機を貴族は“野蛮人の知恵”と罵る。が、貿易商からしてみれば、よく売れる物品といえばまず間違いなく“野蛮人の知恵”なんだよ」
 それはそうだろうとアイジーも数度頷く。アンデルセンやグリムに蔓延る先進的な技術は他国的に見ても魅力的なものだろう。それをなんとか我が物にしたいと思うのは人間だれしも同じであるし、アイジーとてよくわかる心理だ。似たような話を、以前、ジャレッドともした覚えがある。
 推進ジェットがブランチェスタの空飛ぶ箒を可能にしたし、ユーモア溢れる発想と技術がユニコーンの角のお菓子たちを作り出している。誰が一昔前の馬車のボディや飾り立ててあるだけの下着なんかを見て“素晴らしい!”と感嘆するだろう。自明の理、天啓の理ではあった。
「今日、異国の技術も目覚ましい進歩を遂げていてだな、いま着ているこの服も、その国の民族衣装なんだと」
 アイジーは素直に「へえ」と感嘆した。
「異国は面白いぜ? 海を渡っただけでなにもかもがガラッと変わるんだから。価値観も理念も法律も街並みも、全部だよ。ゼリービーンズの色が可愛く見えちまうくらいに。そして、その世界がある一定の意識に統一されつつあるなか、その波に上手く乗っかれてないのが、我が国ってわけだ。異国じゃ呪いの存在だって、もっと別な視点で研究されてるってのに」
「呪いの存在も?」
(ほう)
 ここで初めてジャバウォックが声をあげた。テオには聞こえていないとはいえ、あまりの自然さにアイジーは驚いてしまう。それとなくテオに続けるよう催促をし、アイジーはその話に耳を傾ける。
「異国でも、《呪い》――とまでは考えてないにしろ、そういう“よくわからない”存在があることは認識しているらしい。でも全然表現の仕方が違う。文化の違いってのを感じるよ。ある国ではそれを《不治の病》といい、ある国ではそれを《念》という。挙句の果てには《神のご加護》とまで称する地域も存在する」
「なんだか……変な感じよね。呪いが神のご加護だなんて」
「信仰が違えば受け取り方も違う。ただ、異国のほうが呪われた人間には優しく廻っていると俺は思うな。呪い研究は我が国が一番進歩しているだろうが、それはいい意味ではなく負の歴史でもある。以上を踏まえてみると、“野蛮人の知恵”に《呪い》、我が国の貴族は世界的な流行を全て嫌う節がある。もっと砕けて言おうか?」テオは愉快そうに、けれどとても意地悪そうに笑った。「閉鎖的で保守的で、つまるところは古臭いんだ」
 アイジーは横目で父のオーザを見た。不遜で尊厳な態度を持って誰かしらと話をしている。
「意識の革命が必要なんだとよ。セオドルドが言うにはだが。これから必要なのはそういう開放と改革だよ。おおげさに言うなら“呪いも野蛮人の知恵もまとめて背負いこめるだけの思想の持ち主”がこの国を引っ張っていかなきゃいけないらしい」
「……お父様とは正反対だわ」
 アイジーは呟くように言った。テオは肩を竦めた。
「今のところは俺たち貿易商や奇特な小貴族なんかが曇った窓を拭いているだけだ。シフォンドハーゲンなんていう貴族の中の王族がひっくり返ることなんて万に一つもないだろうよ」
「きっとお父様は考えを改めたりはしないわ。相変わらずアンデルセンの人たちが大嫌いなのよ」
「嫌いなままでいいよ。利用すればいい。ボーレガードみたいにな」テオはにやりと口角を上げた。「利口になるんだよ。昔から言われてるだろう? シベラフカは石のように固く、ボーレガードは狡賢い、エーレブルーは左に倣って、シフォンドハーゲンは黴より頑固」
「そんなの初めて聞いたわ」
「俺も初めて聞いた」アイジーの歪んだ顔を爽やかに無視した。「それにこれからは、オーザ=シフォンドハーゲンじゃなくて、エイーゼ=シフォンドハーゲンの時代だろ?」
「それもそうね。懐柔しやすそう」
「恐ろしい妹だな」
 アイジーはくすくすと苦笑した。
 ふと、テオの肩の奥からふわふわとスピナッチグリーンのドレスを揺らし、おてんばに駆けてくる少女の姿が見える。コルクブラウンの長い髪はいつかの日のように尾を引いてアップされ、ドレスの裾から見えるガラスの靴は彼女の烈しい動作にも耐えれるほどの一級品だった。宝石よりもずっと澄んだ雷のような目をしたその少女、ブランチェスタは、パーティーに似つかわしくない素早い足取りで「テオドルス!」と張るような声で言い放った。
 トンッと舞い降りるように立ち止まってテオの手を引く。
「あたしと踊れ、いや、踊ってください」
「は?」ブランチェスタのたどたどしい敬語よりも、その言葉の内容にテオは顔を顰めた。「いきなりなんだよ」
 それはアイジーも同じ心中だった。何事だと思いながら二人の会話をそばだてるように聞く。
「お前なあ……俺がお前と踊ったら、あとでジャレッドにこてんぱんにされたりするだろうが、俺が」
「はあ?」
「至極わかりがたい、といった顔をするな」テオは心底嫌そうな顔をする。「これを機に、もう二度と、この俺に親しい男女の約束事を説かせてくれるなよ……いいか? お前はあいつの婚約者なんだぞ」
 頭をコツンと小突くテオに、ブランチェスタは爽快に笑った。
「男女の仲だから、あいつがあたしに他の男とのダンスを許さないと? そんなことするわけないじゃん」
 アイジーもブランチェスタの意見には賛同するが、それはあまりにも悲しいなと思う。どうにもジャレッドとブランチェスタは互いを放っておく傾向があるというか、とにかく婚約者らしい行動の全てと逆を行く二人なのだ。まだ二人の関係は恋心に発展していないのか、これでは双子の兄妹であるエイーゼとアイジーのほうが恋人に見える始末である。互いに嫉妬の感情は湧かないのか、ジャレッドはジャレッドで奥のほうで見知らぬ少女とダンスを踊っていたりする。なにをしていると今すぐにでも叫びたい心情に駆られながら、アイジーは下手に口出しするのを躊躇っていた。


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