ブリキの心臓 | ナノ

1


  始まりは、あの小憎らしい厄介者、ギーガ=シェルハイマーとニヴィール=ハルカッタの二人だった。相変わらず面倒事しか持ってこない彼らが、また面倒事を持って寄越したのだ。傘をささねばならない陰気な雨の日よりもいっそう強い煩わしさを携えて、この二人はアイジーのもとへと訪れたのだ。もちろんそのときアイジーは警戒していたが、警戒したところで解決できるようなものでもない。結果、アイジーは「やあやあシフォンドハーゲン」「今日もご機嫌麗しゅう」という、面倒なことが起こるたびに耳の中に垂れ込んでくる声の魔力に、誑かされることとなった。
 それは《オズ》でのこと。
 高い天井にふさわしく高い窓からは、柔らかな光が射し込み、ゆったりとした速度で舞い踊る埃が、金粉のようにきらきらと光っていた。ここだけ刳り貫いて聞いてみれば、美しい情景であることはわかるだろう。
 しかし、問題はそこでアイジーが出会ったあの二人だ。いきなり話しかけてきて脅迫するような顔でアイジーを暗影の廊下につれだした。まるで物盗りか強姦魔のような荒っぽくも手慣れた動作に、アイジーは恐怖と驚愕を覚えたが、今となっては呆れと苛立ちしか湧いてこない。今すぐにでも歯が抜け落ちるまでに顔面を殴りつけてやりたかったが、自分の手も可哀想なことになるのに気づいて、苦渋の決断で拳を胸に閉じこめた。
 二人の話の内容とは、正直、アイジーにとってはどうでもいいようなことだった。いちごのへためいた軽さで、古びて乾燥した紙よりも薄っぺらい、それこそ、切って捨てれるほどのことだった。簡潔に申し上げるなら、ボーレガード家のパーティーでの友達作戦の調整や下調べなどだ。アイジーとて一応はリラに話をつけてきたという報告はしたかったし、彼女から貰った、彼女曰くマイマイの卵とやらを、二人に渡さねばならなかった。話をするべきだったというのは、わかっている。
 だが、あくまで用はそれだけだ。二人に関わると碌なことがないのはわかっていたし、お互い妥協しあう友達ごっこも、続けていればただの苦痛にしかならない。引きつ離れつ、それぐらいの関係性が、自分たちには一番合っている。
 正直のところ、あまり馴れ合うつもりはないのだ。シェルハイマーやハルカッタとてその心積もりだっただろうし、相も変わらずアイジーのことが大嫌いだ。
 だが、あの二人にとってアイジーは利用価値が高すぎた。二人が持つには大きすぎるほどの影響力をアイジーは持っていた。バランス――そう、全てはバランスだ。バランスが悪かったのだ。アイジーが彼らと仲良くしても、アイジーが得をすることはほぼないと言ってもいいが、彼らがアイジーと仲良くしたときの利点は、膨大なものだった。認識上、その互いに対する利用価値のバランスがアイジーは極端に重く、二人は極端に少ない。だから、こういった、いきすぎた均衡の乱れができてしまう。蟻の前に蜂蜜のたっぷりかかった角砂糖を置くようなものだ。二人はアイジーを利用しようとアイジー以上の“心積もり”があったのだ。
 ギーガ=シェルハイマーとニヴィール=ハルカッタ。曲りなりにも貴族である彼らの交友関係は、アイジーの知るかぎりでは恐ろしいほどに少ない。アイジーとて十五年も邸に篭っていたのだから人のことは言えないにしろ、この二人の“周りを寄せつけない感”は凄まじいものがある。まず彼らが《オズ》内で二人以外の人間といるのを見たことがないのだ。それもそのはず、彼らは庶民嫌いで貴族嫌い、このアウトゾーンの広さでどうやって自分たちと適合し得る人間を見つけることができるだろう。針に糸を通すかのような御技である。
 第三期の教授であるヴァイアス=ルビニエルや副指揮官ジオラマ=デッドのような例外はあるが、彼らの人間における好き嫌いは幼児のそれを遥かに上回る。アイジー=シフォンドハーゲン嫌い、ブランチェスタ=マッカイア嫌い、ゼノンズ=ヘイル嫌い、ジャレッド=シベラフカ嫌い、メイリア=バクギガン嫌い、キーナ=ペレトワレ嫌い、護衛官嫌い、ついでにシオノエル=ケッテンクラート周辺も嫌い。どうやったらそこまで器用に嫌いになれるのかとアイジーは顔を顰めたくなるが、彼らを取り巻く環境が環境なだけに、それほど強くも言えない。彼らはこれからも人を荒い篩にかけつづけるだろう。そうして残った本当に大きな石だけを、自分の親しい人間として独占し続けるだろう。そう思うとぞっとするものがある。
 しかし、つい最近知ったことがあるのだが、彼らは自分にとって近しい人間には、割と世話焼きな性格を発揮するようなのだ。小生意気ではあるがまだうぶな子供っぽいシェルハイマー。人でなしのくせにお人よしなハルカッタ。彼らは排除するものが多い分、持て余しただけの愛情を、その一点に注ぎこむ性質がある。僭越ながら、アイジーはそのギャップに吐き気を催しそうになったが、彼らのその一面を見るということは、消えかかっていた彼らの人間性を、最後の最後に拾い上げることのできる瞬間でもあった。
 彼らの交友関係は狭い、ただし、その偏狭には飽和するだけの人情がある。

 それがまさしく“ヒューイ”と呼ばれる少年、《青髭の呪い》に犯された少年との関係の強さの根底だった。

 渋々アイジーが廊下で話を聞くことを承諾したとき、真っ先に出たのが彼の話題だった。
 ヒューイと呼ばれる彼とはアイジーとて数度見えている。最初は薬切れの危険な状態、二度目は彼がルビニエルから薬を受け取った帰り――シェルハイマーやハルカッタと並んで歩いているところだった。チャコールグレーの髪に盲目的な眼差しをした薄幸そうな少年、それがヒューイと呼ばれる《青髭》の少年の印象だ。雰囲気で言えば、二人が嫌いそうな雰囲気をしていると思った。少しだらしのない、みすぼらしさの抜けない貧しい庶民、そんなイメージが先行してしまい真っ先に篩から落とされるような人間――しかしその考えとは裏腹に、あの少年は二人の“親友”と言っても過言でないポジションにまで身を躍らせている。これはちょっとないことだった。
 二人は少年を無下に扱うどころか格別の好意を向けており、体を気遣ったり帰り道を共にしたりと、仲は異様なほどに良好だ。もしこれがアイジーだったならば、怪我をした途端に“ざまあみさらせ!”と爆笑するだろうし、帰り道に出くわした途端に唾を吐かれかねない。もちろん、そんな状況に出くわさないよう、アイジーは多大な入念を重ねているわけだが、その少年にはそれがいらないのだ。
 あんな大人しそうな少年が二人とつるんでいるのもおかしなことではあるが、そういう他人の関係をとやかく言うのもまたおかしなものだろう。
 アイジーはぼんやりそんなことを思いつつも、口には出さないままでいた。
 厄介な二人の言葉の羅列に耳を傾けながら、アイジーはだんだんと彼らの言い分を呑み込 こんでいった。ずいぶんと適当に聞いていたせいでなにやらよくわからない展開にまで行き着いていたが、要約するとこうだ――“ヒューイ”に会わせたいから次の休日は開けておけ。
 もちろん嫌よ。アイジーの返事はこうだった。とりつく島もない拒絶だった。くすんだスミレ色の目をナイフで切り上げて、血も凍るような美しさは毒を持つ。
 圧倒的なまでの嫌悪感に一瞬二人は怯んだが、それでもなかなか引き下がろうとしなかった。しかし、アイジーも返事を改めるつもりはない。アイジーにはどうしても行けない理由があったのだ。
 あの《青髭》の少年はスラム街、つまりはペローに住んでいるらしい。だからこそのあのブランチェスタにも負けず劣らない襤褸のような格好なのかと納得できるが、その“ペローに住んでいる”というキーワードは、アイジーにとっては最大の気がかりなのだ。
 ジャバウォックの呪いを受けたものは名前のない英雄に殺される――リラ=エーレブルーに会って真相した事実だ。実際にアイリス=エーレブルーは名前のない人間によって殺されており、まず“名前のない人間”というのがポイントなのはよくわかっただろう。
 ヒューイと呼ばれる少年の出身地はペローで――アイリス=エーレブルーが殺したのもペローの人間で――ペローには“名づけられなかった人間”の吹き溜まりだった。ただでさえスラムは治安が悪いのに、そんな命の危険がうようよと潜んでいるところに、アイジーがのこのこと出向くわけがない。《青髭の呪い》とは言っても名前のあるヒューイはまだ安全だとしても、他のペローの民までもそうとは限らない。アイジーがペローに赴くのはリスクが高すぎると言えよう。
 この主張には流石の二人も頷くしかなかった。命に係わる呪いを受けている人間に“俺たちはそんなこと知らないからとにかく一緒に来いよ”だなんてこと、いくらこの小生意気で人でなしな二人でも、言うことはできなかった。
 これで諦めてくれるだろうとアイジーが思ったのも束の間、二人は二、三度首肯しただけで“じゃあペローに入らなければ問題はないんだな”と言ってのけた。
 思わずアイジーはぽかんと口を開けてしまった。
 その間にも話は続いていく。
 ペローに入る前の大広場で集合する、これなら文句もないだろうと、二人は意気揚々いけしゃあしゃあと提案してみせたのだ。ふざけるなと言いたかったが、時既に遅し。反論するタイミングを失ったまま、ずるずると計画は終盤へと差しかかっていく。
 こうなったら仕方がない。乗りこんだ船が泥船確定でも、もうどうしようもない。アイジーは肩を落としながっら溜息をつく。
 そんな成り行きで今、アイジーはペローに馬車を走らせていた。



 オーザやイズには黙っておくようにと馬車の騎手を帰らせて、約束の時間にまた迎えに来るよう告げた。
 今日の天気は生憎の重たい曇り空で、昼間なのにとてつもなく暗い。夜さながらの濃紺の空が微かに尾を引いて、街のランプの赤が異様に冴え映えとしていた。アイジーは通りの奥の深い石畳の色を怖ず怖ずと見つめる。それは葉のような緑だった。
 ペローの石畳は薄瑠璃とも薄紅とも違う、植物のような薄緑色をしている。石の形はアイソーポスやグリムやアンデルセンよりもずっと歪で秩序のなさを表しているかのようだった。おまけにいっそう薄暗く、あのメドレナ=メドレイの住む《黒い森》にも勝るとも劣らない。傷の深い壁や暗幕のような布きれ、汚らしいゴミに紛れた枯草などアイジーにとっては身の毛もよだつような酷い有様をしていた。


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