ブリキの心臓 | ナノ

1


 黄葉したアヒルの足のようなイチョウの葉があたり一面に落ちている。点々と絵画のように点描する、そんな可愛いものではなく、もっと大胆で不遜なものだ。歪なハート形に裂けたその葉っぱたちはグリムの薄紅色の石畳に強い秋色を付与している。もこもこと重なったそれらはまるでスプリングの強いベッドのようで、ヒューイがぴょんと飛び乗ると飛沫のように舞い上がった。金色の星屑はあちらこちらに吹かれていってなんとも幻想的な風景である。
 ミセス・シーベッズリリーから出たアイジーたちが向かったのはイチョウの大木で有名な公園だった。公園と言っても遊具らしき遊具はなく、あるのはチェーンに苔のむしたぶらんこにひしゃげたキノコ型のスツールが数個のみ。秋の冷たい風を遮るようなものはなにもなく、アイジーの手はだんだんと冷えていった。しかしそれと反比例するように男三人組の熱は上昇していって、今やイチョウ合戦というわけのわからない葉っぱの投げ合いを繰り広げていた。
「本当に、男の子って子供よね」
 女は男よりも早熟で、その分男が幼く見える。女は二歳ほど年上の相手が丁度いい。そんなふうに囁かれている近年だがそれも強く頷けるものだった。いい意味で猫を被りやすいエイーゼや知的で寡黙なジャレッドなんかは別として、テオや目の前の少年たちなどはアイジーからしたらやはり“もう少し大人しくしてほしい”部類に入るし、逆に年上のシオンやゼノンズなどは自分の相手としては丁度よく感じてしまう。それは以前ブランチェスタも言っていたことで“あのやたらと突っかかってくる厄介な二人は脳みそがまだよちよち歩きしてるんじゃねえかと思うんだ”と呆れを通り越した軽蔑を湛えていた。
 しかし、普段煩わしい対象であるシェルハイマーやハルカッタにも、こうした子供っぽい無邪気なところがあると思うと安心するものがあるのだ。この二人においては当分は無邪気な子供でいい。そのまま楽しくイチョウ合戦でもなんでもしていればいい。アイジーはそう思いながら持ち帰る筈だったストロベリークーヘンのジェラートを一口啄んだ。
「おい、シフォンドハーゲン!」ハルカッタが責めるような声を向ける。「お前つまんないぞ! そんなもの捨ててとっととこっちに来いよ!」
「嫌よ。第一これを買ってくれたのは貴方じゃない」
「そうだった。絶対捨てるなよ」
「なにがしたいの」
 アイジーが眉を潜めてそう吐き出すと、シェルハイマーがひょいと一枚のイチョウを摘み上げて見せた。それはほんの少しだけ湾曲していて見たことのないようなフォルムに変化している。シェルハイマーはにまっと笑ったあとそれを口にくわえた。そしてぷうっと頬を膨らませ、それを絞り出した途端、イチョウの茎から玩具のような音がピューピューと鳴り響いた。風に溶けていくその音にヒューイは目を輝かせる。
「懐かしくないか?」
「昔はよくやったよね」
「穴の大きさ変えていろんな音出したりな!」
「そんな犬の排泄物がついてそうなものよくくわえられるわね、貴方」
「げぷぺええっ!!」
 シェルハイマーはさっきまで楽しげにくわえていたその真っ黄色の葉を勢いよく離した。叶わない恋の形をしたそれはひらひらと舞って同じ色の絨毯の上にはらりと落ちる。シェルハイマーはわなわなと震えながら「今まで考えないようにしてたのに……!」とアイジーを強く睨みつけている。
「お前、よくも俺の清らかな思い出を汚しやがったな!」
「私の一言で汚れるくらいの思い出なんてちっとも清らかじゃないわよ! というより貴方、もしかしてそんな可能性を少しでも考えたことなかったの?」
「考えるわけないだろ、馬鹿なのか?」
「自分に言ってるの?」アイジーは両手を広げて肩を竦めた。「本当、付き合ってられないわ!」
 アイジーは三人から離れるようにキノコ型のスツールへと腰を下ろした。てっきりもっと突っかかってくるかと思っていたのに彼らはもうアイジーから興味をなくしていた。おそらくあとひと月足らずでなくなってしまうであろう即席の太陽の絨毯に、あどけないまでの無垢な心を端々まで奪われてしまっている。ヒューイなんかは「まるで地面から生えてきているみたいだ!」と言ってシェルハイマーやハルカッタを爆笑の渦に巻き込んでいた。アイジーはジェラートを一口啄みながら、その様をじっと見つめる。
 ヒューイ。
 ペローに住む少年。
 《青髭》。
 ボサボサの、黒よりも少しだけ淡いチャコールグレーの髪に、鼻の周りのそばかすがチャーミングな、盲目的な、事実盲目の瞳を持つ薄幸そうなイメージを抱く少年。清貧という言葉がよく似合う青瓢箪なその少年は、薬切れの《青髭》として鉈を持ったままアイジーと相対したことがあった。鉈を持つそのときの彼の悍ましさと言ったら生きて帰ってこれたことが不思議なくらいだった。目の見えない状態でも気配や音で状況が判断できるのだろう。盲目というハンデはないに等しく、それはアイジーが暫く彼の目が不必要であることに気づかないくらいだった。そんな状態で襲ってこられればひとたまりもないし、こうして過ごしているときでもあの恐ろしさが蘇ってくる。この半日、こうして傍にいられたのが不思議なくらいだった。多分出会い頭に助けてもらったからだろう。どうやら今は薬で抑えてある状態らしく、危なげな雰囲気はちらとも見られない。あの二人と行動を共にしている理由もそこにあるだろう。今日一日彼と一緒にいたところで、きっとどうってことはない筈なのだ。
「ヒューイ、ねえ」
 けれど、アイジーの胸をざわつかせる要素が全て消え失せたかと言うと勿論そんなことはない。先ほど発覚した事実だが――どうやら“ヒューイ”という名前はシェルハイマーとハルカッタが名づけたもので――つまるところ、ヒューイには“名前がなかった”のだ。
 名前のない英雄に運命の日に殺される、それがジャバウォックの呪いの謳い文句である。故にアイジーは“名前のない人間”には常に細心の注意を払わなければならない。自分を殺す人間かもしれないからだ。それをリラー=エーレブルーと会ったときに悟っていたし、だからこそアイジーはペローには近づかないようにしていた。
 それがどうだ。今目の前にいるのはペローの人間だ。それも、名前があると安心しきっていた矢先、生まれ持ったものではなく二人が適当につけたニックネームのようなものだったと発覚した今、彼が“名前のない人間”のなかに含まれるかもしれない可能性が出てきてしまった。
 アイジーは首を捻る。なんだか頭が痛かった。冷静に対処しておきたいところだが、正直もう帰りたい。この話自体最初から乗り気じゃなかったのだし、それに今の状況、どう考えてもアイジーは必要ない。案外数秒後には“あれ? まだ帰ってなかったのかい?”と言われるかもしれない。馬鹿馬鹿しい。何か用があるならまだよかったものを、こうも暇を持て余すのなら時間の無駄というものだ。
 帰ろうかな、とぼんやりしていたとき、ヒューイと目が合った。
 いや、目が合ったというのは適切な表現ではないのかもしれない。彼の目ではアイジーと目を通わせることは出来ない。この距離では流石にシルエットはわかるまいし腕を伸ばして顔に触れることも出来ない。だから、たまたま、偶然にも、その瞳同士が一直線に結ばれたというのが、正しい言い回しなのかもしれない。
 彼の目は揺らがなかった。まるで全てをわかっているかのような足取りで、アイジーのほうへと向かってくる。アイジーは一瞬怖くなってスツールから降りた。そして少しだけ距離を取って、ずれるように、隣のスツールに移動する。彼はそんなことも知らずにアイジーの元いたスツールへと向かう。そして手を伸ばし、空振りした感触にくすくすと笑って「意地悪なことをしないでよ、シフォンドハーゲン」とそう気を悪くしたふうでもない甘さで囁いた。アイジーは肩を強張らせる。


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